元教員インタビュー#5 教員生活を経て、キャンプ場をオープン。自然の中で「暮らしを遊ぶ」体験を|大西新二郎さん
今回インタビューさせてもらったのは、大阪唯一の村である千早赤阪村でキャンプ場を営む大西新二郎さん。
大阪府内の公立小学校で18年間教員を務めた後に、「自然の中で くらす あそぶ まなぶ。」をコンセプトにした、campsite 麓(キャンプサイト ろく)を2024年4月にオープンしました。
教員時代に感じたことが現在の取り組みにどうつながっているのか。これまでのキャリアと、キャンプ場の運営を通して実現したいことを聞きました。
定年後より「今」。エネルギーをやりたいことに
—— どのような経緯で、キャンプ場を運営することになったのでしょうか?
教員になったばかりの頃は、「定年退職するまでこのまま教員を続けるんだろうな」と思っていました。そう思いながらも、退職後は、自然の中で子どもたちが遊べる場所をつくりたいという夢を持っていました。
10年ほど勤めた頃、「仮に65歳まで教員をやって、そのあとにキャンプ場をつくるとしたら、そのときに自分の体力や気力はどのくらい残っているだろうか?」と感じ始めたんです。
経済的な余裕はあったとしても、今ほどのエネルギーは残っていないかもしれない。いろんなアイデアが浮かんでくる今、このタイミングを逃したらもったいないんじゃないか。そう思い始めて、教員を辞めてキャンプ場をつくることを考え始めました。
当時はすでに結婚していて2人の子どもがいたので、すごく悩みましたけどね。まずは家族に相談するところから始めました。
—— ご家族はどのような反応でしたか?
妻は「いいんじゃない?」という感じで、肯定的に受け止めてくれました。もっと深刻な反応をされるかと思ったら、そうではなくて。僕が「いつかキャンプ場をつくりたい」と思っていたことは、妻も知ってくれていたからだと思います。
それからすぐにキャンプ場の場所を探し始めました。実は、最初に訪れたのが千早赤阪村だったんです。村の道の駅を運営していた方とも知り合い、思いを伝えたら「絶対に村にキャンプ場をつくりましょう!」と背中を押してくれました。村内のいろんな場所に連れていってくれた結果、今キャンプ場を開いているこの場所と出会ったんです。
また、キャンプ指導員の先輩が会社を経営していて、彼に教員を辞めてキャンプ場をつくろうとしていることを話したら、ありがたいことに「うちの会社の新規事業の1つとしてスタートしないか?」というお話をいただきました。なので、家族を養っていく上での保障がある状態で始められたことも大きかったと思います。
子どもたち、地域の方たち。多くの“人”の支えがあった
—— 場所を決めてから実際にキャンプ場を開くまで、どのような準備をしていったのでしょう?
もともと田んぼや畑として使われていた場所だったので、4、5年かけてキャンプ場として使えるように開拓していきました。毎週土日は家族で来て、草刈りをするところから始めたんです。
子どもたちは川遊びをしたり、地元の方が持ってきてくれたイノシシを食べさせてもらったりと、普段はできないような体験もさせてもらいました。妻も子どもも、新たな場所を開拓していく過程を一緒に楽しんでくれたのはありがたかったですね。
—— いい場所を見つけたのですね。
そうですね。ただ、その土地の使用目的を定めた法的な縛りがあって、「やっぱりここではできないんじゃないか」と思うこともたくさんありました。壁にぶつかる度に、地域の皆さんが力を貸してくれたんです。それなしには、このキャンプ場はオープンできませんでした。
振り返ってみると、時間をかけて地域の方と関係性をつくっていくことも大切なことだったなと思います。その過程では、子どもたちの存在もすごく大きかった。
うちの子どもや知り合いの家族だけではなく、キャンプ場をつくってたくさんの子どもたちが育つ場所をつくりたいという思いでやっていたので、「子どもたちのためなら力を貸したい」と思ってくださったようです。キャンプ場をつくることができたのは、手伝いに来てくれた子どもたちはもちろん、思いに共感してサポートしてくれた地域の皆さんのおかげなんです。
キャンプには「学び」の必然性がある
—— 大西さん自身は、キャンプとどのように出会ったのでしょうか?
