バレンタイン・エッセンス
--- Tokyo。
「ふふふ、あのさあ・・・」
彼女はそう言って覗き込むようにして僕を見て、楽しそうに笑った。
「なに?変な笑いして」
「やっぱ、キャベツ残してるんだ~」
「ん?」
「嫌いなの?」
まるで小さな子供に尋ねるみたいだ。
「ははは、ばれた?」
「やっぱね。学生の頃さ、皆でよくお昼ごはん食べたでしょ?」
「ああ、ミーティングの後ね」
「それでさ、とんかつ定食とか食べると、いっつもキャベツ残してたでしょ?」
「ははは、マジで?よくそんなの覚えてるね」
「うん、なんかさ、キャベツ残すって子供みたいだから・・・」
頬杖をつくみたいに両手のひらで頬を包み込むようにしながら、少し懐かしそうな顔をしてそう言った。
◇ ◇ ◇
彼女は大学時代のクラスメートで、僕は密かに彼女が好きだった。
数年前、大学の同窓会が開かれることになり、海外にいた僕は残念ながら出席することができなかったんだけど、その時配られたメーリングリストのコピーを友だちが送ってくれ、僕は彼女のメールアドレスを知ることができた。
メーリングリストの彼女は既に名字が変わっていて、カッコの中に書かれた旧姓が時間の流れの速さを物語っているようで、少し切なく懐かしい気がした。
その後、仕事で東京に行く用事ができたため、思い切って彼女にメールを書くと、「ランチなら」ということで僕たちは品川のレストランで食事をすることになった。
◇ ◇ ◇
「ははは、あっ、じゃあ俺も言うけどさ」
「なになに?」
「ひろこちゃんさ、いっつも、プリン食ってなかった?めし食った後いつも」
「え?あたし~?あ、もしかしてグリコのやつ?」
「かもね。今でも食ってんの?プリン」
「ははは、まさか~」
彼女はケラケラ笑いながら「よく覚えてるね」と嬉しそうにしていた。
「今だから言うけどさ・・・」
「ん?」
「圭ってさ、なんか、お父さんみたいな人だなあって思ってた」
「はぁ?お父さん?」
「うん。みんなでさ、山とか登ったでしょ?」
「ああ、あったね」
「お~い、ここ、滑るから足元、気をつけろよ~とか言って、自分で転んでんの」
「ははは、そうだっけ」
そんなことすっかり忘れていたので、その頃の思い出が一気に蘇るようで、可笑しくて可笑しくて僕たち二人は涙を流すほど笑ってしまった。
「あのね」
彼女はそう言って、グラスビールを一口飲んでから、僕の目を見て言った。
「はっきり言って格好いいほうじゃなかったけど~」
「なんだそれ」
「この人と結婚する人は、幸せになるかもしれないなあって思ってた」
僕はその言葉に少しドキッとした。
「はは、マジで?じゃあさ、好きだった?俺のこと」
「え?ははは、正直言うとタイプじゃなかった~」
「え~そうなの?」
「うん、若い頃はね、男見る目なかったから」
「はは、じゃあさ、今はどう?」
「うん、いいんじゃない」
彼女は、グラスを僕に向け「カンパイ」と言った。
「ねえ、明日、帰っちゃうんでしょ?」
「うん、2時の飛行機」
「そっか・・・」
「え?まさか見送りに来てくれるの?」
「行ったら何かご褒美くれるの?」
「いいよ」
「え?なに?」
「キスしてあげる」
「ははは、バカ。絶対行かない」
そうして僕たちはまた懐かしい話で笑い転げ、やがてランチタイムが終わった。
僕は別れ際に飛行機の時間を伝え、「見送りに来てくれたらご褒美あげるよ」と言うと「しつこい」と笑って「またね」と言って別れた。
◇ ◇ ◇
そして翌日、羽田空港の国際線ターミナル入口。
なんとなく僕は、彼女が見送りに来てくれるようなそんな期待が捨てきれず、出国ゲートの前で彼女を待っていた。
(まあ・・・来るわけないよな・・・)
そう思ってあきらめて、ゲートに入ろうと思ったその時、僕は見た。
エスカレーターを降りて小走りにこちらに向かってやってくる彼女を。
彼女は、茶色の長いスカートをはいて、少し照れくさそうにしながら見送りに来てくれた。
「来てくれたんだ!」
「うん、ひとりじゃかわいそうだからね」
僕は嬉しくてつい彼女の肩を軽く抱きしめるみたいに引き寄せると、彼女は恥ずかしそうにしながら少し潤んだ目で僕を見て言った。
「あのね、もうすぐバレンタインでしょ?」
「バレンタイン?」
--- もう、何年もそんなこと忘れていた。
「学生の頃ね、圭にチョコあげようと思って、結局一度もあげられなかったから」
彼女はそう言ってこげ茶色の小さな紙袋を僕に差し出した。
「マジ?」
僕はそれが何を意味するのか、もしかしてそれは彼女が僕を好きだったということの意思表示なのかと、あれこれ頭の中で色々な思いを駆け巡らせてみた。
「仕事、がんばってね」
彼女はやさしい眼差しで僕を見つめた。
僕は腕時計を見て少し時間を気にしながら、「あのさ」と彼女に何か尋ねようとした。
「もう、時間でしょ?」
彼女は、僕の言葉をさえぎるようにそう言って笑った。
僕はそれを見て、これ以上何も聞かない方がいいのかな?と思い、彼女に手を差し出し僕たちは握手をした。
「来てくれてありがとう」
「うん、気を付けてね」
そう言って、僕は彼女を見つめながら後ろ向きで歩き出し、そして足を止めた。
「あ、ご褒美・・・」
「え?」
彼女は一瞬、少し驚いたような顔をして僕を見た。
僕は彼女のもとにもう一度歩み寄り、頬にかかった髪を少しかき上げ、頬と耳元の間あたりに軽くキスをした。
「ははは、バカ・・・」
彼女は、嬉しそうに笑ってた。
あの頃の思い出が、一瞬二人の間にバニラエッセンスのように溶け込み、甘く切ない香りを漂わせ、かなうはずのない恋に少しだけ浸った。
--- バレンタイン・エッセンス
それは2月の魔法なのかな・・・
City: Tokyo
Photo: David Mark
バレンタイン・エッセンス お.わ.り.
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