時間、目的、"仕向ける"ということ~よのなかゼミ2019年7月回 感想
以前より度々参加している「よのなかゼミ(詳細はこちら)」という集まりがあるのですが、2019年7月回にテーマ提案・企画として関わり、先日無事開催に至ったので、その内容と感想レポートを書いてみました。
参加者は私を含め5名で普段よりやや少なかったのですが、濃密な話ができてとーっても楽しかったし、日常に繋がる回だったなというのが率直な感想です。長文ですが宜しければご一読ください。
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テーマタイトル:
「教えること/教わること~“ちょっと違うんだよな”のその先へ~」
参加者:
・くるくるさん(管理職、まりまりさんの上司)
・まりまりさん(くるくるさんの部下)
・けんけんさん(営業)
・まっちょさん(ゼミ長、未だに一言で仕事が言い表せない笑)
・じょー(私です、営業~コンサル)
このテーマを企画した背景なのですが、「後輩に仕事を教える」という仕事が多くなってきた私が、「今自分が教えている内容が果たして正解なのか?」と悩んでしまったという出来事をきっかけに、普段みんなは教える/教わる(教えられる)ことについてどんな風に考えているんだろう?というのを聞いてみたかったところから始まっています。
今回は大きく以下の2点、
①人に教えることの難しさを感じた出来事(特になければ、自分が普段している工夫)
②こう教えてもらってよかった!/これはちょっと…と思ったこと
について、ざっくばらんに話し合ってみました。
印象的なトピックを抜き出してみます。
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【“教えること(教え方)を教わっていない”問題】
これはまさにそのままで、新任リーダー研修などがある会社では違うのかもしれませんが、普段働く中で「教え方研修」なんてものは無いことが多いよね(もちろん私も)、という話がでました。
結果的に、自分の過去の教えられた経験などを参考に、教える立場の人一人ひとりによって異なる我流の教え方を駆使して後輩の指導に当たる、ということが通例のようです。これは確かに教えることに悩んでしまう人がいても不思議じゃないですよね。
【「何かをできる人=それを教えるのがうまい人」とは限らないのに(“名選手は名監督になれない”問題)はよく聞く話なのに、なぜ一般的に「できる人=教えるのもうまい人」と思ってしまうのか?】
まっちょさんが投げかけてくれたこの質問ですが、かなりのキラークエスチョンでしたね…これは未だに自分の中で答えが出ていないのですが、もしかすると「教える能力」、もっといえば「コミュニケーション能力」というものが長い間無視されてきたから…?とか妄想してみたりしています。これはもう少し自分の中で考えてみたいテーマです。
この質問に関連して、日本の一般的な評価制度って、「プレイヤーとしての能力が高いからマネージャーの地位に上げる」というものであり、本質的には「プレイヤーとしての能力≠マネジメント能力」のはずという話にもなりました。よくよく考えてみると合理的ではない感じ。
最近では自分の適性やキャリアに合わせてプレイヤーコースかマネージャーコースかを選べる、といった仕組みにしている企業もあるようで(けんけんさんの会社がそうみたいです)、そっちのほうが教える/教わる側両方がハッピーになれる気もしますね。
【Apple製品には説明書がないのに、いろいろ触ってみようと思うのはなぜか】
新しく手に入れた製品の説明書を読むというのは、「教えられる」という
体験と同じ、という話から、Appleの製品には説明書が付属していないのに、なぜみんないろいろいじって使い方を覚えようとするのだろう?という
疑問が出ました。これもとてもアツい疑問なのですが、結論として「触ってみたいという意欲=学ぼうとする意欲を掻き立てるから」という理由にまとまりました。逆に言えば、その意欲を掻き立てる仕掛けを作り、「仕向ける」ということが教える上では重要なのでは?ということです。
改めてこれはかなり重要な気づきポイントでした。
【“わからないことがわからない”問題】
指導をする中で、時折「何かわからないことある?」というように聞いてみると、「特にありません」といった反応や、「今の段階では、何を聞いたらいいかわからない、わからないことがわからないです…」といった反応が返ってくることがあります。後輩のためを思って質問しやすい雰囲気を作ろうとしての発言が、逆にプレッシャーを与えているかもしれない。質問を確認するのにもタイミングがある、むしろ初期の段階では別のアプローチをしたほうがいいのかもしれない、ということを認識しました。
【相手にどう伝わるか考えて伝えること・伝える相手に適した伝え方をすること】
上司-部下関係であるくるくるさん・まりまりさんのエピソードなのですが、くるくるさんは、まりまりさんが他店舗から自店舗に移ってきたとき、その中で、まりまりさんが「具体的な数値だと理解しやすい」タイプだということを知ったくるくるさんは、データを基にしてまりまりさんと販売戦略を練るようになったそうです。確かに、数字がいい人・文字がいい人・図がいい人など、理解のしやすさって人によってバラバラですし、相手の理解しやすさを知るためには、コミュニケーションをとるしかないですもんね。
ただ、この話を聞いたとき、「密なコミュニケーションは大事だけど、全員と4時間ミーティングする時間はあるのか?」という疑問が湧きました。
くるくるさんがそのミーティングを設定したのは、まりまりさんができる人だという情報を事前にキャッチしていたからだそう。となると、逆に仕事ができない人とは10分ミーティングで良いのでしょうか?
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以上のように、たった2時間の間にこんなにも興味深い話題がいっぱいで、個人的にはもう2時間離せそうな勢いでした笑
会の終わりにで、参加者の皆さんに
「人に教える上でこれからやってみようと思うこと」を聞いてみたところ、
・自分を客観視する
・教える/伝えることについて考える時間を作る
・仕向ける、ということを考えてみる
・教える相手のことを知る
といった宣言が出てきました。皆さんに持って帰ってもらえそうなものができて、企画者としてもうれしい限りです。
最後に、実は前からうすうす考えていたことが、今回のよのなかゼミに参加して、より鮮明になった気がしたので書き留めておきたいと思います。
それは「教えることの目的」、さらに言えば、「教えた相手が、教えた内容をできるようになることによって何が達成されるか」ということを考えること、の必要性です。
「教える」という行為は、それがなぜなされるかを考えず、ただ「仕事だから」の一言で片づけられてしまいがちです。そうなると、ついつい教えることが時間的・労力的な「コスト」と捉えられてしまうのではないでしょうか。でも、例えば教えることによって相手がそれを理解し、自分でアウトプットできるようになれば、教えていた人はまた別の新しい仕事ができるようになるかもしれず、組織としてできることの幅が広がっていきます。
そういった「一歩先の目的」がしっかり見えていれば、教えることにどれだけ時間をかけるか、どう伝えれば相手に伝わりやすいかということを考えられ、相手に教えることが、コストではなくむしろ投資である、そんな風に思える気がしました。
今一度、「後輩を教えるのは何が目的なんだろう?」、それを考えてみようと思います。