#47 うるせえ。勝ったものの勝ちだ。
Winner takes it all(勝者総取り)
投げかけられる言葉について考える。人生訓や、人として、みたいな教訓めいた言葉。
もしそれが尊敬、敬愛、崇拝するような人からの言葉だと、大きな影響力を持つことがある。
逆にもしそれがどうでもいい人からの言葉だと、あまり意に介されない。むしろ、ごちゃごちゃとうるさいよ、などと思うかもしれない。
言葉そのものの意味は同じでも、言う人が違うと影響力には大きな差が生まれる。これは「何を言うかではなく、誰が言うか」を表している。
あなたの推しがそれを言えば、たとえ間違っていても真実になり得るだろうし、推しではない人物がそれを言ってるのであれば、それは受け入れられない。世間とはそういう世知辛いものである。
ところで、ふと書いてしまったが、この「推し」とは何だろうか。推す、だから、推薦するとか優先的に考えるという意味になると思う。推しになるという事は、その人にとっての「カリスマ」になるという事に近いかも知れない。
この、カリスマという言葉の意味はこうだ。
一部の人々が持つ、他の人々を引きつけ感銘を与える強力な個人の性質
そして、もう一つの言い方ができる。
超自然的・超人間的・非日常的な資質や能力。神の賜物または天賦の力
歴史上の人物で言えば、カエサルやナポレオンはその軍事カリスマによって、リンカーンやヒトラー、毛沢東はその雄弁カリスマによって世界史を動かした。
イエスやマホメットはその預言カリスマによって、卑弥呼はその呪術カリスマによって社会を変革してきたと言える。
自分の力をはるかに超えた力、超人的な能力を最初から持っていて、それが故に他の人を惹きつける。それがカリスマである。
自分に(誰にも)出来ない事をやれる人、そこにカリスマ性がある。
例えば、美男美女で若くて歌って踊れて、トークもスポーツも上手くて、優しい。みたいな人に会ってしまったら、ただ単に嫉妬してしまいそうだけど、その能力はカリスマ足りうるかも知れない。今後も活躍してほしい!、とそう思ったらあなたはその人が推しになる。
好きなスポーツ選手や、アーティストを思い浮かべて欲しい。彼らは、あなたを惹きつけるカリスマを持っている事だろう。
しかしこのカリスマを持った推しは、なにも正しい動機、所謂「正義」だけに限ったことではない。悪にもカリスマは存在する。
その能力や言動から、人々の心を惹きつけて離さない。むしろ悪の魅力ほどに、甘い誘惑は無いのかも知れない。いわば、ダークヒーロー的な存在。そういう人たちだ。
彼らは、勝つためには手段を選ばない。常識や情などに流されない。冷血、冷徹、そして冷静な判断をする。全ては勝つためである。
だが、現実社会でなかなかこれを実行に移している人を見る事は少ない。
勝つことに相当執念を抱いていないと、それをするのは難しいからである。何らかの損得勘定や情念が働いてしまうのが人間らしいともいえる。
仮に、本心では勝敗にはこだわりたいとは思っていつつも、過度に熱くなりすぎる事で周囲から変な目で見られてしまう。
「あいつ、何熱くなっちゃってんの?」と嘲笑されたりもする。
だからか、熱血よりもクールに物事をこなす方がカッコいい、なんて風潮まである。一生懸命さをあざ笑うのは、実は自分自身が熱くなれない事への負い目でしかない。しかし、そういう人の方が多いんだと思う。
だから勝負事となるとやたら熱くなる人や、自らの負けず嫌いの人を隠そうともしない人の数は正直、少ない。浮いちゃうからだ。もちろん肚ではどう思っているかわからないが、それを表に出している人は少ないという意味だ。
熱くなり過ぎずクールに過ごす事が「大人」であるとするのが、諦めと疲れが蔓延したこの社会であるからである。
だからこそ逆に、この勝敗にこだわって負けず嫌いな人たちは、私たちのような一般人を惹きつける。
自分に出来ない事をしているからだ。
例えばこの人。
自分のしたい事の為、あくまでも勝敗に拘り、負ける事など考えてもいない。るろうに剣心の志々雄真実もその一人だ。
このような人は自分の中で必ずと言っていいほど、何かしらの「真理(しんり」にたどり着くのである。
そして、この「真理」こそが人を惹きつける。
「所詮 この世は弱肉強食 強ければ生き 弱ければ死ぬ」
重要なのは、これが正しいかどうかではない。
とにかく言い切る事が肝心で、そして自らがそれを信じ切る。彼にとってそれは、まさに真理なのである。だから他人にどうのこうの言われる筋合いも無い。
同じ思いを抱き、彼に追随するのも勝手だし、それに意を唱えて立ち向かってくるものは単に薙ぎ払うだけである。この信念めいたものを揺るがずに貫こうとする姿勢が、私たちがどこかで諦めているような勝利へのこだわりとも言い換えられる。
次はこの人。(人と言っていいのかわからないが)
ジョジョの奇妙な冒険第二部から、カーズ様の単純明快な勝利への意思。
