見出し画像

#52 いいんだ。みんながターザンを好きになってくれてうれしいよ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

「推し活(おしかつ)」という言葉がある。

「推し活」とは、自分にとってイチオシの人やキャラクター(推し)を応援する活動のことです。
推しのライブやイベントに参加したり、グッズを購入するなど推しに関わる推しのための活動が推し活です。

推し活とは?流行りの推し活の方法を解説!

YoutubeやSNSは人気者商売にとって今やマストの発信媒体だ。故に、新旧の人気者たちが入り乱れてアカウントを持ち、日々ファンの為の発信を続けている。

そしてそれらの媒体を通して、直接的なグッズの購入や、寄付などの行為を行う事が出来る。これによって発信者とそのファンの為の推し活ツールとして、日夜を問わずに使われている。

推し活のほとんどはその手軽さや手早さなどからインターネット上が主戦場であり、ライブやイベントはレアなお祭りであるが、やはり日々の推し活の積み重ねがあってこそである。

このような推し活を行う人達は、ファンであるとカテゴライズできる。

しかし、このファンもいくつかのクラスターにカテゴライズされる。

いろいろ見て適当に作った物なので間違っているかも。でも大枠でこんな感じ。

当然、熱狂的なファンが最上位に来る。この熱狂的なファンは、一言で言えば「全肯定」だ。対象が何をしてもすべてを肯定する。借金をしてでもグッズを買い、仕事をぶん投げてでもライブに行く。もし仮に推しが犯罪行為で社会的制裁を受けたとしても、何とか応援しようとする。熱狂的だからだ。推しの為に自分を見失うほどのファンである。信仰と言ってもいいかも知れない。数は一番少ない。

次に来るのが、ファンだ。「常識の範囲」で出来る限りの努力をして、出来る限りの応援をする。自分の生活や人生を投げ出すほどではない。熱意が足りないのではなく、ファンとしての自覚があるがゆえに、ファン続けられるようにするためには、働かなきゃならないし、いろいろを調整しなくてはならない。と自分を見失う事の無い様にもしている。要は普通のファンだ。数は2番目に少ない。

リピートファンとは、上の2つのカテゴリ程ではないが、割と好きになっているのでもし売っているのであれば、また買いたい。と思っているファンを指す。言うなれば、上2つの人たちは、「絶対予約組」で、このリピートファンは再購入するがそれは売っていそうなところを見て、もし売っているならばまず買う。という感じだ。良いと思っているが事前の予約をしてまではリピートしない。数は3番目に少ない。

ライトファンとは、それを知っていて買ったり、使った事があるが、皆がやってるから好きというようなファンを指す。簡単に言えば、にわかだ。ライトファンは、周囲でこれが流行っていると認識したら、自分もそれを好きになるような心理に近い。その瞬間はファンだが、少し離れれば別の物のファンになれる。ぶっちゃけこの人達が一番楽しく過ごせる層だ。数は4番目に少ないが、かなり多い。

トライアル/潜在ファンは、まだ対象を試したことが無いが、試せば好きになる可能性がある人達を指す。出会っていない人達とも言える。この層に入る人数は無限大と言っていいし、全ての人間は何かのトライアル/潜在ファンであるとも言える。

以上の5つのカテゴライズの中で、「推し活をするファン」は、上位の3つ、すなわち、熱狂的ファン、ファン、リピートファンだと言える。個人的な解釈だが、熱狂的ファンとファンの間には知識や経験の部分でかなりの壁がある。熱狂的ファンは人生をかけて追っている。そのレベルの人を指すので、常識の範疇など越えていると考える。

しかしファンとリピートファンの間にはその壁はあまりない。なぜならリピートしている時点で、もはやファンであると言えるし、ファンである事自体の定義がかなり曖昧であるからだ。また、自覚として自分をファンであるとは思えても、自分はリピートファンだなぁと思う事はない。リピートファンはそこまで世の中に浸透したカテゴライズではない。

