
足元の予感
凛子は月白堂の店内で、足元に伝わる微かな震えに気づいた。季節の和菓子「春待ち」を陳列棚に並べている時、一瞬だけだったが確かに感じた。
手に菓子盆を持ったまま、棚の前でじっと立つ。
まるで床下から誰かが小さく指で叩いているような、そんな感覚。
凛子はそっと足を動かし、震えの正体を探ろうとした。
特に何も起きた様子はないのに、確かに感じた震え。
「凛子ちゃん、次は『白梅』をこちらに」
「はい」
気のせいだったかしらかもしれないと思い、店主の声に応え、凛子は次の和菓子を取りに戻る。
今度は、白い生地に淡いピンクの色付けをした和菓子。
それを丁寧に並べていく。三日前から販売を始めた月白堂の新作だ。
仕事に集中しているうちに、先ほどの震えのことは頭から離れていった。
数日後、店の掃除をしていると、また同じ震えを感じたような気がして、手を止めた。
今度は確かに、床から小さな振動が伝わってくる。
リズミカルではなく、不規則で生き物のような。
まるで地面の下で何かが目覚め、動き始めているような、そんな感覚だった。
お客さんは平然と和菓子を選び、店主も宮田さんも普段通りに働いている。どうやら自分だけが感じているようだった。
「凛子さん」
後輩の萌が声をかけてきた。高校を卒業したばかりの彼女は、凛子より十歳近く年下だが、和菓子への情熱は人一倍だ。
「何?」
「最近、駅のあたりで何かが震えてませんか?」
凛子は思わず手を止めた。
「あなたも感じるの?」
「はい。梅の木の下で感じたあの不思議と同じ気配がするんです」
萌は先月、店の近くの梅の木の下で不思議な光景を見たと言っていた。
その光景については話さなかったが、そこで聞いた声の話を何度も聞いた。
その翌日、その梅だけが一足早く花開いていたのだ。
凛子はその話を半信半疑で聞いていたが、今となっては彼女の感覚を疑うことができない。
「仕事終わりに、一緒に見に行ってみない?」
「はい!」
その日の夕方、二人は駅前の広場をさまよった。人々が行き交う中、二人だけが足元の震えを探している。
「こっちの方が強く感じます」
萌が指さす方向に歩くと、桜の古木がある小さな公園に着いた。まだ蕾もつけていない桜の木だが、その周辺だけ空気が違う気がした。
「ここだ」
凛子は木の根元に近づき、地面に手を当てた。震えは確かに強くなっている。しかし、目に見える変化はない。
「何か見えますか?」萌が隣に屈み込んだ。
「何も……でも、確かに何かがある」
二人は30分ほど根元で待ったが、震えが強くなるだけで何も起きなかった。
「今日は駄目みたい」
諦めかけて立ち上がったその時、凛子は目を疑った。
桜の木の根元で、ほんの一瞬、土が持ち上がったように見えたのだ。
「今、見た?」
「はい!土が動きました!」
それから、二人で木の周りを調べたり、木の根元の土に触れたりしてみたけれども、不思議は起きず。振動も徐々に弱まっていった。
店に戻りながら、凛子はこの不思議について誰かに相談したいと思った。
「この話、おばあちゃんに聞いてみようかな」
月白堂の店主のおばあさん、宮田さんは、その昔、家が骨董屋だったらしい。不思議なことや古い言い伝えに詳しい人だ。
もしかしたら、この不思議のことを何か知っているかもしれない。
「今、何が起きてるのかしら。先日の満開の桜にも驚いたけれど、今度も、何かおもしろそうね」
そういえば、先日の桜の話をまだ啓介にしていなかった。啓介の家、文房堂も、この商店街で古い店だから、何か聞いたことがあるかもしれない。
「久しぶりに、最近の話をゆっくりしたいかな」
彼女が、この商店街の月白堂で働き始めて、啓介とも時々、顔を合わせるようになった。小学校の頃は、よく二人で話をしていたように思うが、凛子が中学校になって引越したから、啓介とはそれ以来。
「明日、文房堂に寄ってみようかな」
萌に手を振って別れながら、凛子は古い記憶の中の啓介を思い出した。
小学校の頃、二人で下校しながら季節の変化を見つける「季節探偵ごっこ」をよくしていた。最初の桜を見つけるのは、いつも啓介だった。
文具店で働く今の啓介は、あの頃と同じ目をしているだろうか。
不思議な振動の話をしたら、きっと興味を示してくれるはず。
久しぶりに、ゆっくり話をするのが楽しみになった。
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