この鼓動は何のためか
ポジティブかネガティブかと聞かれたら、俺はネガティブの部類に入ると思う。
だけど別にポジティブになんかなりたくもない。
でも、”前向き”にはなりたい。
”過ぎてしまったこと”へのどうしようもない思考を、ある程度で切り上げられるようにはなりたいなと思っている。
だから、ハナからそんなことを考えもしないポジティブな人になんて別に憧れない。
でも、前向きな思考が欲しい。
他人から褒められた時に自分を下げて謙遜するんじゃなくて、相手を褒めて相対的に自分を下げる方法を取る方が良いはずである。
「いいね若者は、未来があって」なんて言われた時に、「全然夢も希望もないし未来なんて真っ暗ですよ」なんて、思っていても絶対言っちゃいけないと思う。
ネガティブをポジティブに変換してるわけじゃないから逆転の発想とまでは言えないが、思考の方向はなかなかに飛躍している。
他者評価由来の自信や自己肯定感は、評価してくれる人がいなくなった途端に消えてなくなる。
だから、他人から必要とされる人間・需要のある人間になってもしょうがない。
価値を感じてもらうこと、必要とされること、好かれること、大切に思われることが不必要だと言いたいわけではなくて、ただ単に意味がない。
あるに越したことはないのも何となくわかるけど、本当の意味での自信や自己肯定感をもたらしてくれない。
掴んでもその人がいなくなるたびに手放さなくてはいけない自己肯定感なんて、持っていてもしょうがない。
その度に落ち込まないといけないなら、最初からなくていい。
そうすると、何のために生きれば良いのかがわからなくなる。
必要とされてないなら生きることの目的はどこにあるんだと思ってしまう。
それを、前向きにする。
「何のために生きるのか」を「生きるために何をするのか」に転換する。
「自分が必要とされているから生きる」を「生きるために誰かを必要とする」に視点を変える。
ONE PIECEのルフィのセリフじゃないけど、「おれは、助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある!!!」くらいのマインドで別にいいのかもしれない。
誰かが建ててくれた家に住んで、誰かが育てた食べ物を食べて、誰かが家に届けてくれた服を着て、誰かが作った曲を聴いて、誰かが喋ったラジオを聴いて。
それだけで生きるに足る立派な目的になりうるような気がする。
自分が誰かを必要とする側になるというマインドが足りていなかったなと、すごく恥ずかしい。
マッチングアプリを始めたり、ガツガツ連絡先を聞いてみたり、積極的に異性を食事に誘ったり。
そんなことは今後一生やらないと思う。
僕には勇気というものがこれっぽっちもないので。
ただ、自分の凝り固まった思考と価値観を超えてくれる何かが、芸能人やアーティストさんではなくてもっと身近な人に対して生まれればいいなと思います。
今からバイトに行ってきます。
俺には必要としてるラジオやテレビや本やライブやイベントや旅行や趣味がある。
だから、金がいる。
俺の内にある価値なんて、どうでもいい。
もう少し、前向きで、能動的な人になりたい。
なれたら、この上ない幸せだなと思う。
ずっと健康で生きていてほしいな、と思える人は身近でなければたくさんいる。
そう思えているうちは、迷惑に思われるかもしれないけど、その人のために生きる。
とりあえずは、それでいいんじゃないかなと思えた。
自信、自己肯定感、他者評価は一旦全部後回しです。
#295 この鼓動は何のためか