一方、ライトファン、潜在ファンは当然ながら繰り返し積極的に購入するような熱意は無い。彼らのマインドは機会があったら試してもいいかも知れない。である。ただ、機会が創出されていたとしてもファンではないため熱意が無いので、それをスルーする可能性もある。何せ、気にしなくてはならない物事が世の中には無数にある。彼らにとっては、例え一時であったとしても、推さなくてはならない対象は海岸の砂粒程ある。

上の表には無いが、古参ファンという言葉もある。読んで字のごとく、昔からのファンを指す。ファン歴〇年のような人達の事を指す。推し活という言葉は、この人達よりも後に出来た新しい言葉だ。彼らからすれば、ファンでいる事と推し活は同じ意味であるし、何を今更という感じである。

彼ら古参ファンには、新しい熱狂的ファンには持っていない物がある。それは推しと一緒に時代を経て来たという自負だ。伊達に長い間、ファンを続けて来ていない。というプライドに近い。そのため熱狂的ファンは彼ら古参ファンの中から生まれやすい。熱狂的ファンかつ、古参ファンである場合、ファンのコミュニティの中でリーダーシップを取っている事もあるくらいだ。

推し活をしている人達というのは、これが全てではないにしても、このようなカテゴライズができそうな人達で構成されている。

今回の宇宙ターザンを好きなのび太は、熱狂的ファンだ。基本ドラえもんの道具による力だとは言え、訴えて行動し、何とか番組の存続と発展、および離脱したファンのカムバックにも成功した。

だがその結果、友達の中でも古参ファンかつ、熱狂的ファンであるにも関わらず、彼は宇宙ターザン役をごっこ遊びの中で出来なかった。それは急に増えたファンによる、古参ファンへのいわば妨害行為だ。では見て欲しい。

のび太は間違いなくこの中で一番の古参かつ熱狂的ファン

てんとう虫コミックス第16巻「宇宙ターザン」のラストの1コマ

無論、これはジャイアンやスネ夫たちの中でののび太のヒエラルキーと、ファン歴が長いという事とは関係が無い。無常である。しかし彼が「僕が一番宇宙ターザンが好きだし、貢献しているんだ!」という主張をする事はない。

どう考えても、番組が良くなってからファンのように振る舞うのび太以外の連中は、ライトファン(にわか)だ。なぜ、怒りが湧かないのだろうか。プライドや実績を貶されているとは思わないのだろうか。読者としての私たちも、モヤっとしてしまわないだろうか。

コマの、のび太をもう一度見ていただきたい。

彼がやっているのは宇宙ターザンが乗る恐竜役だ。四つん這いになって、汗だくになりながら、ジャイアンを乗せて戦っている。屈辱的であるともいえる。しかしその顔は、不思議と満足感と喜びに満ちているように見える。そこでこのセリフである。

「いいんだ。みんながターザンを好きになってくれてうれしいよ。」

この「いいんだ。」という言葉は、先ほどの怒りが沸かないのだろうか。という読者へのアンサーになっている事に気が付いているだろうか。

実際、あんなに貢献してターザンを救ったのは、ずっと大ファンでいたのび太だけじゃないか!というような事は、本編では一切語られていない。

F先生は、明確に読者へ向けてこの「いいんだ。」を言っている。

さらに続く言葉を見ていただきたい。

「みんながターザンを好きになってくれてうれしいよ。」

自分の好きな物を、みんなが好きになってくれると言うのは、嬉しい。と言う精神性は、実は古参や熱狂的ファンにとっては、難しくなる事もある境地である。

先ほど述べたように人生をかけて推し活をしているような人達が、にわかに対して思う事は、「よく知りもしないくせに!」だったりするからだ。

このコマにある物。それはこうじゃないかと考える。

どんなコンテンツも、スタートアップには熱狂的なコアになるようなのファンが必要だ。金銭や認知拡大にもある程度無条件で支えてくれるファンが欲しい。まずは、その人達からじわじわと広がっていって、ファンのコミュニティが広がっていくことが望ましい。

