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#21 金は、いくらかかってもいい。月をかってこい。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。
                 イギリスの神学者 トーマス・フラー

「パレートの法則」という物がある。

イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した法則で、経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論。80:20の法則、ばらつきの法則とも呼ばれる。

たとえば国の財政について考えるとこうなる。統計か何かで国には資産がべらぼうにあるように見えていたとしても、実際にそのお金を持っているのは全体のわずか2割であり、そのような仕組みを作ったり運営しているのもその2割である。つまり国の8割を、2割の人達が握っている。

という事である。

似たような説で、もう少し全体をとらえるために働きアリの話をする。

①良くエサを取ってきて良く働いているのは全体の2割である
②全体の中の8割は働いているが、残りの2割はあまり働いていない
③つまり良く働くアリは2割、普通のアリは6割、サボるアリは2割になる
④良く働く、またはサボるのどちらかの2割を取り除いても、
 残りの8割の中から良く働く2割と、普通の6割と、サボる2割になる。

この全ては「8:2の比率」から構成され、それは状況が変わっても(例えば取り除かれたりしても)、変わらないというか、そうなるようにできているのである。

もう少しシンプルに書くと、
良くエサを集めてくるのは、全体の2割(2:8)
全体の8割は働くが、2割は働かない(8:2)
残った普通な奴らが、6割になる。
つまり8:2の構成が、全体を2:6:2にしているのである。
良いも、悪いも、2割なのである。が故に、普通は6割になる。

これを僕らの社会に当てはめて考えてみる。
皆さんの勤める会社や学校ではどうだろうか。

仕事ができたり勉強ができるのは全体の何割いるだろうか。
そしてその逆は何割いるだろうか。さらに多くの人が当てはまるであろう、普通はどのくらいになるだろうか。ちょっとやってみてほしい。

もし、この説が正しいとしたら、世の中には仕組みがあるという事になる。ちなみにパレートの法則は、図にするとこんな感じである。

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あなたはどちらに属しているだろうか。
いい方の2割?悪い方の2割?それとも普通の6割だろうか。


ということで、今ここに、上の2割と下の2割について最もよくわかる1コマを用意した。ぜひ見ていただきたい。

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てんとう虫コミックス28巻掲載「夢はしご」の1コマ。他人の夢の中へはしごをつかって介入できるというひみつ道具。しかし、ドラえもんも夢の中にいながらにして出しているので、本当に存在するのかどうか疑わしいという「うつつまくら」的な議論を呼んだりしている。この1コマはその夢はしごを使ったのび太が、スネ夫の見ている夢をのぞき見している時の物である。

言うまでもなく、上位の2割がスネ夫である。そして下位の2割にはのび太が入るという構図である。

しかし、どちらも2割の中でも極端である。

一方は、月を買えると本当に思っているし、それができそうな雰囲気であるから、上位2割の中でもトップクラスなのだろうと思う。しかも、とてつもない事(月を買う事)を、自分の決裁権でもって行えるワケであるから、それはもうすごい地位である。

そしてもう一方は、犬小屋に住んで原始人みたいな恰好をさせられて、両膝をついてご主人さまに傅いている。仕事がある分だけ恵まれているのかもしれないが、あまりにもな待遇である。さらに言えば「月を買ってこい。」という難題に答えられそうにもないのだ。鼻水を垂らしているような人が、解決できるようなことでない。要するに見込みがないので、こののび太は下位中の下位として描かれている。セリフの「ハイ、ハイ」という、返事を2回繰り返すあたりに、無能な人の描き方についてのこだわりが見て取れる。

さて夢の内容は無意識とも意識とも言われている。良く聞くのは、潜在意識である。

人は睡眠中に、その日の記憶や経験を過去の記憶を照らし合わせ、要るものと要らないものに整理していくらしい。そしてそれは潜在意識で行われ、覚えていたい記憶を残したり、嫌な記憶を消し去ったりということのようである。

