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#59 なにもかもわすれて、夢の世界をたのしみなされ。
まず最初に夢を見なければ、何も起こらない。
自分とはなんだろうか?
その名刺に書いてある組織の肩書は、あなたの存在を確固としたものにしてくれているのだろうか。それとも家族は、あなたを夫、妻、子供、親戚として、その存在を認めてくれているだろうか。
とかく厳しい昨今。夢を見ても否定され、まともに努力をすれば嘲笑される。風が僕らの間を冷たく吹きすさぶ。少しでも濡れようものならば、温かかった体温は、文字通り疾風の如く凍り付く。
こんな世の中で、自己肯定感をどのように構築するか、何によって保つか、は、生きていく上での必須スキルだ。
自分のいるコミュニティの中での役割を果たす事が、自己肯定感の基本になると言う。
とはいえ、インターネットによって細分化されたコンテンツを好きなだけ好きなように追う事ができる世界で、自分のいるべきだと思うコミュニティがたった1つしかないと思うのは逆に不可能だし、不自然だ。
選択肢は無限にあると思っていたし、実際そうのはず。
なのだが。
このニュース記事を見て深く考え込んでしまった。
20代の働くモチベーションについてのアンケート
「あなたの仕事や勉強へのモチベーションに、最も影響を与えてくれる存在は誰ですか?」というアンケートにおいて、1番多かったのが「友人」で24.9%、次いで「推し」が22.0%。「自分自身」は20.3%という結果になりました。
20代の働くモチベーションは
1位が「友人」
2位が「推し」
3位が「自分」
衝撃を受けたのは、「自分」の為に働く人よりも、「友人」や「推し」という、他人を軸にして働いている人の方が多いのだ。
1位の友人というのは、おそらく自分と友人を比べているという事だと考える。就職先、給与、スキルアップ、恋愛、結婚、たくさんのライフイベントがあるともいえる20代。周りと比べて焦ったりするのかも知れない。これは分かるような気もするが、個人的に「働くのは友人の為」という考え方はしたことがない。
そして2位の「推し」は衝撃的だ。
以前からこれについて危惧している事がある。最近増えてきている、というより誰でも発信できるから目に入り続けるだけなのかもしれないが、「推し」こそが全てみたいな生き方をしている人について考えてしまう。
働いたお金も、余暇も、時間も、服や趣味嗜好まで。全てを捧げようとしている人達。確かにそういう人たちはいる。もちろんダメだとは言わない。当人が満足ならいいことだ。
だが、自分の人生という限られたリソースを、自らが何かを生み出す、創造する事にでなく、誰かに与えてもらう事に捧げている状態について、いくばくかの怖さを感じているのだ。
とかく夢を抱いていく事が難しい世の中だし、だからこそ好きに生きたらいいとも思うが、そうだとしても、誰かに与えられた夢だけにしがみ付いて行く事は、果たして本当に幸せなのだろうか。それが我々の生きるべき道なのだろうか。それが働くモチベーションなのだろうか。
言い換えるとこうだ。
「人が用意したコンテンツを消費するだけの人生なのだろうか?」
そんな事を考えていたら、心の奥底からこのコマが音もなくヌウッと浮上してきて、思わずゾッとしてしまった。
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正直、大長編「ドラえもんのび太と夢幻三剣士」の面白さは、ものすごいレベルにある。
まずモチーフになっている「ダルタニャン物語」という物語そのものが面白過ぎる。その最も有名な第1部にあたる「三銃士」の部分が最も有名で、とても人気があり、児童文学から小説、漫画、ドラマ、舞台、映画などのほぼすべてのメディアに渡って使われ続けている。
それを希代のストーリーテラーであるF先生が自らのフィールドの中で展開させるんだから、もうたまったもんじゃない(いい意味で)。
アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせである。とは、広告業界における金言の一つである。
超がつくほどの名作ダルタニャン物語を、超がつくほどの漫画家F先生がオリジナル要素を混ぜ込みながら描くその世界観。あぁ筆舌に尽くしがたい。もうやめよう。原作も映画も、それぞれの良さがある。
のび太は、この夢幻三剣士の中で自分に都合の良い夢、または、面白いと思える夢を見たくて仕方が無かった。苦しい現実世界の中で、せめて夢くらいは良く合って欲しい。という思いからだった。
これは簡単に言えば現実逃避である。
ひみつ道具「気ままに夢見る機」は、使用者の夢をコントロールし使用者の望むような形で夢を見る事が出来る。「夢カセット」をセットする事で、そのカセットの物語の内容を見る事が出来るのだ。すげぇぜ、未来世界。僕だったら多分いかがわしいソフトを使うね!え?は?いいや!使うね!