だが、コミュニティが広がれば広がる程、ファンの数が多くなればなるほど、次第に「ファンたるもの」と言うような、コアのファンたちが持っていた精神性は薄れて行ってしまう。この精神性をロイヤリティーと言ったりする。

このROYALITY(ロイヤリティー)とは、その何かに関しての「忠誠心」・「忠実心」の事を指す。図の階層のオレンジ色は、このロイヤリティーの強さを表している。そして、三角形の形が表すように、下に行けば行く程に人数は増える。活動が始まった当初よりもファンになるのには、カジュアル(手軽)になれると言い換える事もできる。

オレンジ色はロイヤリティー(忠誠心)を表しており、下に行けば行く程人数は増える

人気になって、売れた。と言えるようになるには、売り上げが沢山必要だ。ターザンで言えば、視聴率と言える。たくさんの人がテレビ番組「宇宙ターザン」を見てくれることが必要なのである。数少ない熱狂的なファンが見ているだけでは成り立たないのだ。

そのためには、必然ロイヤリティーの薄い層へと標準を絞って施策を打っていかなくてはならない。

つまり、人気になる・売れるという事は、

忠誠心の低い、お手軽なにわかファンが増えるという事なのである。

しかしこれを、熱狂的なファンが喜ぶハズがない。

例えば、あなたがお金や時間をかけて支えてきた人や物が、突然人気が出たとして考えてみよう。

昨日まで誰も、あなたが好きな物について興味を示さなかったのに、何かのきっかけでみんながそれに夢中になるのである。しかし、夢中になったのが最近なので、浅い知識やファンにとっては当たり前のトリビアで盛り上がっている。あなたにとってはもう常識レベルの内容だ。そんなものを知っているの、知らないのとおおはしゃぎ。挙句には、間違った内容を自慢げに話している人も出てくる。何かプレミア値の付いたグッズがあるとする。それはあなたのお財布事情的には手が出しにくかった。しかし、お金を持っているにわかファンが、自分がそれのファンであるという事を言うためだけに、スッと購入にしてSNSにあげて自慢している。おそらくSNSにあげた後は、一切見向きもしないだろう。だが彼らはまるで、それを持っていないのは本当のファンではないと言わんばかりだ。

こういう事を、あなたは我慢できるだろうか。
この、にわかファン共が。と言わずにいられるだろうか。

こんな言葉がある。

「売れるという事は、馬鹿に見つかるという事」

お笑い芸人 有吉弘行

言い得て妙である。

だがこのコマの、のび太はこれを受け入れているのだ。何と凄まじいロイヤリティーで、何と素晴らしいファンなのだろうか。ファンの鏡。ファンの中のファンだ。


但し、残念ながら僕はここでのび太を全肯定する訳ではない。

実際、宇宙ターザンはのび太とドラえもんが助けるまでは、制作費が底をついており、恐竜の着ぐるみにはパッチワークが当てられる程だった。そのような状態の番組を継続するという判断は、あまり褒められた物ではない。

この作品中では、「最初は面白かったけど」という言葉が出てくる。これが何を意味しているかも考えるべきである。どんな高い理想の元に始まった番組も、マンネリ化や予算不足は避けれない運命にある。あの笑っていいとも!でさえ終わったのだから。

そうならないためには、脚本の精査や、制作人の工夫、プロデューサーのスポンサー集めなどが必要である。そういった事がどうしても追いつかないという事はあるだろうが、そうなってしまうという事は、コンテンツ自体の寿命であるとも言える。

