友情
「ずっと好きだったよ」
と、突然、彼から愛の告白をされたあの日曜日の夜。
二人が昔住んでいた街の、渋谷駅から徒歩十分のところにある、二人のお気に入りのあの店で。
ぎこちない冬の日だった。
「過去形?なんで今さら言ったの?」
困惑して、彼から顔をそむけたわたしは、彼の表情がよくわからなかった。ありがとうの言葉さえ言いそびれた。
「来週、引っ越して彼女と同居し始めるから」
確か去年の6月だった、彼と最後に会ったのは。確か二人で誕生日のお祝いをした。その時、二人のお気に入りのお寿司屋さんで、彼は彼女と別れる、なんて、愚痴を言いながら、14皿程も食べた。
「数ヶ月前に別れたい、大っ嫌いって言ってた、あの彼女と同居するの?」と、くすっと笑いながら意地悪を言ってみたけど、実はその場の空気を変えるのに必死だった。
「コロナ禍だったからこそかもしれない。彼女と彼女の犬が部屋に半年もずっと泊まっていたからさ。今の部屋、ペット禁止なんだ。引っ越さないと」と、彼は言った。
そう、彼は犬派だった。
わたしは猫が好き、というより、もはや猫の奴隷。
今まで彼のわたしへの想いに気づかないふりをしてきてしまった理由はそれかもしれない。犬好きの彼とは運命を感じなかったのだ。
気づかないふり?
いや、そんなんじゃない。彼はわたしを恋愛対象として見れない人なんだと思ってたんだ、ずっと。
少なくともそうゆう風に見えたのだ。
あの夏の日も、今でも覚えてるよ。荒川の花火大会で初めて浴衣を着たわたしを、大勢の人を避けるために斜めの土手に連れて行こうとした彼。
滑りやすくて下駄で歩きづらかったんだよ…
ああ、恋愛対象としてでも女の子としてでもあまり見てないんだな、と。
彼の部屋には三回ほど行った。それなりに片付けられていたその部屋には別に行きたくはなかったけれど、彼に騙されて連れて行かれたこともあった。
あまりにもいい匂いすぎた彼の部屋は、わたしには居心地が良くなかった。早く帰りたい顔をしてしまったのは、その密室で二人っきりになるのがいやだったからだ。
「君とのチャンスはないと思ったんだ。だから言わなかった」
「前に言われてたら、今こうゆう風に会うことなんて多分できないよ」と言ってしまった自分に腹が立った。言う必要はなかっただろう。
気まずくなった彼の表情。わたしの返事をずっと知っていたかのような彼のその表情。
彼とは親友と言えるほど近くはなく、友人と呼ぶよりも少しだけ密度が高く、この国にいる人の中で彼はたま~にだけ話す、疎遠になりそうな兄弟みたいな、そういう関係だった。
彼とは疎遠になるのかな?
冗談でわたしの母語の口説き文句でドキッとさせようとした彼は可愛かった。
6月6日の0時過ぎになったとたんおめでとうとラインを送ってくれた彼。
先に社会人になったわたしに一万円以上のステーキをおごってくれた、まだ大学生だった彼。
男性の同期と学園祭を見て回っていたわたしを見た彼。
あの時、やきもちなんかやいてたのかな?
毎年ホワイトデーになると、ハート形のチョコが入った高そうな箱をわたしの研究室の席にいつも置いていってくれた彼。バレンタインチョコなんて一度もあげたことがないのに。
ねぇ、わたし、バレンタインに男にチョコあげたことないんだよ。
ヤマダ電機でMariage d’amourを弾いて途中でやめた彼。
「予告だよ。君の結婚式で最後まで弾いてあげる」
と、口にした彼。
ねぇ、結婚式、多分ないんだよ。あの時、最後まで弾いてくれればよかったのに。
ねぇ、わたし、多分、この街でこれからずっと一人だよ。どうか、この関係のままでいてくれる?