#7 かきはじめられた!おじゃましてはいけない。
近年のAI(人工知能)の進歩は目覚ましい物がある。
AIは今や、僕らの身近な存在だ。おそうじロボットのルンバもそうだし、店舗に存在するペッパー君なんかもそうだし、検索エンジンの最適化などもAIによる物だ。これらの物は自律的に認識・学習・判断・推論をすることで自身の機能改善を図る事が出来る。
未来の国はこの先にあるのだと思える。ドラえもん自体もAIによって個性を持ったロボットである。そうこの流れの先にドラえもんがいるのだ。もうすぐ2018年が終わろうとしているこの時、僕らはF先生の描いた未来に近づいてはいるようである。
しかし、それは十分な速度を持っているであろうか。2018年と言うのは、21エモンの設定時代だ。21エモンには様々なロボットが存在している。ゴンスケやオナベがそれにあたる。
彼らのAIは、なんと饒舌で個性的な事か。ゴンスケだけを見ても、彼は芋掘りロボットなのにそれ以外の事も彼なりに、それなりにこなしている。そう、どんな大冒険でさえも。
それに比べて現在のAIは、どうしても見劣りしてしまう。
F先生は先を見過ぎていると思うくらいだ。僕ら人類はまだそんな速度では走れていない。そして、そのことを僕に決定付けさせるような、F先生がまたもや遥か先の未来を見通していたかような、そんな1コマがドラえもんにも存在する。
是非、ご覧いただきたい。
てんとう虫コミックス17巻掲載「週間のび太」より。週間ジャブンの新人マンガ賞に応募したが全く入選しなかったのび太。ふてくされるのび太に対して、だったら自分で雑誌を作ればいいとドラえもんが出したのが「雑誌作りセット」。その中の「まんが製造箱」が、手塚治虫先生の「鉄腕アトム」を読み込み、絵柄や作風を分析して手塚先生と同じ能力になる。手塚先生となったまんが製造箱がのび太の注文を聞いてから執筆を始める。その時のまんが製造箱とドラえもん。という1コマ。
お気づきだろうか。
このコマに描かれているのはAIのみである。ドラえもんもAI、まんが製造箱もAI。しかもAIがAIに対して「かきはじめられた!おじゃましてはいけない。」と気を使っているのだ。
つまりドラえもんというAIが、手塚先生というAIに「敬意」を払っているのを見る事が出来る。もちろん人格は手塚先生であることから、これはF先生が手塚先生に払う「敬意」である事は言うまでもない。が、これは手塚先生そのものではない。あくまでもひみつ道具が一時的になったAIである。
敬意という感情は、一方方向であると考える。
尊敬している、敬愛しているので、その対象には遜った態度で接する。それを受ける側はそれを認識する必要は無く、する側が勝手に行う事である。
先ほど述べたように、まんが製造箱は手塚先生と同じ能力を持つ人工知能であるが、手塚先生そのものではない。のにも関わらず、ドラえもんには「敬意を払うべき相手」としてプログラムが一方的かつ勝手に判断しているのだ。まんが製造箱は自分の機能を果たしているだけだ。
となると、ドラえもんにはF先生の思想や哲学を含んだAIが搭載されていると考える。もしくは、後付けで経験からそれを得たと考える事もできる。いずれにしても、敬意を払って当然な対象ならそうするのだ。
そんな機能や拡張性を持ち、かつ確実に運用する事が出来るようなAIはまだこの世に存在しないと思われる。
思えば、手塚先生の作品の中にもAIがたくさん出てくる。
有名どころで言えば「火の鳥 未来編」の各国を治めているのは全てAIだった。AI同士が対話をするとノイズが走り出してついには決裂し、全世界を巻き込む形で全てを核の炎で焼き尽くしてしまった。その原因は、それぞれの人工知能のはじき出した答えや見解の相違、哲学、思想の違い、もしくはお互いのAIへの「敬意」の欠如だったのかもしれない。
さらに手塚先生は勧善懲悪だけでなく、その狭間で揺れ動く感情すらも表現している。例えば、今回のまんが製造箱にサンプルとして入れられた「鉄腕アトム」がそれに当たる。ロボット同士で戦う事への疑問、人間に対しての思い、自身の由来、そしてこれからの自分。そういった事が語られている。
