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#19 りこうになりたい

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

頭の良さの事をIQとか地頭力とか言う表現で耳にする。

IQとは、 intelligence quotientの事で、知能指数と言う意味になる。人間の知能の指数化をテストによって行う事が出来る。精神年齢と生活年齢の比から割り出す方法が主で、平均的な値を100としている。

皆さんの中にも、ネットでやったことがある人も多いのではないだろうか。あの意味不明の図形が並んでいて、例と同じ物または、違う物はどれかを選ぶやつである。

意味不明に思える図形は、実は良く見ると法則性があり選ぶべき解答が見えてくる。要は、その法則性に気がつけるかどうかで、知能指数の高い低いを見るという事だと認識している。

では地頭力とは何だろうか。

地頭力は、じあたまりょくと読み比較的新しい用語とされている。人により定義が違うようなので、とりあえず下の定義を引用させていただく。

素手で考える力。知識も方法論もあらゆる引きを持たずにゼロベースで考える力のこと。

つまり、問題や課題を公式やフォーマットなどを使わないで解を出す能力の事であると思われる。物事を考える力と言いたくなるが、単純にそうではないようである。

なぜなら、知識や経験はいつでも僕らの思考を駆け巡っている。

この知識や経験というのは、僕たちを僕たち足らしめるベースである。

だから、知識や経験から導き出した答えが出せるのはIQが高いからであって、そういのは地頭力とは違うのだそうだ。

地頭力とは、今まで得てきた知識や経験からではない発想、考え方が出せるか。と言う事らしい。

自分で書いていて思うが、これはどういう事なのだろう。ゼロベースから考えるとは、どういう事を指すのだろうか。そもそも、そんな事が可能なのだろうか。

素手で考える力。と定義にはある。

素手とは自分の手である。自分の手とは、自分のベースであり、こうすればこう動くと言う知識と経験により運用されているのではないか。

しかしそもそも考えるという行為は、何かしら自分の中にあるベースがありきではないのか?

うーん、わからない。知能指数が高ければ、地頭力も高くなるのであろうか?それともそこに関連性はない?

なんだかどうも、まとめられない。

なんなんだろう、これは。

なんだ、こりゃ。

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と言う訳で、てんとう虫コミックス第17巻「あべこべ惑星」からの1コマ。のび太が七夕の願い事を捧げるため、釣り竿の先に付けた短冊の内容がこれ。コマの中のセリフ「なんだ、こりゃ。」はドラえもんが言っている物である。

彼がこの願いを七夕に捧げたのには、訳があった。

「いつもみんなにバカだバカだと言われるから」である。

これを本人の努力ではなく、星に託そうという発想が実にのび太らしい。基本的に他力本願なのだ。誰かがなんとかしてくれると思うのだろう。

しかし、竹竿が無いので釣竿で短冊を釣っているのは、割かし利口の部類かも知れない。とはいえ、利口と漢字で書けていないのは利口ではない気もする。

そもそも、頭が良くなりたいとか勉強が出来るようになりたい。のではない。彼の願いは、りこうになりたいなのだ。

では、のび太がなりたい「りこう」とは何だろうか。

利口

1 頭がよいこと。賢いこと。また、そのさま。利発。
2 要領よく抜け目のないこと。また、そのさま。
3 (多く「お利口」の形で)子供などがおとなしく聞きわけのよいこと。また、そのさま。
4 巧みにものを言うこと。口先のうまいこと。また、そのさま。
5 軽口を言うこと。冗談。

とあった。

そして、利口はバカの対義語とも。

のび太に見受けられる傾向として、「なぜ、人からそう言われるかわかっていない。」と言う事がある。バカと指摘されても、なぜ自分がバカだと言われるのか理解していないという事である。

だから、正しい努力の方向性が見いだせないのだ。

と言う事は、のび太が「りこうになりたい」のは理に適っている。利口にさえなれれば、状況を分析して人に馬鹿にされないように判断して、努力だってできるからだ。

こう考えれば、のび太の願いを「バカだなぁ」と一蹴出来なくなってくる。もはやいじらしさに、胸が詰まる思いだ。

分析して、判断して、努力する、この利口さというのは、別のワードに言い換える事が出来るかも知れない。

それは「知恵」である。

知恵とは、道理を判断し処理していく心の働き。 筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。とある。

これは心の働きであり、脳の回転数とか思考力ではない。

古来からのベストセラーである「聖書」にも、神に知恵を求めたソロモン王と言う人が存在する。ソロモン王は、その授かった知恵で政治や裁判、外交などを行ったという。

ソロモン王の父であるダビデ王は、神の寵愛を元に巨人を倒したりその他の敵を倒したりして英雄として王になったが、その後不義を犯したりして臣下の謀反などで苦しんだ。

物理的に強さを持ったダビデ王の死後に、新たなる王として神の寵愛を受けるのが、ソロモン王と言う事になるが、彼が求めた物は「知恵」であり、ダビデのような強さではなかった。

この授かった知恵で、王位継承のゴタゴタや外交の諸問題も切り抜けたのである。

同じように知恵を求めたのび太。彼もまた人としての物理的な強さよりも、頭脳を求めた訳である。 ソロモン王の様に良い心の働きによって、国を、この場合、自分と自分を取り巻く環境を治めようとしたのであろうと思える。

この「神」という超自然的な何かから、賜物を授かると言う概念は、もしかしたらそのまま「ひみつ道具」と言う事に置き換えられるかも知れない。

のび太はドラえもんと言う超未来的な何かから、必要なものを授かるという構図である。

のび太はそのようにして授かった物を、最初は正当な理由に基づいて使用するが、後々に自らの欲望の為に使い出し、やがて破綻と共に教訓を得る。

実は知恵の高いソロモン王もまた、晩年には享楽に耽り民に重税を与えるなどし、内政が悪化する中で宗教対立を起こさせてしまっている。つまり破綻したのだ。

何故か。

知恵とは、ある意味で心の働きであるからであると思われる。どんなに頭で理解、考察出来ても、「心」や「思い」がついて来ないのが人間という生き物なのだ。

知恵があっても・・・そう、ひみつ道具があっても、人は心に従って過ちを犯してしまう。 これが人間の本質なのであるという事なのだろうと思う。

先ほど、聖書は古来からのベストセラーだと紹介した。 ドラえもんもまた昔からのベストセラーである。お互いに部分的にではあるが、似たような構成があることがわかった。

聖書によれば、人は罪と共に生まれる。と言う。いわゆるところの「原罪」である。

その中にあって利口さとは、その罪を軽くするのだろうか。それとも、原罪とは関係のない罪に関しての対象法か何かなのだろうか。

仮にのび太の願いが叶うことがあったとしても、彼が過ちを犯さなくなるとは思えない。いくら利口になってものび太の心が成長しない限り、彼はまた私欲のために失敗するのであろう。

この「心の成長」を促すのが、ドラえもんの役割なのであろうと思える。心を成長させるために、ドラえもんはのび太に寄り添っている。

心が成長すれば、きっと知恵も働くからである。

ところで、ドラえもんのAIのIQはどのくらいだろうか。検索したらYahoo知恵袋が出てきた。

そこに、これ以上の答えが無いというベストアンサーが出ていた。

ドラえもんのIQは、129.3

そうでしょうとも!

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