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〒1 アーリーインザモーニングクラブ

 仙台へようこそ、戦火の跡とジャズの街へ。

 二十になって僕は八幡のあたりに住み始めたが、憧れの仙台はどうやらもっと東らしい。泉中央にとっちゃ八幡は仙台でも、仙台にとっちゃ八幡は八幡だった、どうしようもなく西のはずれ。自転車で行けば仙台駅まで二十分はかかる。多分に遠征だ。楽をしようと僕はいい自転車を買った。功を奏した。僕はとてつもなく動き回る男になった。自転車を買ってからというもの、全てが上手くいくみたいだった。悪いことがあったとするなら交通事故を起こしたくらいで。松葉杖を突きながら保険会社に電話したことある?あんなに惨めなことはないと思う。ただ、自転車はよりグレードアップして戻ってきた。謝罪の電話とシュガー・ラスクがたくさん入った菓子折りと共に。

 ツールドフランスを観始めた。ジロデイタリアも観た。ただ、一人で観るには退屈だった。僕は大抵勉強しながら観てた。そうするといいところだけ観れるし、テスト勉強もちょっとだけ進む。目の下のクマがひどくなったのはフランスが日本から八時間も遅れて正午を迎えるせいだ。ひどい時は深夜の二時まで観てた。セップ・クスが落車した。今世紀最大の悲劇なのは間違いない。

 台原のあたりだ。そうだ、文学館の近くだ。僕が初めて恋をした女の子に出会ったのは七月だった。馬鹿みたいに風が強くて、冗談みたいな速さで雲が流れていた。夏休みに入ってから始めた早朝ランニングの最中、僕は仙台泉線を泉中央から南下してたくらいで、橋を三度渡ったくらいで、人っ子一人いない県道22号を走っていたら、向かい側にも走ってる人を見つけて、それが彼女だった。とにかく彼女を覚えていたのはその時僕が十四だったからだ。

 彼女はサーティーワンアイスクリームをバスキン・ロビンスと呼んだ。アメリカの映画で俳優がそう呼んでいたからと言った。僕が山形の出身だというと彼女は山形のことを知りたがった。山形は田舎だよ、という答えじゃ満足いかないみたいでどんな田舎なのか僕は詳しく説明した。
「ミニチュアの仙台駅とその周辺を想像して」彼女はうなずく。
「その上を僕らがこのままの大きさで歩くような感じ」一歩でペデストリアンデッキがぺしゃんこになるってこと? - 本当にその通り。

 彼女について感心したことは僕の言葉にそれ以上の説明を求めなかったことだ。不完全なイメージを不完全なまま捉え、イメージのギャップを埋めようとしなかった。僕の言葉はそのまま彼女に入っていき、彼女の世界に馴染む。彼女の心にはミニチュアの仙台駅とペデストリアンデッキがあって、それは僕らが踏みつぶせるくらい小さい。それだけでよかった。それだけでよかったから彼女のことが少し好きだった。もう彼女について言うことはない。

 中山なんて行くんじゃなかった。疲れ果てた。ビアンキのロードバイクでもって登れない坂があるなんて知らなんだ。中山は自動車だってエンジンがうなるくらいの角度だもんな。天辺には観音様が建ってて、頂上近くに仙台で一番うまいラーメン屋がある。僕はそこで一番の親友と喧嘩したことがある。

 中山からの眺めはどこまでも鮮明で、人生はどこまでも続いていくようだった。太陽がアスファルトを輝かせると街路樹が緑の光を放ち、僕はこの日のために生きていたのだと確信した。そしてきっとこんな日はこれからもたくさんあって、その度に人生は捨てたもんじゃないと思えるのだろう。いつまで経っても変わらない空。東の空に飛行機雲があって、その下にはミニチュアみたいな市街地がある。思えば僕はこの街でずっとさみしかった。


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