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#16 テケレッツノパー。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

魔法における「呪文」とは、魔法の発動条件であったり、効果を向上させるために使われる。

呪文は「何らかの神秘的な力」を引き出すために定式化された物であり、その効果を十分に得るためには正しく行われなければならない。

だから複雑であり誰もができるような物であってはならず、何らかの隠語を含んでいたり、その真の意味を理解せずには使用することができないような、セキュリティーが施されていることもある。

もし呪文を間違って唱えるようなことがあれば、恐ろしい魔の力は詠唱者本人へと害を成すかもしれない。故に詠唱者、つまり魔法使いという存在は、己が心を鍛えており、如何なる状況においても冷静に必要な呪文を唱えることができるような訓練・修行を行っているのである。

と、あたかも現実世界に魔法が存在し、魔法使いがいるかのように話してしまったが、今日皆さんに見ていただきたいのはこのコマである。

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てんとう虫コミックスドラえもん第37巻収録「魔法辞典」よりの1コマ。そう、ご存知「魔女っこノブちゃん」である。

テレビで女の子向けとされるアニメ「魔女っこノブちゃん」を見ているのび太。テレビの中ではのび太のようなひ弱そうな男の子が、ジャイアンとスネ夫のようないじめられっこに殴られている。そこに助けに来た魔女っこノブちゃんがいじめっ子を投げ飛ばすために使った呪文がこれである。

博識な皆様は、この「テケレッツノパー」という呪文が、古典落語の「死神」から来ている事はご存知であると思う。ご存じない方は、Youtubeで柳屋一門でも立川一門でも三遊亭一門でもいいので是非聴いていただきたい。時間が無いのであらすじだけでいいと思う方は、Wikipediaで「落語 死神」で検索していただきたい。

とにかく、この落語で命を奪う死神を追い払うとして唱えられているのが「アジャラカモクレン、○○○、テケレッツノパー」である。○○○の部分は、噺家によって違う。

さて、本来1コマでどれだけ語れるかのチャレンジなので、これはルール違反ではあるが、下記のコマを見ていただきたい。

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てんとう虫コミックスドラえもん第41巻収録「時限バカ弾」からの1コマである。時限バカ弾を食らって、バカになったママのセリフである。ここでは、テケレッツノパーではなくアジャラカモクレンの方がセリフとして採用されているのがわかる。

では、そもそもこの「落語 死神」に使われている呪文の持つ意味を考えてみよう。下記はWikipediaからの引用である。

死神によれば、どんな重病人であっても死神が足元に座っていればまだ寿命ではなく、逆に症状が軽そうに見えても枕元に死神が座っている場合は死んでしまうという。足元にいる場合は呪文を唱えれば死神は消えるので、それで医者を始めると良いと助言し、死神は消える。

お分かりいただけただろうか、助けることができる人に限られているが、つまりこれは人を助けるための呪文である事がわかる。ここまで考えたとき、こんな疑問がフッと浮かんだのだ。

「F先生は誰を救おうとしていたのだろうか。まだ死ぬ運命には無い誰を救おうとこの呪文を唱えたのだろうか。」

以下は邪推だ。読む価値は無いかもしれない。もし読んでも、戯言だと思ってもらっていい。

先のテケレッツノパーが唱えられた「魔法辞典」は、1982年の雑誌、小学二年生に掲載されたものである。そして、次の「時限バカ弾」は1985年の雑誌、小学三年生に掲載された物である。

1986年にF先生の胃がんが発覚する。

そしてこの翌年の1987年に、藤子不二雄先生はペアを解消し、十数年続いた雑誌、小学生へのドラえもんの連載も一旦終了するのである。

コンビ解消の理由の一つは、大ヒットしたドラえもんの莫大な印税が、F先生の死後、A先生とF先生の家族間で相続の問題を引き起こす可能性があることに気がついたF先生から切り出したそうである。遠くない死を意識していたのだろうと思う。1996年先生は息を引き取った。胃がんの宣告を受けてから10年後のことである。

さて、F先生が落語がお好きなのは有名な話である。藤子・F・不二雄ミュージアムにもその記録やグッズはたくさん残っていた。

この死神という演目、他の落語のようにやる人によってサゲ(つまりオチ)が違う。主人公が死んだり、やっぱり生き返ったり、生き返ったんだけど奥さんがろうそくを消しちゃって死んじゃったりと、やや自由な節がある。

この自由な部分というのは、先ほどの呪文の部分にもある、「アジャラカモクレン ○○○ テケレッツノパー」の○○○のところも、人によって違うのである。

では、F先生の書いた○○○はなんだったのだろうか。

これはテケレッツノパーの1982年~アジャラカモクレンの1985年の間の作品の中に何らかの答えを見出せるかもしれない。

そう思ったら、新しい読み方が出来るような気がして、ゾクゾクしてきた。片っ端から読み直すことにしよう。


あれ?


もしかしてこれこそが、F先生の唱えた魔法なんじゃないだろうか。

魔法使いはやはり本当にいたのだ。

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