土地鑑
お盆と年末年始は毎年祖父母の家に泊まりにいきます。気軽に会いに行ける距離ではないので、おうちに泊まらせてもらいます。祖父母に会えないというのは親戚にも会えないということを指します。両祖父母の家で毎回2泊ずつくらいするのですが、その2泊3日を狙い撃ちするように親戚が挨拶をしに顔を出してくれます。親族の中で、遠方に住んでいるのが僕の家族だけで、他の従兄弟たちと比べると親戚付き合いというものが異様に希薄です。僕は従兄弟たちと10歳くらい歳が離れています。僕が小学生の時、すでに従兄弟たちは高校生・社会人なわけで、話に混ざることもできませんでした。小学校低学年だと、「年に数回会えるお兄さん・お姉さん」という印象が強くてタメ口で話せていましたが、今は”基本”的に敬語です。わざわざお盆・年末年始の貴重な時間を割いて会いにきてくれているのに失礼があったらいけない、という気持ちが強いのです。
ようやく僕は大学生になりました。もうすぐ成人式です。そんな中で、もう従兄弟たちは結婚し始め、子供ができています。僕は従兄弟と歳が離れているので、幼稚園生くらいまでは従兄弟が遊んでくれていました。そのうちの一人がすごく面倒を見てくれた覚えがあって、その従兄弟に対しては割とタメ口を使えます。僕と従兄弟くらいの歳の差が、今いとこの子供と僕の間にあります。従兄弟の子供がみんな可愛くて、お盆と年末年始に会うのがいつも楽しみです。僕のことを面倒見てくれてた従兄弟もこんな感じで遊んでくれてたのかなとか思いながら、従兄弟の子供と一緒にカルタをしています。(僕がカルタを手加減しまくりながらやってるところは誰にも見られたくないです。)たまにしか会えない、というレア感か分かりませんが、めちゃくちゃ懐いてくれてて嬉しいんですよね。ショッピングモールに一緒に行った時、僕がTwitterを眺めながら歩いていると、空いてる側の手を握ってきやがるんですよ。「ごめんな、汚い世界を覗きながら歩いてて」って思わされます。人間の温もりって、ああいう部分なんでしょうね。普段そんなの感じることなんかないので、余計に嬉しくなります。
ここまでは本題とはあまり関係ありません。
親戚が僕らに会いに来てくれた時、決まって父親がしている会話があって、それが「今日はどの道路通ってきた?」みたいな話です。
「今日は最近開通した〇〇高速通ってきましたね」
「どうでした?空いてました?」
「今日は混んでなかったですね〜。道も綺麗で景色も良くて走りやすかったです」
「今度あっちの方行くんで通ってみます」
みたいな。ほんの一例なんですけど、こういう会話、めちゃくちゃよくないですか?僕の家は運転できるのが父親しかいないので、実家、父方の祖父母の家、母方の祖父母の家、今僕が住んでいる家、それらの周辺とその間の道路全部に詳しいわけで、なんか僕にはそれがすごくかっこよく見えるんですよね。帰省の際はいつも父親が10時間くらい運転していて、僕らは乗ってるだけでいいので申し訳なく思えてきます。(僕が免許持っていれば少しは楽をさせてあげられるのかもしれませんが.....。)
大人になり、車やらお金を手に入れて、行動範囲が広がることで手に入る土地鑑にめちゃくちゃ憧れます。
#215 土地鑑