プレゼント交換が理解できない
(考え方が少し変わったよ、という話なので序盤は大目に見てください)
プレゼントを交換しあって「ねぇ待って、本当に嬉し〜」「プレゼントたくさんある〜」「開けても良い?」みたいに言っているカップルが気持ち悪くてしょうがないです。
こういうのを見ると、「いや、演技じゃん。しゃらくせぇな。白々しいわボケ。調子乗ってると痛い目見るぞ。」って思ってしまいます。
子供の頃は僕も誕生日にプレゼントをもらうと純粋に嬉しくてテンションが上がったりしました。
でもそういう日に限ってジュースをこぼしたりお皿をひっくり返して親に怒られたりしました。
そういう時、父親に「調子乗るからそうなる」とか「浮かれてるからそういうことになる」という怒られ方をしてきました。
こぼしたこととか落としたことじゃなくて、テンションが上がって調子に乗って浮かれたから怒られたんだなって思いが強くなってしまいました。
高校で所属していた部活で、同級生の女子が4月に「誕生日の人に、みんなで1000円ずつ出してプレゼントとかお菓子とかかって誕生日会をしよう」と言い出し、それが慣習のようになりました。
それが僕はずっと怖くて、1月の自分の誕生日が来るのが本当に億劫でした。
僕の前の人の誕生日が10月で、順番的には僕が一番最後でした。
期間が空いたこととクリスマスや年末年始を挟んだことにより、全員がその慣習を忘却したため、僕だけ祝われませんでした。
なので僕はただ7000円を他人のために使っただけの人です。
正直、嬉しかったです。
7000円払って祝ってもらわなくて済む権利を買ったと思えば安いです。
他の人が祝われて、プレゼント渡されて「やったーありがとうめっちゃうれしい」みたいに言ってるのが恥ずかしくて見てられませんでした。
「共感性羞恥」に近い感覚です。
「そんなに浮かれてると、帰りの自転車で転けるぞ?」と思ってしまいます。
キャッチボールしてきゃっきゃしてるカップルがいたら、「突き指して雰囲気台無しになるぞ?」といらない心配をしてしまいます。
これもそれも、「今によくないことが起こって、『調子乗ってるからだ』って怒られるぞ?」という僕なりの心配のつもりなんですけどね。
話を戻します。プレゼントをもらって「嬉しい」「ワクワクする」なんて感覚、僕は小4くらいで完全に消えました。
時期は人それぞれだとしても、歳を重ねるにつれてそのワクワク感みたいなのは薄れているはずなんですよ。
それなのに、大学生や社会人がプレゼントを渡し合って「テンションが上がっているのが理解できません。
プレゼントを渡すのが楽しいとか、もらって心の底から嬉しいみたいな感覚はみんな小学校後半くらいから順調に失われていくと僕は思っています。
そして、その感覚が復活するのが「子供を授かった時」だと僕は思っています。
プレゼントを渡すとピュアに喜んでくれる対象が生まれないと絶対復活させられないでしょ。
プレゼントをもらってピュアな子供と同じくらいのテンションで喜べるわけがない。
中学生の時もそのテンションで喜んでたんか?喜んでないだろ。
「ねえ、これ開けていい?」とか、もう演技がすぎるって。
で、最近星野源さんの「いのちの車窓から」を読んだんですよ。
読んで僕はハッとしました。
p168「恋」を是非読んでいただきたいですが、簡単に要約します。
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プレゼントを渡し合ってテンションが上がっているカップルたちは、白々しいしゃらくさい演技をしているんじゃなくて、そこに季節を感じれる風通しの良さがあるから恋愛をしているんだろうな、となんとなく腑に落ちました。
子供が産まれると、誕生日だとか、ひなまつりだとか、端午の節句だとか、七五三だとか、クリスマスだとかをマンキンで楽しんでくれる対象ができるからやれるんだとばかり思っていましたが、恋愛をすること自体が季節を感じることに直結している。
相手の気を引こうとか、よく思われようとかじゃなくて。
「恋」の歌詞を今までで一番噛み締めながら最近は聴いてます。
今の僕には季節を感じ取れるような風通しの良い心はおそらくないし、プレゼントを貰った時にどういったリアクションをすればいいのかなんて未だに分かりません。
僕の誕生日をスルーしてくれた部活の人たちに感謝しかない、と今でも本気で思ってます。
変われたら恋愛できるのか、はたまた逆なのかは分からないですが。
#236 プレゼント交換が理解できない