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霜降り明星 粗品から考える現代コンテンツ論

YouTuberおもんないで一世を風靡した霜降り明星粗品さんについてなんか違うなと思い色々考えましたので書いてみようと思います。

何を食うかではなく誰と食うか

何を言いたいかというと知らないおじさんといく高級イタリアンより恋人といくサイゼリヤの方が美味しいですよねってことです。コンテンツとはそのもののクオリティだけではなくそれを取り巻く環境も併せて経験だと思うのです。ほとんどの人が人生で一番大笑いしたのは学生時代の友達との馬鹿話であってテレビで見たお笑い芸人の漫才ではないわけです。
テレビでお笑い芸人の漫才を見るよりYouTubeで見る好きな人のくだらないコンテンツの方が体験として上なことだってあるわけです。
高度に発達したリコメンドによって自分好みの表現者を見つけるのに苦労はしません。良いものより好きなものにこそ価値がある時代になったということかもしれません。

キャンセルカルチャー

現代コンテンツの最強格「ハリーポッター」の作者JKローリングさんもトランスジェンダーに対する発言できつめの炎上をするなどキャンセルカルチャーのパワーにはなかなか侮れないものもあります。
これもまた「何を食うかではなく誰と食うか」理論なわけです。ハリーポッターの面白さよりJKローリングの発言にもやもやしてハリーポッターを楽しめない人もいるわけです。

心理学的な補助線

心理学の用語だと思いますがPSIというのがあります。パラソーシャル・インタラクション(parasocial interaction)の略です。テレビに映った赤の他人であるはずの芸能人をまるで知人や友人のように感じてしまう心理効果のことです。

©花王

広告に芸能人が起用される理由もPSIなわけです。赤の他人が洗剤を薦めてきても買おうとはならないわけですが、みんなが好きな菅田将暉が薦めると買おうとなるわけです。赤の他人なのに。

好感度という下駄をみんな履いている

知らない人が漫才をやっていてもたぶんそんなに面白くないと思うんですよね。よく知ってる人がおもしろそうなことを言ってるから笑うんだと思います。
消費社会が「モノよりコト」消費なっていると言われ久しいですが、ある客観的な価値より主観的な体験に価値がある時代になったということです。
テレビなりYouTubeなり視聴者からすると粗品さんを見るのもYouTuberを見るのも同じように好感度という下駄を履かせて見ているわけです。

本当に大事なものはメディアにはない

結局のところ何が言いたいかというと粗品もYouTuberも赤の他人、パラソーシャルにすぎないわけです。本当はどっちもどうでもいい人間なわけです。
宮崎駿が「本当に大事なものは半径1mにある」と言ってましたがまったくもってその通りで赤の他人にもメディアにも煩わされず友達や家族などを大事にするといいんじゃないかと思いました。


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