トレンドには、新陳代謝が必要である。これは宿命だ。

それをドラえもんによる裏技で続けるという事は、果たして本当にやっていい事だったのだろうか。一連の事は、のび太の為にやった事だ。終わるはずのコンテンツを、無理やりに伸ばした。結果人気は復活したかも知れないが、この宇宙ターザンはいつまで続けられたのだろうか。詳細のわからないセットや、恐竜たちについての追求が外部からなかったのだろうか。桃太郎印のきびだんごの効果は終わるまで持ったのだろうか。制作陣の安全面は?どこでもドアとタイムマシンの誤作動などの可能性は?ある日突然、現代に戻ってこれなくなったら?後半は邪推かも知れないが、そういう危険をはらんでいると言える。

番組の最後まで面倒を見たのだろうか。それは語られていない。


さて、このコンテンツの寿命という物は、どんどん早くなってきている。文字通りに、あっという間に終わってしまう。仮に人気が出ても、一瞬にして消費されて終わってしまう。なぜなら、すぐに次のコンテンツが控えているからだ。

別の言い方をすれば、弱肉強食とか、自然の摂理と言った言い方である。それを超えるのが、22世紀の科学の力だろ。と言われればそれまでかも知れないが、それこそ「自然に反した物である」とも言える。

これらの事を踏まえた上で、それでも「宇宙ターザン」を全肯定していたのび太は、間違いなくコアな熱狂的なファンであり、盲目的な信者であると言える。

よく誰とは言わないが、アイドル的な人が不祥事を起こした時、それでも応援する。とすぐに発信するファンがいる。彼らの気持ちはよくわかる。だが、被害者のいるような不祥事や、法律に違反するような不祥事が起こった時でも、このようなコメントをする事がある。要は、全肯定なのである。

彼らが、その対象を全肯定するのは自由だ。しかし、それを外に発信すべきではない。と思われる事が多い。非常識に見えるからだし、それを見た熱狂的とは言わないまでも、ファンだった人達やファンになったかも知れない人達が、それをどう思うかを考えていないように思える。

どんな不祥事を起こしても、全肯定するような常識のない人達が応援しているのであれば、自分は距離を取る方がいいだろう。と、そう思われる事への想像力がないのかも知れない。

22世紀の科学(もっとも、のび太の時代では誰も理解できないだろうが)を使ってまで、番組を引き伸ばしている。事は、わかりようがないだろうが、ファンにとっては嬉しい事だろう。だが背景には、誰にも説明の出来ない不思議な物によって続いている番組と言う事実がある。

簡単言えば、行き過ぎると怖いのだ。引いちゃう、とも言える。

22世紀のひみつ道具ではなくても、これが巨額のスポンサー費であると考えれば、より理解しやすいかも知れない。

子供がこの番組のファンだから、と言って会社の資金を、その番組にぶっこむような人がいれば、それはやり過ぎていると言えるし、お金で何でも何とかなる(それが真実だとしても)、という経験を子供にさせるのも良くないような気がする。


理解を超えた力、それは少し不思議な力と言えるかもしれない、が、このドラえもんと言う漫画の魅力だ。それは科学かも知れないし、魔法かも知れないし、人の想いかも知れない。

のび太は、はたから見れば盲目的な信者だったかもしれない。だが、最後に、その精神性は自分には向かわず、自分よりも下の階層へと向かった。これはとても尊い事だ。そこに喜びを見出したのだから。それだけは確かだ。最後には、盲目的な信者ではなく、客観性を持って自体を把握したのだ。

僕らも何かのファンになった時、誰かに対して自分の方がファンである!みたいな態度は絶対にとってはいけないと思う。むしろ、あなたもそれが好きなんですね、嬉しいです。と言えるようになりたい。

この宇宙ターザンから受け取った事はこれだ。

もう好きな物でマウントを取る時代は終わった。
喜びを共有する時代が来ているのだ。
もしかしたら、盲目的な信者でい続けるのはもう辞めるべきかも知れない。

もし、あなたの好きな物ににわかファンや盲目的な信者が増えた時は、バランス感覚に優れたこのセリフを言うのが真のファンだと思う。

「いいんだ。みんながそれを好きになってくれてうれしいよ。」

いいなと思ったら応援しよう!