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#2 こ、このきんつばのうまいこと。
てんとう虫コミックス14巻掲載「かがみでコマーシャル」の1コマ。
おそらく「きんつば」という和菓子の戦後最大最高の好プロモーション事例である。
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離れたところの鏡に映り込む事が出来る秘密道具を使い、コマーシャルを打つことを思いついたのび太とドラえもん。つぶれそうな和菓子屋である「あばら屋」の主人に話を持ち掛け、独りよがりのコマーシャルを打つ。しかしそれは、お店へのマイナスイメージとなってしまう。それを知った主人は「余計な事をして!」と激怒する。「僕らの責任だ」と、泣いて謝るのび太とドラえもんに「怒鳴ったりして悪かった。いいんだ。どうせ諦めようと思っていたのだから。」と、お店にある和菓子を食べるように薦める。薦められたお菓子をおいしそうに食べる姿が、見ている人たちの購買意欲を一気に誘って・・・。というストーリー。
僕は「きんつば」という物をこれで初めて知った。そして、世の中にある「きんつば」というお菓子が、ひたすらにうまいものであるという刷り込みをされた。
この1コマには、巧妙な仕掛けがあると考える。
まずはセリフ「こ、このきんつばのうまいこと。」
の、「こ、」である。
これに含まれている感情は何か。のび太の心はどう動いているか。
共感してほしい程の感動と動揺。それは、取り乱してすぐに伝えたくなるほど。果ては、興奮して発汗してしまっている。
彼らの目を見てほしい。これはただ笑っているのではない。二重である。二重の「へ」。これは幸せの4重奏(カルテット)だ。くしゃくしゃになるほどににこやかなのだ。
大きく空いた口からは、だらしなく舌が飛び出している。うますぎる物を食べる時、唾液が異常に分泌される。そうすると口を閉じておけなくなる。そして、はやく口に入れたくて、舌から食べ物をお迎えに行ってしまうのだ。
ここでこの空間がクローズドであることに注目したい。
のび太とドラえもんは向かい合って、お互いの感動を分かち合っている。そこに第三者はいない。のび太とドラえもんだけがそれを共有している。二人には、この光景を多くの人が見ているという認識が無いのだ。
最近、僕はテレビを見なくなった。忙しいということもあるが、見たい物が少なくなってしまったからだ。言い換えれば、数少ない見たいと思う番組を録画しておいてそれを消化するために、リアルタイムでの視聴が減った。と言う事だと思う。
そんなある日、自分が録画して見ている番組には「ある傾向」がある事に気が付いた。それは「出演者が楽しんでいるシーンが多い番組」と言う事。もっと言えば、視聴者が楽しいかどうかわからないけど、出ている人は楽しんでいて、それが心からのように見える。という事だ。作られた台本上の物でなくリアルにその瞬間に発生した「楽しさ」を番組にしている。という傾向である。
そして、僕がなぜそういう番組を選んで見ているかと言うと、そういった「楽しさ」を共有・共感している気になれるからである。僕自身はそこにいる訳でも当事者でもないのに、楽しそうな人達を見る事で自分もその場で起きた出来事を楽んでいるような錯覚を起こしているのだと思う。
そして、そのためには演出されて作られた感動ではなく、リアルの感情表現である感動が必要である。
そう、同じ事がこのコマでも起こっているのだ。
鏡を見る女性は、これが流れる前にお化粧をしている途中であった。タオルを持つ手は完璧に止まっている。そして鏡の二人にくぎ付けになっているのが分かる。極めつけは「ゴクリ」と言う生唾を飲む描写。
このコマを読んだ僕や読者は、この女性に共感しているのだと思う。
何かいい物が存在するとする。それをこれはいい物だと宣伝する人がいる。それを見ていいと思って欲しくなっている人がいる。その欲しくなっている人を見て、自分も欲しくなってしまう。
きっかけ演出の無いリアルなリアクション。シズル感のある構図と本質をとらえたワード。それが共感を生み、ファンからファンへ伝わっていく連鎖。そして新規顧客の獲得。おそらく買えなかった人達も大勢いる事だろう。となれば、リピーターの数もかなりいたハズだ。
驚くべき事として言えるのは、これが1970年代のマンガであるという事だ。F先生の本質を捕らえる力がここにあると思う。かなり読者、ユーザーの事を考えていたのだと思う。相当の努力をしていたと思うし、それが本当の天才である。
だから、この1コマは僕の大好きなコマの1つだ。
でも僕は本物のきんつばを眼の前にした時、そのギャップに苦しむことになった。いや、うまい。うまいが、それほどでもない。ひと口食べて、横にいる人に「こ、このきんつばのうまいこと。」と言う程でもないと感じてしまったのだ。言うなれば、「ふーん」と言った感じ。
どうしてこんなギャップが生まれたのか、のび太はあんなにおいしそうに食べていたではないか。なぜ、僕はのび太とドラえもんの様になれなかったのか。
良すぎるプロモーションは、期待値を上げ過ぎてしまうのかもしれない。
これもまた1つの真実である。
逆にガッカリしてしまう程、F先生のプロモーションが僕に伝わっていたのだ。ハードルがかつてないくらいに上がってしまっていたのだ。
だから叶う事ならば、あばら屋のようなうまいきんつばを食べてみたい物だ。
■追記(2021/3/1)
きんつばの事を忘れて久しかったが、つい先日、下の動画を見ていたらこのコマの話をくりぃむしちゅーの上田さんがしていた。
ここまで読んでいただいたのだから、どうかちょっとだけでも時間を取って見て欲しい。
見ていただいただろうか。
もし、あなたが僕と同じ気持ちだったとしたら、この石川県金沢市のきんつばを食べてみたくて仕方ないのではないだろうか。
と言う訳で、僕は調べて検討を付けて買って食べてみた。
もっとも有名であろうと思えるものに絞った。
下記が、そうだ。
もちろん、上田さんが言っているのが、本当にこれなのかは定かではない。
そんな定かではない、確かではない情報を、わざわざこのnoteに載せている理由を、勘の良いあなたならばもう想像できているはずだ。
僕から言う事は1つだけ。
「こ、このきんつばのうまいこと。」