実は、教員を目指したのもキャンプがきっかけだったんです。小学校6年生のとき、友達に誘われてサマーキャンプに参加しました。3泊4日親元を離れ、子どもたちが中心となって生活をする体験をしました。
お風呂はないので川で体を洗い、寝床となるテントも自分たちで張って、火を起こしてご飯を作る。その過程で、自分が変わったような感覚があったんです。「自分ってこんな面白いところがあるんや」という発見があったし、いい仲間ができた。
その後もサマーキャンプには毎年参加し続け、高校生になってからは指導員として小中学生をキャンプに連れていく立場になりました。そこに参加する子どもたちもたった4日間でガラッと変わっていく。そんな姿を見て、子どもと関わる仕事がしたいと思って教員を目指すようになったんです。
なので、教員時代も自然体験活動には力を入れていましたし、子どもたちが生きた体験をすることや人と出会う機会は大切にしていました。
—— 今は、どんな思いでキャンプ場をつくっていますか?
今の僕たちの暮らしは、どんどん機械化が進み便利になってきていますよね。けれど、キャンプでは自分たちの手を動かして暮らしをつくっていくわけです。
ご飯を食べないとお腹が空くので、そのためには自分たちで食材を用意して調理する必要があります。そのときに、どうやったら火をつけられるのか考えるし、食材をどう切ったらいいのかも考える。暮らしの中には、学びの必然性があるんです。
その過程で、新しい発見があったり自分に自信がついたりするんだと思います。上手くいかないことも含めて、「暮らしを遊ぶこと」に面白さや楽しさを感じる。それがキャンプなんだと思うんですよね。
一番キャンプを体験してもらいたいのは子どもたちなので、子ども連れの家族でも来やすいようにトイレや水道周りはきれいに整えました。自然の中で遊べる環境も残しつつ、子どもたちが楽しめるプログラムも用意しています。
ご家族で来てくれた方からは、「(子どもが)普段はYouTubeばかり見ているけれど、ここに来たらずっと虫を捕まえたり川で遊んだりしています」と言っていただけることが多いですね。そういう声を聞くと、やってよかったなと思いますし、満足した顔で帰ってくれることが僕自身の喜びにもつながっています。
大人だけのグループやお一人で来られる方にとっては少し騒がしいかもしれませんが、来てくださる方は子どもたちの姿をニコニコしながら見守ってくださいます。そんなあたたかい雰囲気は、お客さんたちがつくってくれている感じがしています。
教員時代にできなかったことを、この場所で
—— これから挑戦していきたいことはありますか?
将来は、どんな環境にいる子どもたちもキャンプに来られるような仕組みをつくりたいと思っています。
現状では、キャンプは誰もが体験できることではありません。子どもだけでキャンプをすることはできないので、家族に経済的、時間的な余裕が必要です。親がキャンプに慣れていない場合は、キャンプに来るハードルはさらに高くなります。
それが大きな課題だと感じていて、どうやったら大阪中の子どもたちに自然の中での遊びを体験してもらえるかを考えています。まずはキャンプ場としての経営基盤を整えることが必要ですし、さらに学校と連携しながら、カリキュラムの1つとして位置付けられるようなプログラムもつくっていきたいと思っています。
僕自身、公立小学校に勤めているときに、いろんな家庭環境の中で育つ子どもたちと出会ってきました。その中で、「この子の居場所をつくってあげられへんかったな」「この子を上手く生かしてあげられへんかったな」と悔しい思いもしてきました。そんな子どもたちの顔が、今でも自分の中に残っているんです。
きっと以前の僕のように、歯がゆい思いをしている先生は多くいると思います。けれど、それはもう先生の力量の問題ではないと思うんです。学校教育の仕組み自体にも限界があるので、もっと学校はいろんな人の力を借りながら子どもたちを育てていければいい。今からでも、僕はその力になりたいと思っています。
—— 最後に、キャリアを模索している先生へメッセージをいただけますか?
やっぱり自分が楽しいと思えることをやっていかないといけないと思うんですよね。苦しみながらやっていたら、きっといいものは生まれないと思うので。もちろん苦しさを乗り越えなければいけないときもあると思いますが、学校に勤め続けるにしても離れるにしても、最終的には自分が「楽しい」と思う感覚を大切にしてほしいと思っています。
僕自身は、学校の中でも楽しいことはありました。けれど、心からやりたいと思うことを考え抜いた結果、学校を離れる決断をしました。ありがたいことに、今は楽しい人生を歩めているので後悔はありません。
あまり偉そうなことを言える立場ではないのですが、学校にいる先生たちには、前向きに次のキャリアを歩んでいって欲しいなと思っています。
—— 大西さん、ありがとうございました!
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編集後記も、よければご覧ください。