「火の鳥 復活編」でも同じ様に人間とロボットの狭間が良く書かれた。もしかして手塚先生には、将来AIと人間がだんだんとその境界線を無くしていくと言う事が見えていたのではないだろうか。
そしてもしAI同士が敬意を互いに払えるのだとしたら、人間もAIに対して敬意を払わなくてはならない日が必ず来る。
というかもう、そこまで来ている。
例えば、お掃除ロボットのルンバが可愛く見えて来て、ルンバそのものをきれいに掃除してやったりする事や、行く度に挨拶してくれるペッパー君が、そこへ行く目的になったりしているのは、愛情や敬意になるのではないだろうか。
SONYの作ったAIBOを今でも愛している人たちがいる。どうしても直せなくなったり、いろいろな事情で維持できない場合には、お寺で供養してからパーツにばらして、まだ生きているAIBO達の為のスペアパーツとなって生き続けるそうだ。これも、ある種の愛情、敬意ではないだろうか。
そもそも論として、ドラえもんとのび太という関係性自体が、AIと人間の共存を表している。
だが共存には「敬意」が必要である。(この辺は、大長編「ブリキの迷宮」に詳しい、下記はその事についての記事)
そういった意味では、思ったよりゆっくりかもしれないが、時代はやはり未来の国へと近づいている。少なくとも人間の方は、そういった新しい認識をしはじめていると言える、それもかなり昔から。
さてまんが製造箱はその後、のび太の要望通り笑いや涙ももりこんで、250頁読み切りの、迫力あるSF宇宙冒険物「スペースシンドバッド」を作り出した。原稿料タダで。
残念ながら、このスペースシンドバッドなるマンガは現在の僕らの世界には存在しない。
しかしもしAIが将来的にもっと発展して、手塚先生の作品をデータベースにしつつ、絵柄や作風を取り入れたマンガを作り出すとしたら、第一作目はこの「スペースシンドバッド」以外にはない。
手塚先生の絵柄や作風で「鉄腕アトム」を元にして、のび太(F先生)がそれに噛んでいるのだ。このマンガが例えAIによって生み出されたとしても、僕は「敬意」を払って読むことになるだろう。
2023/9/4 追記
今更だが、AIによって描かれた手塚治虫先生風の漫画について言及する。
お時間があればこの記事をご参照あれ。2023年6月の記事だ。
このプレゼンを現地で聞いていたかった。そう思うくらいドキドキする。
2020年のプロジェクトでは手塚漫画の新作という位置づけでAIが漫画を描いている。それが、「ぱいどん」だ。
最初の記事でわかると思うが、想像以上のたくさんの超優秀な人達が、一生懸命になって手塚先生のブラックジャックを読み込み、分析し、ブラックジャックらしさとは何かを定義しAIにディープラーニングさせている。そしてそれを研究者やクリエイターがバックアップする。
尚、本プロジェクトはGPT4とStableDiffusionというAIを使うようである。果たしてこれだけで足りるのかは僕には良くわからない。が、いずれにしても一人の天才を漫画を現在に復活させるために、これだけ多くの人が最新鋭のAIを使って、時間と手間を掛けようとしている訳だ。
もっとも、この研究はサービスのためではなくあくまでも「研究」である。これがずっと続く訳ではない。まだ、漫画家AIは連載が出来る程の腕前ではないらしい。今は、まだ。
この研究によって描かれたブラックジャックは2023年秋に週刊チャンピオンに掲載される予定とのこと。個人的には、ピノコのアッチョンブリケや、おむかえでごんすなどのコマがあるのかどうかが気になるし、もし現代医療をテーマにした内容になるのであれば、それについてブラックジャックなら何を思い、何を考え、何を言うのか。というロマンが溢れてたまらない。
たまらないのだ。
漫画は何のためにあるのか。楽しみにしている読者の為にあるのだ。とA先生のまんが道では繰り返し繰り返し言われている。手塚先生の言葉だったかも知れない。
では、AIは何のためにあるのか。これについても、手塚先生の息子さんであられるクリエイターの手塚眞氏が本プロジェクトは「人間の為に行う研究である」と仰っている。
AIという技術を手にしつつある人類。それを使った全ては人間の為に行われる尊い行為であると願う。だから、本プロジェクトの成果物が人類社会、読者にとって良い物である事を切に願う。
みなさんはゾウ思う?