見出し画像

映画「オッペンハイマー」を観たら知っておきたい核兵器の脅威

映画「オッペンハイマー」でクリストファー・ノーラン監督は現代の核兵器の脅威を、一人の物理学者を中心とした開発経緯を描くことで伝えようとした。

「核兵器の脅威」というのはあまり日常的な話題にはならない。「気候変動」や「感染症」の方が僕らにとってはよっぽど身近な話題だ。

ノーラン監督はNHKのインタビューで、本作品で核の脅威を主題に扱うことにしたきっかけとしてこんなエピソードを語っている。

「10代の息子は私に『僕たちの世代ではあまり関心がない。気候変動に比べると核兵器は大きな関心事ではない』と言いました。衝撃でした。核兵器に対する私たちの意識や恐怖心は地政学的な状況によって変化します。変化することを常に意識し、懸念すべきなのです」

クリストファー・ノーラン監督インタビュー全文 映画『オッペンハイマー』で描いた“核の脅威”

ノーラン監督は80年代まで続いた米ソ冷戦の核戦争の脅威を同時代で経験している世代だ。冷戦終結後に生まれた僕らの世代では、感じているものが違う。

おそらく僕らの世代では「気候変動によって人類は滅亡しかねない」といった危機意識を持っている人はそれなりにいるだろう。映画「インターステラー」で描かれている未来でもある。

「オッペンハイマー」を観てからどうしてこのタイミングでノーラン監督がこの題材を扱ったのかを知りたくて、核兵器の脅威について調べてみたら、僕自身も見方が変わってきた。分かったことをまとめたいと思う。

①「現役核弾頭」は増加傾向に転じている

まず「世界的な協調によって核軍縮は進んでいる」と勝手に思っていたのだがそれは大きな勘違いだった。

世界の「核弾頭の総数」は減少傾向であることは事実だ。しかし「総数」には「退役・解体待ち弾頭数」が含まれている。「総数」が減少傾向にあるのは、冷戦時代に大量に核兵器を製造した米ロの「古い核弾頭」が処分されていることが大きな理由だ。

いつでも利用可能な「現役核弾頭」に限ると2018年以降に増加傾向に転じている。

引用:長崎大学核兵器廃絶研究センター みんなで考えよう。核兵器のこと 2024

増加傾向に転じた一つの要因は、米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)が2018年2月に履行期限を迎えたこと。両国ともに配備済みの戦略核弾頭数の削減目標は達成したものの、2026年2月に条約の期限が切れる。それに続く条約の目処は経っていないなかで、両国ともに最新の核兵器開発への転換をはかっている。

最大保有国は米ロではあるが、2018年以降北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イスラエル、英国も「現役核弾頭数」を増やしている。

核軍縮はまったく進んでいないどころか拡大傾向の真っ只中にいるのだ。アメリカにトランプ政権が返り咲けば、2018年に米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱したことからも明らかなように、グローバルな核軍拡競争に拍車がかかるだろう。

各軍拡の現状については長崎大学核兵器廃絶研究センターがまとめている「みんなで考えよう。核兵器のこと 2024」のインフォグラフィックを見てほしい。

②全面的な核戦争が起きた場合のシミュレーション

「最悪の事態」はどのように引き起こされるのだろうか?核兵器を専門に研究するアメリカ・プリンストン大学のアレックス・グラーザー氏の研究チームは、2019年に米ロの全面的な核戦争のシミュレーションを公開した。

PLAN A」と題されたこの動画は、ロシアがNATOを威嚇する目的でポーランドとドイツの国境付近に核爆弾を1発投下するというところから始まる。そしてNATOが報復として、ロシア・カリーニングラードに1発投下。

その後、ロシアとヨーロッパのNATO加盟国の全面核戦争が勃発。ロシア側は300発、ヨーロッパのNATO加盟国は180発の核爆弾を互いに投下し合い、この3時間で死傷者数は約260万人。

欧州が破壊されたことで、NATO加盟国であるアメリカが潜水艦や陸上拠点から大陸間弾道ミサイル(ICBM)をロシアの核基地に向けて600発発射。それを感知したロシアも報復のICBMを発射。軍事基地を中心とした報復の応酬で、45分でさらなる死傷者数は340万人。

敵国の機能を破壊し尽くすために、次に米ロが標的にするのが人口の多い都市や経済拠点。大都市も壊滅的な被害を受け、45分でさらなる死傷者数は8530万人。

「PLAN A」の核戦争シミュレーション

核戦争が始まった4〜5時間で、合計の死傷者数は9150万人(うち死者3410万人)となる。核戦争後の放射線によるがん発症の死者数などはここに含まれないので、長期間で考えるとさらなる死者数となるだろう。