いつも昼寝をしているのび太の事を想えば、いい夢が見たいという要望は至極当然で、日常的な願いのような物であろう。また大長編でない通常話でも、「夢はしご」のように夢に関するストーリーがあるし、「ドリームガン」のような道具もあるため、未来世界でものび太の抱いたようなニーズが多々存在するのではないかと考えられる。それをコントロールできるのは、まさに夢のようである。はやくこい、未来世界。
この、のび太の寝ている間ぐらいは楽しみたい。という気持ちは、我々が「推し」を追いかけている間ぐらいは日常を忘れていたい。というのに似ている。自分が好きな事や物、人を追いかけている間ぐらいは、浮き世の憂さを忘れていたい。誰だってそう思うだろう。
ではこの、のび太の寝ていたい(夢を見ていたい)、という気持ちと、我々の推し(夢)を追いかけていたい。という気持ちがとても似ているばかりか、ある意味で同じ系統の物だとしたらどうだろうか。
つまりそれが、単に現実を忘れるための物であるとしたら。
すこし考えていただきたい。
「のび太は、ただひたすら寝続けていて良いだろうか?」
言うまでもなく良い訳がない。そうなったら彼の未来は真っ暗である。
その答えは、ドラえもんの初回に提示されているテーマだ。
続いて、質問。
「我々は、そのまま推しを追いかけ続けているだけで良いのだろうか?」
答えにくいだろう。
ここで変化を付けて行く。
「知り合いがあなたの目の前で犯罪行為をしていたら、あなたは通報する?」
さらにこうだ。
「あなたの推しが明らかな犯罪行為をしていたら、あなたは通報する?」
この飛躍した質問の答えはどこにも提示はされていないし、言うまでもない、という訳でもない。きっと本当は人それぞれだ。
だが是非とも友人の為でも推しの為でもなく、自分の為に自分の答えを決めて欲しいと思う。できれば他人を軸にして考えないで欲しい。じゃないといつの間にか、「友人のせい」、「推しのせい」になってしまうかもしれない。そしてその時が来たら、あなたの失う物は計り知れない物になってしまう。友人や推しがどうあれ、あなたはあなたなのだ。ある程度の切り離しが必要だ。友人関係と、依存する事は別だし、推す事と、依存する事は別である。
だが、世の中のコンテンツの数だけ誘惑は存在する。
そして、彼らは言う。
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つくづく、そういう世界だなぁと思う。
だが、それが嫌だとか間違っているとかじゃあない。
そうだとしても、これからだってドラえもんや、その他たくさんの名作や、手塚神、F先生、A先生やトキワ荘の先生方や、歴史上の名高い先生方、そしてもちろん今面白い漫画を描いていろんなコマを生み出してくださっている先生方が作る商業的かも知れないコンテンツのシャワーを浴びて、そのコンテンツの風呂に頭のてっぺんまで浸かって、窒息しそうになりながら推していきたい。と思ってしまうのだ。
それが夢を見る事よりも、恐ろしいかも知れないのに。だ。
とここまで書いて、こんなニュースがあったので追記。
非常に興味深かったのでシェアしたい。
繰り返すようだが至極、生きにくい世の中である事は確かだ。現実逃避の道がある事は、ある意味で幸せなのかも知れない。推しの情報をすぐ得る事の出来るスマホへの依存が関係しそうであるという事も納得できる。見事な分析で、時代と生きる人の心がよく見えている。
これを読んだ後、なぜか、ふっとこんなことを思った。
「夢をかなえてドラえもん」という歌がある。
そのまま受け取れば、とてもいい曲だ。人気も高い。
だが、この曲の歌詞をよく読むと、お前が時を経て歳をとってもドラえもんを推せ、推し続けろ。それも世界中で溢れるくらいに。と聞こえなくもない。
僕たちは元からとっても大好きだっただけなのに。
この解釈は、穿った見方?現実?
それとも、現実だと知っていても辛いから認めたくないだけ?
もしあなたがこれを読んで気を悪くしたのなら、あなたはただこういう議論には向いていないだけかも知れない。
もしそうなら僕と同じ様に、
なにもかもわすれて、夢の世界をたのしみなされ。
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