それこそが「勝てばよかろうなのだァァァァッ!!」である。
もちろん、第三部のDIOにも似たような勝利への意思があるセリフは多々ある。しかし、カーズ様のこのセリフは、後のDIOへの意思と言うか、よりはっきりした悪の系譜的な事と、時系列的な事でこれを推したい。
カーズ様の場合、端からいわゆる人間ですらない。下等な生物である人間との勝負に、正々堂々であるとか、対等になどの概念すらそもそも必要が無い。本人も、くだらん情に流されることなど無い。的な事を言っている。
それが彼の真理だ。
もちろん人間を辞める事までしたDIOも、過程や方法などどうでもいいとまで言っているので、間違いなくこれに当てはまるだろう。だから、彼らにとって勝つ事は当たり前なのである。
最後に紹介したいのが、この人。彼もそういう種類のダークヒーローなのだ。と思ってみると良いと思う。
てんとう虫コミックス12巻収録作品「けん銃王コンテスト」からの1コマ
空気ピストルを使ってけん銃王コンテストを開いたのび太。今までやったことの無い、子供心にグサグサ刺さるような企画に、大喜びの子供たち。夢だったんだ!と嬉しそうな顔をしていたジャイアンだったが、その裏では参加者たちがお互いにつぶし合うまで隠れていた。のび太の残弾が無くなるまで待っていたのだ。卑怯だ!となじるのび太に言い放った彼の一言がこれである。
セリフを見て見よう。
「うるせえ。勝ったものの勝ちだ」
単純明快、言語道断、ぐうの音も出ない程の真理がここにある。
とても深い様で何も言っていない。何も言っていないようでかなり深い。
とにかくご覧の様にジャイアンは、私たちのいる勝利への諦めラインから、突出しているのは明白だ。彼も勝って当たり前、周りの奴らに負ける事など考えてもいない。勝つために必要な事を極めてシンプルに追及している。
彼の両手を見て欲しい。10発の弾を残しているジャイアンは、残弾が0であろうのび太に対してすべての指を向けているのがわかる。1発で気絶させられる弾を、10発向けているのは、他の皆をのび太が全て倒したからである。つまり、もう他には倒すべき敵はいない。
構図としては10対0になる(本当は10対1だったが)。かなり圧倒的と言えるだろう。完全なる勝利にこだわるので、その差は圧倒的でなくてはならないのだ。
普通、常識や世間体のラインからはみ出した者は、周りから煙たがられるかも知れないが、そのはみ出し方が突出するほどだと世間の目は変わってくる。それは蔑みから、手のひらを返したように憧れや羨望にも変わるのである。
それがガキ大将ジャイアンのカリスマであり、その根幹をなすのが勝ったものの勝ちであるというジャイアニズムなのだ。
だから、ジャイアニズムのwikiにこの言葉も誰か追加してほしい。これこそが、現代の日本人が失ったハングリーさや狡猾さである。
どんな人も、勝負は時の運なので戦いに負けてしまう事はあっても、負けても良い戦いなどは無いのだ。これを忘れないでいたい。
冒頭、言葉は誰が言ったかによって捉えられ方が変わると述べた。
ジャイアンという少年から放たれた言葉は、私たちにの心にそれほどは響かないかも知れない。このセリフは、所詮、子供の遊びの中で出た言葉だからだ。
しかし、子供の遊びは私たちの生き方の根本とかベースになっている部分があると思う。そして私たちの生きるこの社会こそ、はっきりとした弱肉強食であり、勝てばいい世界でもある。
だから、関係なくはない。例え卑怯となじられようと、悪者と言われようと、勝つための意思を持って勝利を取りに行かねばならない。そのための真理はなるべくシンプルにしたい。
そうでないと、周りの目を気にする自分にすらも勝てないのだから。
もし、それに対して誰か(それは自分かもしれない)が、文句があるようならば、その時はダークヒーローの言葉を借りればいい。
人は誰でも自分の中に二面性みたいな物を持っている。漫画的な表現で言えば内なる天使と悪魔である。その悪魔側の自分はある意味でダークヒーローだ。
この内なる悪魔は、同義的には良くない事であると言え、勝つための選択を迫ってくる。それは完全なる勝利にこだわっているからなのかもしれない。それがあまりよろしくないとは言え、その声は内なる自分自身の声である。つまり、他の誰よりも自分自身からの言葉は、あなた自身に響くのだ。
だが、あなたとあなたの内なる天使はそれに必死に抗おうとして、ごちゃごちゃと理屈を並べるかもしれない。それに対して、ダークヒーローはこう言い放つ。
「うるせえ 勝ったものの勝ちだ」と。
これまでの様に、これからもそれに、抗えるだろうか?
たまにはジャイアニズムに傾倒してみる事が、新たなる扉を開くのには必要な事なのかも知れない。特に何かが停滞していると感じているのであれば。
もし、それで玉砕するような事になろうとも、少なくともそれは自分でした選択なのだから、潔く胸を張ってこうすればいいのだ。
バンザイ!
・・・あれ、まだ弾が残っていたみたいだ。