始まりはたった一発でも、報復の応酬によって欧州、ロシア、アメリカは壊滅的な状況になるという一連のシミュレーション。実際に配備されている核弾頭をもとに試算されているだけに現実離れしている話ではない。

最近では、このような核戦争のシミュレーションの研究が進んでおり、大国間だけではなく様々な戦争リスクに核兵器が用いられた場合の想定がなされている。こちらは長崎大学を中心とした国際プロジェクトによるシミュレーション。以下の5つのパターンを想定している。日本周辺国でのリスクをもとにしており、他人事ではいられなくなる内容だ。

・アメリカ⇔北朝鮮・中国(18発)
・ロシア⇔アメリカ(8発)
・東京でテロ(1発)
・北朝鮮⇔アメリカ(3発)
・中国⇔アメリカ(24発)

③「核の冬」によって、世界は飢餓状態に陥る

この研究を知ったのが個人的には一番大きな衝撃だった。「核の冬」は核兵器の直接的な爆発被害ではなく、舞い上がる大量の粉塵による気候変動の話だ。

冷戦時代に大気学者のリチャード・ターコ博士や宇宙物理学者カール・セーガン博士らの共著論文において発表され、冷戦終結のきっかけとなったとも言われている研究だ。当時はセンセーショナルな内容なだけに批判や懐疑論も多かった研究ではあるのだが、最近では気候変動の研究によって発達した最新の気候モデル分析をもとにした分析が進み「核の冬」のリスクが改めて認識されている。

都市火災によって「核の冬」は起きる

まず、そのプロセスを紹介する。核兵器によって大規模な都市火災が発生すると、微粒子が上昇気流に乗って成層圏にまで到達し、ジェット気流によって世界規模に拡散する。これが太陽光を遮ることにより、長期間に渡って火災起因の雲が世界中に漂うことになる。日光が遮られれば植物の死滅とそれに伴う生態系のバランスの崩壊、数度の気温低下によって気候の急激な変化がもたらされ、食糧生産に危機的な影響が及ぼされ、世界的に飢餓状態に陥るという想定だ。

これをイメージするには映画「マトリックス」の現実世界の地上の空を思い出すのがいい。人間がAIとの最終戦争にあたって、太陽光をエネルギー源としていたAIを根本的に機能不全にするために核兵器を使い日光を遮った。あの暗雲こそが「核の冬」だ。

2019年に行われたラトガース大学のアラン・ロボック教授のシミュレーションでは、インドとパキスタンの2国間が核戦争に突入しただけでも、地表温度が2〜5度は低下するとしている。この異常気象は最大10年は続き、世界的な食糧危機が訪れるという。核戦争は戦争当事国だけの話では済まないのだ。

また、同じ研究では米ロ間の全面核戦争においては、1年後のピーク時の日射量は平年の4割程度まで減少し、平年への回復には約10年かかるというシミュレーションが出ている。その結果、全球平均で2度以上の気温低下が9年間続き、気温低下がピークとなる2〜4年後には約9度も低下し、世界の平均カロリー生産量は約90パーセント減少して、50億人以上が餓死すると予測されている。②で紹介した「PLAN A」のシミュレーションの本当の恐ろしさはここにあるとも言えるだろう。「核の冬」は「核の飢饉」を引き起こすのである。

防衛研究所:核戦争の気候影響研究の展開と今後の展望――「核の冬」論を中心に――

***

ここまでが「核の脅威」について素人なりに調べてみて分かったことだ。クリストファー・ノーラン監督がどうしてこのタイミングで核開発の物語を描いたのか分かった気がする。

「気候変動と核戦争、どっちがリスクなのか?」といった単純な話をしたいわけではない。気候変動が進めば、水資源や食糧の不足、海水面上昇による難民発生を起因とした地政学的なリスクは高まり、それが戦争、ひいては核兵器利用のリスクが高まる。

ロシア×ウクライナ(+NATO)、イスラエル×パレスチナといった核保有国による紛争は現在進行系で起きている。イスラエル×イラン、インド×パキスタン、台湾をめぐる中国×米国の戦争リスクは年々上昇している。

いま、日本にいる僕たちが平和に暮らせているのは一時的な奇跡なのかもしれない。これを恒久的なものにするためにも、僕たちができることは核軍拡には「NO」と言い続けることだ。


いいなと思ったら応援しよう!