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アウトプットしていく
1年を振り返ってみて、、
「アウトプット」に対して、出口が少々塞がっていたような、、そんな1年だった気がする。
いつだってインプットはたくさん。
喜びも悲しみも、小さな気づきも、自分が受けた刺激を一部屋にとにかく突っ込む。そしてそのインプットは、あるきっかけがあると半ば暴走という形でアウトプットされる(笑)それは写真であることが多い。
そのきっかけも、また感情のパワー。ワクワクするそんなプラスの感情のときもあれば、悲しみや悔しさや屈辱の時もあるのだけれど、どちらかといえば「ふざけるんじゃない、見てろよ」そのパワーのほうが、よいアウトプットができたりするという・・(^^;
そういう悲しみや悔しさや屈辱のパワーって、ただ悲しんだり、相手に向かって返したところで何も残らない。いやむしろ嫌な思いだけが残る。だから違うところでアウトプットしていく。子供の頃はその道具はピアノだった。
そしてそういう時に役立つのがこのインプットの部屋。普段は暗くてごちゃごちゃなのだけれど、感情のスイッチがオンになるとパーッと電気がついて、よっしゃ整理しよ、みたいな(笑)
そうなるともう誰にも止められないし、終わるまでほかのことはいっさいせずに引きこもるので、同居している家族はほぼ呆れている。というか大迷惑らしい。
と少々脱線したけれど、、
今年は、その怒りのパワーが出なかった。
コロナという怒りのパワーを向けようにも向けられない見えない敵。
虚脱感やもやもやだけが残った。
それでも、この年末、そのアウトプットしていくという部分でとてもよい刺激を受けました。改めてアウトプットしていくことの意味もまた考える日々。
とにかく考えてるよりなにより、あれこれ突っ込んだインプットの部屋もだいぶぐちゃぐちゃしてきたし、そろそろ、「コロナ、ばかやろー。ふざけんな」
暴走の時期かもしれません(笑)
10月訪れた浴恩館より。子供の頃の学校帰りの遊び場。その頃からたぶんずっとあったのに見ていなかったもの。この歳になったからこそ見えるもの、感じるもの。まだきっとこの場所で見えていないものもあるに違いない。人生のタイムトラベル、過去に戻るのと未来を覗いてみるのと、、
さて貴方はどちらが好きですか?