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「やめる」という選択を決断できる強い心を
働き方改革、業務改善、スリム化…
おそらく似たようなニュアンスで使われている言葉はたくさんあるが、そのどれもが実を伴っていない。
何をしているのかわからなくなるほど、慌ただしく過ぎる毎日が、いつまで経っても変わらないのはなぜだろうか。
実際のところ、少しずつ働き方に変化が生まれている部分もある。
会議資料のペーパーレス化や行事の精選、地域への委託や協力依頼など、目に見えて変わっていくのを実感している。
しかし、忙しさが劇的に変わったかと言えばそうではない。むしろ、変わっている部分があるはずなのに、忙しさは変わらないと感じてしまうことすらある。
なぜだろうか。
「やめる」という選択が、排除された状況から話し合いがスタートしてしまうから。
私は、この原因の一つはこれだと思っている。
業務改善を考える際に、現場の思考のベースは、今あるものをどのような方法に変えれば、効率的になるかである。
これが良くない。
「やめる」あるいは「なくす」がそもそも選択肢にない。
どこかで前例踏襲型の話し合いが、この職業の基本になってしまっていると感じている。
やらなければならないこと以外を「やめる」。
もちろん、良いものをなくせと言っているわけではない。しかし、ここ数年の現場を見ていると、物事の本質を捉えて、良し悪しを考えられる人の方が少ない。だから、良いものかどうかが判断できてないのだ。
これでは、いつまで経っても働き方改革は進まない。
もしかすると、良いものかもしれない。それでも、やらなければならないことでないのなら、「やめる」という選択肢も含めて考えていくべきだ。
少し立ち止まって冷静に考えてみると、やらなればと思っていることは、意外とどうでも良いことだと気づくことができる。
「それ、やめましょう。」
ねらいと、得られる成果や効果を天秤にかけながら、やめる努力をしていきたい。