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寝正月に思うこと。
個人的に毎年お正月は寝正月なんだけれども、今年はそのいつもの寝正月が世の中的には「普通」ではなくて。いつも通りだらだら過ごしながら、あれこれ考えていた。
私の時代は子供の頃、お正月にやっているお店もなかったし、年末あれこれ買い込んで一家総出でおせちや保存食を作る。野菜は床下に収納して保存。
1週間、ただひたすらそれをいただく、という今思えば、ずいぶんと<我慢>の生活だったように思う。ただ当時、我慢しているという感覚はなかった。それがあたりまえだったから。
便利になれば人はそれに慣れる。だから「できない」ということが我慢になってくる。
ただ、その頃に戻っただけよね、と思える世代の人間にとっては、その我慢度は、それを知らない世代と比べたらはるかに気持ち的には軽いものではないかなと思う。
「我慢しましょう」
訴えている世代は、そういう時代を生きてきた人たちで、今の生活が普通で育った世代の人に自粛という形でそれを訴えたところでたぶんちょっと無理があるのではないか。昔はこうだったんだからなどという言葉も説得性を持たない。我々自身がもうすでに今の便利な世の中に慣れきっちゃってるのだから。
流れてくるTVのニュースでも若者たちの言葉からそんなことを感じた。
生きてきた時代を背景とした我慢すること、の温度差。
誰もが、「早く終息してほしい」と思っているけれど、
我慢すること、自粛することの温度差は、これにかぎらず人それぞれ。
人の感情をコントロールすることはできないし、そこに正解はない。
だからこそ、舵をとる人も必要だし、そしてまたその資質も問われる。
まぁ来年の寝正月は、こんなことを考えず、ただぼーっと寝ていたい、と思う(笑)