「他人の車が気になってしょうがない」
ここ最近、noteで書くことをやたらと恋愛にこじつけていたなと反省している。「興味を持てない」以外にこれといった理由がないのだから黙っていればいいものを、屁理屈を捏ねているのが本当に情けない。「他人に期待しない、自分にもっと期待しない」みたいなのももうもうどうでも良くって、とにかく自分が嫌い。それ以上の理由も特にないしなくていい。
ここ何ヶ月かの「楽しく生きようとしている自分」に虫唾が走る。
SNS繋がりで声をかけてくださった方と約束をしてのこのこ会いに行って、少しでも楽しく生きようとしている自分が見ていられない。
アルバイト先での会話もそう。わざわざ話題を練ってからバイトに行って、そこまでして人と喋って、少しでも楽しく生きようとしている自分が見ていられない。
「等身大」という言葉であまり表現したくないけど、そもそも等身大で生きてられないのに、もっと大きく見せようとしても生きれるわけがない。そうまでして張りたい見栄がある自分は見ていられない。
バイト先の人と話す内容を考える時、「自分はこう思うけど」始点の話しか思い浮かばない。「他人への純粋な興味」は自分にはどうしてもなくて、僭越ながらオードリー若林さんの「あちこちオードリー(テレビ東京)」での言葉
を参考にすると、俺は ”だから他人の車が気になってしょうがない” には絶対に辿り着けない。
僕は ”自分の話をする” ことがどうしても耐えられない。だからと言って「自分以外の話をする」のが得意なわけではない。
やっと湧いて出た ”他人の車” への興味も「そんなことないですよ」「考えすぎですよ」で一瞬の内に粉砕されるなら、怖くて聞けない。もう、できなくていいし、共感されなくていいし、しても意味ない。
バイト先の人と雑談するようになって、居心地は良くなったけど、何のために居心地を良くしているんだろうか。少しでも楽しく生きようとしている自分は、やはり見ていられない。
居心地が良いばっかりに、本当に反省をする。
家で一人でいる時の自分なら、絶対にしない言葉選びやニュアンスのことを言ってしまう時があり、それが同じ日に連発してしまう。「疲れてる」とかじゃなくて、普通に緊張感がなくなっている。普通にしてたら僕は褒められたもんじゃないメンタルの人間なのに、それをもう本当に取り繕うことができない日がたまにあって、バイト終わりに本当に後悔する。
どうせあと半年で辞めるのに、どうせあと半年で断絶されrう人間関係でしかないのに、何を頑張ってパートさんや後輩のアルバイトと喋ってんだろう。
そう思ってしまうからしょうがない。自分に向いてないことばかりをする毎日は本当にきつい。
だた、自意識は自分の中から消えてくれない。完全に自分のせいだが、その日同じシフトの人となるべく全員と数十分は喋るよう頑張ったせいで、もう辞めることができない。自分の話にならない程度に質問し続ける能力が欲しい。でも自分じゃそんな体操な世渡りスキルを身につけられないことがもうわかりきっている。自分として22年時弱生きてるから、流石に分かる。
自分の中で一番気持ちよ〜〜〜く感じる身の振り方で生きていたい。
誰にとっての何者でもない人として、早く記憶から消えたい。
明日もアルバイトがある。そこで一旦色々試してみようかなと思います。
自分には到底できたものではないけど、乗り物は選べないので、自分は面白くない車窓で我慢します。
酒をしこたま飲んでも全然自意識を飛ばせず、ここまでnoteを書いてしまえるなら、もうなにもかもクソなんですよ。
#374 「他人の車が気になってしょうがない」