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家庭とは、家族の生活の場のこと、らしい。

1月14日

食あたりで1日寝込んでいた。年始のインフルより高熱でちゃったよ。
食欲などまるでなくて、お茶やスポーツドリンクを飲んだだけでも胃腸がキリキリと痛い。
24時間以上絶食して、ちょっと体が軽くなった。図らずもプチファスティング。現代の日本人は日々食べ過ぎだから、こういうことで本来の体の感覚、みたいなものをちょっと感じられる気がするね。大げさだけど。
最低限の連絡だけして、ひらすら胃痛と熱に耐える。


1月15日

体調くずしている場合ではなかった。
という言葉が、1日中頭の片隅でチカチカとサインのように出ていました。そうだった。こういう毎日が数ヶ月前から続いているんだった。自分と家族の体調不良で麻痺してしまっていたけど、完全に目が冷めた。取り返さなきゃ。胃が痛い。うう。
午前中は足元がおぼつかず何度もフラフラ躓いてたけど、リハビリの時間もなく必死で1日走っているうちに気づけば日常のペースを取り戻していた。1日やりきって遅い時間に家へ帰り、子どもたちの寝顔を見て、お風呂にさっと入った。
やっと一息。と思ったら、さっきから数分おきに洗濯機がエラーを出している音が聞こえる。家事をほとんどすべて(ほとんど、より、すべて、のほうが比重高めの「ほとんどすべて」)やってくれている夫のため息が聞こえるので覗いてみたら、床に大量の水。排水がなんとかかんとか、とのこと。よくわからないけど洗濯機の穴?から大量に水が出続けているので、夫といっしょにバケツとタオルで対処する。だんだん笑えてきた。夫がバケツリレー担当、わたしは床拭き担当。まあまあな時間をかけて、洗濯機が水を吐き出しきった。ふう、終わった。
気づけば日付がかわっている。あれ、誕生日だ。床の水を吹いていたら36歳を迎えていた、と言って夫と笑う。良い1年になりそう。

好きすぎて夫に毎年リクエストしている白味噌のお雑煮
我が家の定番になってきた


1月16日

朝、東京の友人から会社にレターパックが届く。
頼まれた書類と一緒に、ほんのお礼に、と老舗菓子店の箱に包まれたブランデーケーキが入っていた。思いがけない東京からのプレゼントに、華やかな気分になる。

商談3件、採用面接2件、社員面談3件と、1日ドタバタと過ごし、あっというまに夜。今日は、36回目の誕生日である。子どもたちがケーキを準備して待ってくれている。普段だいたい夜遅く帰るわたしを、今日は早く帰ってね、夜ごはん食べずに待ってるからね、ママが食べたいケーキ買っておくからね、と言って朝見送ってくれた。もう19時を過ぎた。帰らなければ。1つ残っていた業務を、社員さんが快く引き受けてくれて、帰らせてもらう。
帰宅し、リクエストした鍋とケーキを家族で食べる。甘いものが苦手なわたしと、ケーキを食べたい子どもたち+甘党の夫。今回主役のわたしはなんでも良いので、ホールケーキではなく、みんなが食べたいケーキを1Pずつ買ってもらった。
2歳の娘が「はっぴばーすでーまま、はっぴばーすでー、まま」と何度も歌ってくれる。1Pの小さなモンブランにたくさん刺されたろうそくの火も、娘が(勝手に)吹いてくれた。みんなでたくさん笑って、珍しく4人で集合写真も撮る。ああ、家庭ってこれ?って思った。「しあわせ」も「家族」も、わたしにとっては割と身近で日々感じるものだけど、「家庭」ってなんかずっとぴんとこない。

「家族」は夫婦や親子,きょうだいといった人や, そのような人々の集まりを指す言葉として使われます。
「家庭」は家族の生活の場を表す言葉として使われます。

教育図書(https://www.kyoiku-tosho.co.jp/b_data/2020/tb_mihon/k012-013.pdf

とのこと。なるほど。

我々家族は、わたし・夫・息子の3人が、それぞれ同じ家の中でバラバラの活動をしていた。いつも。一緒にどこかへ出かけてもそう。車の中でもそう。家の中でももちろんそう。近くにいても全員が1人の時間と空間を過ごす。そんな3人のチームだった。
そこに、誰かとなにかを共有したい!喜びをいっしょに分かち合いたい!見て見て!聞いて!パパ!ママ!!…という、いたって子どもらしい娘がジョイン。娘が鎖となって、我々家族は少しまとまりが出てきた。それでも、だいぶゆるやかなつながりだと思う。
先日家族で元社員がやっているカレー屋さんに言った。食事をしながら「ママ、おいしいね。パパ、おいしいね。にいに、おいしいね。ママ、これあげる。パパ、これやって?にいに、これ食べて」と喋り続ける娘と、それにただただ答えるその他3人を見た元社員さんは、「しっかりしてて、2歳とは思えない。娘さんが中心で会話を回してて驚きました」と言われた。うん、たしかに。最近の我が家において、会話を回してるのは娘だ。主張が強く、喜びや楽しみを人と共有したい彼女は、我々を振り回しまくり、いろんな気付きや驚きを与えてくれる。

わたしは生活に極端に興味がない。息子もそう。
娘は、生活の一つひとつに興味があり、楽しんでいる。すごいなあと思う。
着替え、歯磨き、靴を履く、ごはんを食べる、風呂に入る、荷物を持つ、など、ちょっと先回りしてやろうとしたら「◯◯ちゃんがやるの!」「◯◯ちゃんが自分でできるの!」と怒る。言われなくても自分で段取りをくんですべて積極的にやる。素晴らしい。生活力という点では、すでに息子(7)とわたし(36)より格段に上である。
生活は、極力夫に任せたいわたしと息子。息子はさておき(将来ママみたいになるぞ、と夫がある程度自分でさせている)、わたしの生活については夫が完全サポートしてくれている。
(だいぶ脱線したけど)だから、「家庭=家族の生活の場」がぴんとこないんだな。ケーキを食べながら、そんなことに気づいた36歳。だいぶやばいのかもしれない。生かされている。今年もよろしくお願いします。

ある日の朝食
生活が苦手なわたしはいつもコーヒーのみ

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