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【ココロ】 50点の子を作り出す「間違った褒める教育」
怒らない教育や指導方法が推奨され、罵声や体罰などの指導方法は見直されています。
今回は「褒める教育や指導」について書きます。
公共の場で騒いだり、他人に迷惑をかけている子どもたちを見て、一度は思ったことありませんか?
「親がちゃんと注意しなさいよ😩」
「親がちゃんと躾けないと…😩」
「○○ちゃん、これやっちゃダメよ〜」と甘い声を出しながら注意をしている親を見て思ったことはありませんか?
「いやいや、子どもにこれっぽっちも響いてないよ。ちゃんと叱りなよ!😠」と。
そして疑問に思いませんでしたか?
「怒らない教育、褒める教育って正しいのか??🤨」と。
*「自信をつける-1自信はどこから生まれるのか」も参考にしてください。
頭の中にはメモリがある
頭の中にはメモリのようなものがあると思ってください。
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その一つ一つのメモリにはタグがついていて「自分」というものを作り出し「わたしとはこういう人間だ」と主張します。
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メモリの中には、自分のことだけではなく「自分以外の他人」についてのタグもあります。わたし(自分)がその人(他人)をどのように思っているのかを示しています。そして「〇〇はこういう人間だ」と思い込んでいます。
これは、その人自身がどう思っているか(主観)は全く関係ありません。
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さらに、信念や価値など、あらゆるものにも同じようにメモリがあります。「わたしは〇〇に価値があると信じている」「わたしは〇〇だと思っている」
これらの「印の位置」が人それぞれ違うために意見のすれ違いがあります。「価値観の違い」とはこれです。
「友情よりお金を取るなんて信じられない!」という人は、友情に高い価値をおき、お金に価値を置いてないのかもしれません。反対に「お金が全てだ。お金がなければ自分は卑屈になり、友情さえも大切にすることはできない。だからお金が必要だ。」という人は、友情とお金を天秤にかけた時、お金のほうが重く価値のあるという信念があるのでしょう。
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これらはどうやって作り出されたのか?
生まれた瞬間から「わたしは足が速い!」「お金こそ全てだ!」なんて思う乳児はいません。
①周囲の人たちに繰り返し言われた言葉の積み重ねによって出来上がります。
それから、
②自分自身が繰り返し呟いた言葉の積み重ね(セルフ・トーク)によってより強固なものにしていきます。
①周囲の人たちから繰り返された言葉
子どもの頃は家族、学校の先生、習い事の指導者、友人などからの言葉の積み重ねによってうっすらと出来上がっていきます。
大人になると、友人や組織(会社など所属するもの)、組織の仲間などの言葉の積み重ねによって変化していきます。
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②自分が実際に発した言葉、頭の中で呟いた言葉の積み重ねでそれを強固にする
周囲から言われた言葉を、実際に発したり、頭の中で繰り返しつぶやいたり(セルフ・トーク)することで、それをより強固なものにしていきます。
肯定的な言葉だけではなく、否定的な言葉を使ったとしてもメモリの印はしっかりつきます。例えば、「足が遅い」と言われたことに対して「わたしは足が遅くない!」とい言い続けたとしても「わたし=足が遅い」という印がつきます。「足が遅い」を覆すには「わたし=足が速い」というセルフ・トークが必要になります。
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50点を褒めるとはどういうことか?
「点数」で良し悪しを決めるのは適切とは思いませんが、ここではわかりやすく数字を例にあげます。
50点とはテストの点数と思っても構いませんし、50点のパフォーマンス、50点の行動などあまり思わしいくないものだと考えてください。
50点を取った子に「よく頑張ったね!偉いね」と褒めるとはどういうことでしょうか?
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「あなたは50点の子ですよ。」
「あなたは50点の子だから、50点取るなんてすごいね。さすがだね。」
と言っているのと同じです。
「あなたは50点の子ですよ」
と言われ続けた子は、どうのような子に育つでしょうか?
「わたし=50点」「50点がわたしらしい」
50点が自分だ!というメモリが出来上がります。
自信がないわけではなく「50点=自分である」ことに自信を持っているので100点を取る必要がないという考えです。
点数を行動にして考えてみましょう。
公共の場で騒いで周囲に迷惑をかける行動をしている子に対して、何も教育をしないとその子の頭の中にはどいうメモリが出来上がるでしょうか?
公共の場=自宅と同じ よって騒いでも良い
自分の好きなことをすること(価値)>他人のことを考えて行動をすること(価値)
子が大きくなっても50点しか目指すことをしなかったり、他人のことを考えずに迷惑行動をしたりして親が嘆いたとしても、ある意味その子は親の教育通りに成長したと言えます。
では、どうするか?
「やっぱりしばき倒すのが正解なの?」
罵声、体罰をしたところで、その子の頭の中のメモリは
「ぼく=できない」になり、自信のない、劣等感をいただき続けることになってしまいます。
「あなたはできる子だ!」と信じているのであれば、それを基準に伝えてあげればOKです。
できた=あなたらしい
・「さすがだね!」
・「できると思っていたよ!」
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できなかった=あなたらしくない、もったいない
・「失敗しちゃうなんてらしくないね」
・「できなかったか、もったいなかったね」
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挑戦すらしなかった=あなたらしくない、勿体無い
・「やらないなんてもったいないね。やればできるのに!」
・「挑戦しなかったんだ。ちょっと君らしくなかったね。やればできるのに!」
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そしてその子が失敗をしたこと、挑戦しなかったことを悔しいと思うのであれば、これからどうすれば良いかと一緒に考えてあげましょう。
権利と条件
ここからは個人的意見です。
権利には条件が付きものだと私は学びました。
お店に入る権利がある。
でもそのお店に入るには条件がある時があります。
最近ではマスク着用が条件だったお店がありました。
「法律で定められたわけではない!」と騒ぎを起こした人も世界中にいましたが、条件を満たしていなければ、入る権利はあっても入る資格はなかったのだと思います。
ドレスコードがあるところに「法律で定められたわけではない!」と言ってTシャツジーパンで入るのでしょうか?「お子様はお断りしています」というところに連れていくのでしょうか?
条件を設けるには何かしらの理由があります。
「マスク着用」を条件にした理由を考えると、マスクができない人に対しての別な策があっても良いかとは思いましたが。
学校や公園、商業施設など条件が提示されていない場もあります。しかし、そういった場は「目的」が明確です。学校は学びの場なので「学びにふさわしくない行為(学びを妨害する行為)」は子であっても保護者であってもダメはダメです。
入学前にそれ(条件)を予め伝えて(教育)しておくのは家庭の役割だと思います。
まとめ
50点を褒めると50点の人になります。
思考を変えることはトレーニングです。筋トレと同じく継続が必要です。この行動は褒めるべきかどうか、この行動を褒め続けたらその先どのような結果が来るのだろうか、そんなことを考えながら行ってみてください。
以前、明らかに力を発揮していない中学生がいました。
「宝の持ち腐れさんかな?もったいないね。本気を出したらもっとすごいだろうに」と言い続けていたのですが、その子が力を発揮できない理由は「腰痛」があったからでした。なんとも申し訳ないことをしたと思いました。その後、腰痛改善と不安除去に取り組みました。
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