しかしながら、自分の都合のよい記憶の整理を意識的には出来ないため、嫌な経験でも強烈であれば忘れられないこともある。

また、夢の中に自分の願望や不安と言ったものがメッセージとして含まれていることが多いのも興味深い。

自分が思いを寄せている人が、夢の中で恋人となってデートを楽しむというのは、願望が表れていると言える。逆に、上司に失敗を叱られている夢を見るのは、現実に叱られたことへのわだかまりであったり、失敗して叱られるのではないかという不安からきている。

このコマの場合どうだろうか。

もちろんこれは、スネ夫の願望100%である。好きな女の子と一緒にいたいし、欲しい物は何でもあげたい。それも自分の力(この場合、財力)で、である。

さらに、何でも言う事を聞く「召使」がいれば、面倒なことは全てそいつにやらせればいいのである。自分はその決定をすればいいだけ。それができる立場になりたい。

と、そんなところだろうか。

この背景には当然、常日頃から自分が富裕層である、という認識、そしていつもバカにしているのび太にはこれくらいが丁度いいや。という蔑みの気持ちなども見て取れると考える。

しかしそれを思っていたとしても、日常生活の中で大っぴらにして生きてはいけないので、普段からスネ夫は取り繕っているのだろうと思う。その感じがにじみ出てしまった時、「嫌味なやつ」とか「ずるがしこい」などと言われてしまうのだ。

だから、この夢は彼の願望。つまり、それを大っぴらにしたい。抑制しないで生きてみたい。という事なのかなと思われる。

とはいえ、彼の願望はかわいい物だ。

大きな財力やお屋敷があっても、そばにいて欲しいのは幼馴染のしずちゃんだし、召使として使いたいのは、これまた幼馴染ののび太なのである。

月を買えるほどの財力、それがいくらなのかはわからないが、それがあるとしたらば、もっといろんな選択肢があってしかるべきであるし、逆を言えばより良い物を選ぶことのできる立場になるはずである。だが、彼の願望としてはそのような方向には進んでいないようである。

全て身の回り、自分の世界の中でしか物事を組み立ててはいないのである。要するに、世界が狭い子供なのである。そういう意味でかわいいと言えるし、このコマの愛でるポイントはこの辺にもある。

さて、皆さんは子供のころの夢とか、願望について、どこまで覚えておられるだろうか。

中には子供のころなりたかったものになっている人もいるかとは思うが、大体の人は、大人になっていくにつれて、視野が広がる事もあり、なりたいものも変わっていってしまう。または、流れ流されて今の状態になっているだけで、本当に自分でそれを選んだかどうかなどはわかりようもない状態の方が多いのではないだろうか。

大人になってから振り返ってみると、なんであんなものになりたかったのかなぁ。とか、なんであんなものをあんなに欲しがっていたのかなぁ。と思う事もあるが、どちらかと言えば何かを欲しがっていたような気がするが、それが何だったかは、覚えていない。という事も多い。

だから、大人になってから「子供らしい夢や願望の内容を考える。」のは、結構難しい事であろうかと思う。もう、忘れてしまっているからだ。

そういった意味で、このスネ夫のセリフ「金はいくらかかってもいい。月をかってこい」の中には、忘れてしまった何かがあるような気がする。

ハッとさせられたのは、この「いくらかかってもいい。」の部分である。

そう、子供のころの夢や願望には制限はないのだ。

大人になって、それを忘れたのは、自分に制限をかけたからに他ならない。

自分なんてどうせ・・・。自分にはこのくらいが・・・。

もしかしたら、そんな気持ちが先行してはいないだろうか。大人のふりをして、後ろ向きにしか考えていないのではないか。

F先生がここで書いているのは、紛れもない子供のころの夢である。大人が考えた子供らしい夢ではない。ここには制限がない。だから、二人の地位も行くところまで行っているのだ。

極端でもいい。望むべきである。子供らしくたって、笑われたって、怒られたって、夢を描くことが重要なのかもしれないのだ。

ここに、そんなメッセージがあるような気がした。


いいね?

だから、みんなも行動しよう。

自分に制限する、弱い自分とはさよならしよう。

約束だよ!行動しよう!

今こそ、あの欲しがっていたあれを買おう!

ここから買えるんだ!

さあ!

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