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#31 めんどくさくなってね、みんなでしばらく休もうと………。
われわれの怠惰を罰するには、自分の不成功ということ以外に他人の成功ということがある。 ルナール 「日記」
まず、このコマをご覧ください。
てんとう虫コミックス ドラえもん第26巻収録「ビョードーばくだん」
日ごろの不平等に不満を訴えるのび太に答えて、のび太と他の人が全て平等になる為のひみつ道具「ビョードーばくだん」を出したドラえもん。これはその毒牙が、パパにまで届いた際の1コマです。
ここでぜひパパを自分にして、ドラえもんのセリフの「日本」の部分をあなたの大事な何かに置き換えて見てください。
どうです・・・ゾッとしますね。逆に笑えてきます。
手に負えないからと言っていろんなことを言い訳にして、面倒くさいからと言って先延ばしにし、開き直って他人と示し合わせた挙句に、寝転がって怠惰をむさぼる。
これは将来を憂いられてしまっても、仕方がありません。
しかし僕自身が今、こうなっているような気がしているのです。
いろいろとどっちつかずで、判断がめんどうくさくなってるのです。
生きるとは「決断」するという事です。
良くも悪くも、この繰り返しです。
しかし、今のように社会が不安定だといろんなことが不透明になり、先が見通せなくなります。思い描いていたような予定とも違くなってしまいます。だから今、どのようにしてこの先行き不透明な中で、将来への決断をすべきかと思い悩んでいます。
仕事のコト、会社のコト、お金のコト、家族のコト、友人のコト、社会のコト、自分のコト・・・。あまりにも多くのコトが複雑に絡み合い、切り離せない状態です。
どうしたらこれらのコトに対しての、良い決断をできるのでしょうか。この悩みが大きくなりすぎて、なかなか決断できない程なのです。これでは何も進みません。
だから、そもそも決断をするのに自分に必要なコトは何だったんだろうと思い返してみる事にしました。
決断とは、きっぱり決める。とか、思い切ってする事です。
物事をきっぱり決めるためには、状況を調べて、情報を得て、それらを分析した上で、最善と思われる判断するべきだと考えていました。しかしそれはただの「決定」の仕方であり、「決断」ではないという事なんですね。
先行きが不透明であればあるほど、当然ながら状況も情報も不確かになってしまいます。その為、それらを使って決定をする事は難しくなるのです。
それであっても思い切る事が必要な訳ですから、これはロジックとか常識などという、これまで決定するために使ってきた要素とは、違う何かが必要になってきます。
今、おそらくその何かとは「直感」・「信仰」なのではないだろうかと思います。
直感を信じるという決断の方法。信仰に準じて決断をするというのは、意思決定のガイドラインになると思うのです。ここで言っているのは宗教的な意味だけではなく「自分に対しての信仰」です。
直感を信じて。
信仰に準じて。
という言葉が僕の心に引っかかっています。特に僕の場合、この自分に対しての信仰が弱いという弱点(欠点)があります。
全てが計画した通りに物事が進むとは思っていませんが、こうまで世の中が変わるのであれば、改めて計画し直す必要があるのではないか。と実行に移す事へ二の足を踏んでしまうのです。
以前、以前の記事で「VUCA時代」と「OODAループ」の話をしました。
何が起こるかわからないVUCA時代に、慣れ親しんだPDCAサイクルがすでに古い物になっていて、臨機応変さと軌道修正能力を併せ持ったOODAループのスピード感を持った意思決定の仕方が必要である。という話でした。
そうですね、これは全く自分に活かせていない。という事がわかりました。ここまでくると、単なる優柔不断さを露呈しているだけなのではないかとも思います。そして、この優柔不断という事こそが、決断をしないという怠惰なのではないかと思う訳です。
とはいえ、今の世の中でこの言葉は、共感を集めます。
「こんな状況だから、今は大きな決断するべきではない。」
えぇ、わかります。先行きが見えないですもんね。無理もないですね。時期を見てまた考えましょうね。・・・とまぁこんな風な会話になるのです。本当に状況は悪いのですから。
でもこの会話ほど無駄な物はありません。停滞だからです。また戦略的な延期と、延命のための延期では大きく意味合いが違ってきます。
そもそも時期を見る事と延命を図る事は両立するのでしょうか。今、延命を図るために、むしろ挑戦しないといけないのではないでしょうか。
時期を見るために動きを鈍らせた結果として、本来得られたかもしれないチャンスを逃してしまうという事も考えらえれます。やって見なくては何もわからないのではないでしょうか。
いろいろな事に対して、進むべきか、戻るべきかで板挟みなのです。
ここにはまさに決断が必要なのです。
そんなこといったって、答えはすぐには見えない訳です。耐えるべきか、攻めるべきか、それを決断しなくてはならないのですが、うーん、あーもうめんどうくさい!しばらくみんなでやすもう!
と言いたい気持ちとそれに賛同したい気持ちもよくわかるのです。
作中でも、のび太の持っている決断力は決して高い方ではありません。もしかしたら、彼がぐずぐず悩んで決断しないという事が、のび太を取り巻く環境に影響しているのではないだろうか。と考えました。
つまり、のび太は根気が無いのです。難しい、面倒くさい状況に対して、根気強く立ち向かえていないのでしょう。
と、ここまで整理して気が付きました。だから、この文章はこうなります。
つまり、僕は根気が無いのです。難しい、面倒くさい状況に対して、根気強く立ち向かえいないのです。
今、大変な状況なのは、皆一緒です。
そうです、奇しくも皆がビョードーなのです。
日本の将来を憂う日々は残念ながらまだまだ続きそうですが、面倒くさいからと投げ出さないで、どうにかして根気強く耐え抜きたいと思いました。じゃないと、誰かに出し抜かれてしまうかもしれませんよ。