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【ほぼ日手帳】日付あり手帳の、ゆるやかでも確実に存在するプレッシャー。

ほぼ日手帳を使い始めたのが、たぶん2013年からなので、気づいたらかなり長いお付き合いになっている。

実は、2024年はついに卒業か…。と思っていたのだけど、びびっとくる出会いをしてしまった去年の秋ごろ。

数年ぶりの「1日1ページ」の元祖ほぼ日手帳スタイルを日常に取り戻してから、あっという間に半年以上が経っている。

もしかして、これはびびっとしただけの、衝動買いかしら?なんて思ったのは秋ころだけで、これがぴたっと日常に組み込まれた。

もちろん、毎日同じ時間に、コーヒーをすすりながらノートを広げて、暮らしを書き残す…。なんて理想は叶っていなくて。そういう大人になりたいなぁと思ってはいるんだけど。

でも、ぱらぱらと見返してみたら、ほとんどのページが何らかの形で埋まっている。良き。

・できるだけ淡々と1日をかきつらねる
・数日前までさかのぼってもよい。
(というか、2,3日まとめ書きが定着)
・数ページまとめて開いちゃったらノートとして使う

できるだけシンプルに、続けやすい形を模索してみたら、ほとんどのページが埋まったではないか。しかも、くだらない、特別でもない毎日が、確実にそこに残されている。

今年はなんだかnoteが亀ペースなのは、ほぼ日手帳の方に書き込んでいるからなのかもしれない。

で、今年の「ほぼ日祭り」。8月の情報公開シーズンを数年ぶりにわくわくしながら楽しむ。そして2025年ラインアップ公開の日を迎える。

むむ。

去年の猛烈なびびっを期待しすぎたのかもしれない。

むむ。

ど、どうしよう。

びびっが、全然こない!!!

そこからは迷走のスパイラル。びびっと来るのがないなら、無理に買うこともないか。しょぼーん。

だがしかし、1日1ページで暮らしを残すルーティンは身についていて、これは続けたい。では、どうしたものか。

とてもシンプルな、無難な、でもたぶん美しくはあるんだろうなぁというやつを選ぶか。でも、それなら、ただのノートでもいいんじゃない?個人的に好きなStalogyの365Days noteでも十分かもしれない。

とか、ね。びびっがないと、逆にこんなに悩むものかと。

でも、今年、なぜ、こうやって日記を続けられたのかな?って思い返してみたら、やっぱりほぼ日手帳の「もう日付が書いてある」というところがポイントだなと。

日付が書いてあるというだけで、なんとなく「その日」のことを書きたくなる。できれば「その日」のうちに。

お名前の通り「毎日」書く必要はない。「ほぼ」書いていたらいいじゃない。

というゆるさを漂わせている、カラフルな色合いも優しいほぼ日手帳。

でも、でも。

やっぱりそこには日付があるという、ビシビシと感じるわけではないんだけど、じんわりと、やんわりとしたプレッシャーがあって。

書かなかったら、そこには余白が残る。その余白が語るものもある。
でも、やはりちょっとは書きたい。せめて3日以上は開けたくない。

これが苦しいと感じる人もいるのかもしれないけれど、私にとっては心地の良いプレッシャー。書きたいときに好きなだけ書いたらいいノートも持っているんだけど、それはやはり日付入りの手帳とは、感覚が違うんだよね。

なにげない毎日を、書き残すことで、ちょっとだけ思い出しやすくなるし、どうでもいいことが「思い出」として残る。

息子がこんなこと言ったとか、あれはいやだったなとか。いいことも、悪いことも。ジャッジすることなく、淡々と受け止めてくれるほぼ日手帳。

びびっとしなかった…。というのは、ちょっと失礼かもしれないのだけど、でもやっぱり、来年もお世話になろう。

そんなことを思った、ほぼ日2025リリースと、ウェブサイトのパンクの混乱ぶりと、あれこれ迷走してくたびれ果てた9月上旬。

うん、心は固まりました。さて、次の1冊をオーダーしよう。

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asa|minimalish life
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