空色の祈り
今朝も、いつもの時間に家を出た。昨夜遅くまで、新しい随筆集の原稿を書いていた。「日常の中の小さな奇跡」をテーマにした文章は、少しずつ形になってきている。
週に一度担当している「朝の余白ノート」は、カウンセリングの合間に始めた小さな挑戦だった。たった10分の放送。けれど、その短い時間の中で、誰かの心に寄り添えることを願って続けている。
スマートフォンには昨日の放送へのメッセージが届いていた。「先週のカウンセリングで話せなかったことも、今日の放送を聴いて少し整理できました」「いつも心がゆるむように思います」。そんな言葉の数々に、私も励まされる日々。
けれど今日は、どこか言葉が見つからない。人の想いに触れ、それを言葉にすることを生業としているのに。
駅のホームに立つと、澄んだ空気が頬を撫でていく。立春はもうすぐだとはいえ、まだ冬の気配が色濃い。でも、確かに少しずつ、朝の光が早くなってきている。
午前中の柔らかな光の中、電車で移動しながら空の色をみているのが好き。特に郊外へと抜ける電車。
街の中を抜けると、空がぱっと広がってみえる。まだ寒い冬の青空が広がり、雲一つない晴れた空は、まるで春の訪れを予感させるかのようだ。
私は、カバンの中の書き出しメモに目を落とす。朝の余白ノートの次回の放送原稿は、まだ書きかけで半分くらいにしかなっていない。テーマは「冬の贈り物」。けれど、どうしても言葉が出てこない。
その時、前の座席で小さな会話が始まった。
「おばあちゃん、この折り紙、もらってもいい?」
小学生くらいの女の子が、年配の女性に尋ねている。女性の手元には、手のひらの大きさの、冬の空のような淡い青色をした折り紙が何枚か重ねられていた。
「いいですよ、どうぞ。でも、ただもらうだけじゃつまらないでしょう?」 「え?」 「この折り紙ね、プレゼントするための折り鶴を折っているところだったの。あなたも、やってみる?」
女の子は興味深そうに身を乗り出した。
「私も折り鶴、折れます!」 「そう。じゃあ、この折り紙をあげる。あなたの折った鶴も、誰かにあげてみたら?」
女の子は少し考え込んだ様子で、でもすぐに笑顔になった。 「うん!お母さんに折ってあげる!」
「そう。お母さん、きっと喜んでくれるわ。そういったところが、贈り物の不思議。誰かのために何かをすると、その想いは必ず他の誰かに伝わっていく」
女性は、ゆっくりと折り紙を取り出した。
「この青い折り紙はね、空の色に似てるでしょう?
空は、どこまでも続いてるから……。贈り物の気持ちも、きっとそうやって広がっていくのよ」
私は思わずメモを取った。「贈り物の気持ち」と空の折り紙。
次の駅で、女の子は母親の待つホームへと降りていった。手には青い折り紙が握られている。
「さあ、私も折らなくちゃ」 女性はつぶやくように言って、残りの折り紙を手に取った。
「よろしければ、私にも一枚いただけませんか?」 思わず声をかけていた。
女性は穏やかな笑みを浮かべ、一枚の折り紙を差し出した。 「ええ、どうぞ。でも、約束ですよ?」 「はい。必ず、誰かを思い浮かべて、折ってみようとおもいます。ありがとうございました」
その先の駅に着き、女性は電車を降りて行った。残された私は、手元の折り紙を折る。先日の放送にメッセージを寄せてくれた受験生の方の、夢がかないますようにと祈りながら。
青い折り紙を広げると、かすかに雲模様が透けて見える。丁寧に角を合わせ、山折り谷折りを繰り返す。光の加減で、折り目に影ができる様子が、まるで雲の流れの中を羽ばたいているみたい。
羽を広げ、首を整える。
祈りを込めるように、最後の一手を加える。
完成した鶴は、思っていた以上に愛らしい姿をしていた。淡い青が光に透けて、まるで本当に空から抜け出してきたようで。そっと、かばんの中に隠した。
その夜、私は原稿を書き上げた。
「冬の澄んだ空のなかを、私たちの小さな想いは、誰かの心へと飛んでいく。それは強制されたものでも、見返りを求めるものでもない。ただ、誰かに何かを伝えたいという純粋な願い。誰かの成功や幸せを想う純粋な祈り。その純粋で自由な想いこそが、次の誰かの心を動かすのかもしれない。今日も、どこかで誰かの想いが、空を越えて届けられているはずです」
机の上には、青い折り鶴が一羽。明日の放送を聴いてくれる誰かのために、その翼を広げていた。
次の日の放送が終わると、すぐにメッセージが届いた。
「今日の『冬の贈り物』、心が癒された気がします。誰かのために、私も何か始めてみようと思います」
私は画面を見つめながら、密かな喜びを感じた。小さな想いは、確かに誰かの心へと届いている。
机の上の青い鶴は、今も静かに翼を広げたまま。春の訪れを待つように、温かな光を受けていた。
月白堂