#2 田中圭介さんとの対話
インプロ・ワークス&東大インプロ研究会が主催する演劇の即興性を考える”実践発表と対話の会”「実践と対話」。
この会は第一部に「実践」として俳優による即興演劇の発表を行い、第二部に「対話」として、会の構成を務める絹川友梨と演劇人が即興についてざっくばらんにお話をするという2部構成で開催しています。
この記事は、今までの「実戦と対話」の中の「対話」の内容をゲストごとに随時アップしていく連載です。
今回の対話のお相手となる演劇人は田中圭介さんです。
演出家のほか多彩に活躍されている田中圭介さん
絹川(以下、絹) それでは皆さん、お待たせいたしました。第二部のゲストの田中圭介さんをご紹介いたします。田中圭介さんは、演出、ドラマトゥルグのほか、ワークショップのファシリテーター、高校演劇サミットディレクターなどをされています。またいろんな劇団にも関わってらっしゃいます。身体の景色、てがみ座などなど。大学でも色々教えていらして。玉川大学では専属になられたんですよね?
田中(以下、田) 今年から玉川大学の専任に。
非常勤では多摩美術大学と日大芸術学部に。ここに来る前は日大芸術学部で学生たちとわちゃわちゃ授業をやってました。
絹 そんな田中さんです!
パチパチパチ
田中さんとの対話スタート。
絹 大学でもお会いすることがありますが、こういう場所で話を伺うのはまた別。
楽しみにしておりました。まず、一部の感想など伺いたいんですが〜。
俳優がやる即興演劇とは。
田 とても楽しかったですね。前回も(※2019年2月「実践と対話vol.2」)、観させていただいたんですけど、メンバーが違うと当たり前なんですけど、全然違うなと。
即興は台本がないんですが、そのキャラクターっていうか、個性っていうのが、前はストーリーがしっかりあり展開していく、今回ももちろんそういう物語があったんですけど、パフォーマンスの面白さっていうのを今回は結構味わえたような気がします。そこは新しい発見でしたね。僕はインプロのことをそんなに詳しくないんですが、俳優がインプロをやるのは、そんなにないって話を聞いて。
絹 日本ではそうですね。
田 で、びっくりしたんです。やっぱり身体的なアプローチであったり、パフォーマティブな瞬間であったりっていうのが、これはなかなか俳優の力がないと成立しえないんだろうな、と思います。
でも、中身だけ純粋に耳を傾けると、大したこと言ってない(笑)大した事言ってないんだけれども、なんか、説得力がある。声と体と眼差しがくると、なんかそういう世界があるのかもしれない、と(笑)。
お釈迦様の世界とかで、煩悩たちが遊んでいる。そこらへんが素晴らしいなあと思いました(※お釈迦様の登場する天国のシーン等があった)。物語を作るってだけじゃなくて、世界観を作る、みたいな感じ。こういう世界ってありだよね、みたいな。いわゆる一般的に考えられている天国と地獄じゃなくて、ここでは煩悩たちが遊んでいるっていう世界を設定してその中に入るってことや、一瞬で全員が共有してその世界に入るってことが出来るっていうのは、やっぱり俳優が普段色々な世界で色々な役を演じてきているからこそ出来るのかな。ある意味素晴らしいなって。
絹 なるほど。
田 役者さんたちは必死でやっているんですけどね。そういうところにこそ、俳優がずっと長い事培ってきた潜在意識みたいなものがパッと出るんじゃないですかね。そういうところが面白かったですねえ。
台本芝居に活きる即興芝居の可能性
絹 台本があったとしても、そこで世界観みたいなものを役者皆で作っていくんですけれども、鶏か卵が先か、みたいなところで。結局、表現者にとっては同じだと思うんです。
今日のシーンは、台本が無くて、ちょっとずつ天国と地獄が出来てきて、煩悩が最終的に遊んでいた。というようにだんだん出来て来ました。台本があると、台本にかっちりその世界があるけれども、その場でたちあげるというのは、やはり同じように俳優たちが一緒に協力しながらやらないといけないと思うんですね。
田 そうですね、やはり台本があるモノであっても、可能性って広げたほうがいいと思うんですよね。今日のプレイを観ていて思うんですけれど、インプロの俳優さんってどんな可能性だってある!っていう(笑)可能性は捨てずにとりあえず、飛び込んでみる。とりあえずやってみる。パンフレットにも書いてありましたけど。とりあえずやってみるから始まった自分一人では生まれなかった発想や世界観が生まれてきている。でも見ているうちに、それもありだよねと思えましたね。そこが、素敵なところだなと思います。それもありだよねって感覚も、台本があったとしても、もっとやっていかないとだめだな、と思いましたね。
絹 台本の方が大変だと思うんですよね。例えば、日本人だけど、ロシアの世界をやれ、と。世界観も価値観も全く違うものにどうやって俳優が寄り添っていくか。大変だと思うんですけど、演出家としてはどういう風に導いていくんでしょうか。
田 あの手この手は使うんです。今日たまたま、日芸でやっていたんですが。チェーホフの「熊」って作品をやったんです。こういう世界観で場所がどうで、と、普通こういうことを考えるんですよね、演出家って。そういうのを座組で共有したりするんですね。とりあえずそういうのを全部すっ飛ばして、リーディングをしたんです。その時に、細いオノマトベカードを各チームに渡して。例えば、キュッキュとか、ザワザワとかゾクゾクとか書いてあるんですね。で、「観客をその世界に連れていくために、頑張って台本使って、やって」と。
絹 それだけ?
田 観客は当てるんですよ。この人たちは僕たちをどういう世界に連れて行きたいんだろうって、感じるんですね、観客って。普通に考えたらそんな解釈ありえないよなってチェーホフの世界がどんどん出てくるんですよ。たまに、「それなしじゃないよね」って解釈が出てくる。それって、チェーホフをすごいまじめに読むよりも、もっと可能性を広げてくれるような感じがして。すごいそれは面白かったですね。
その稽古をしてから、じゃあ一回どういう世界か考えてみよう。で、読むと、わりと何でもあり状態をやった後なんで、自由に演じられるっていうのはありますよね。
可能性を信じ続けるっていうのは、別の可能性を頭ごなしに否定しない、とりあえずやってみる。ちょっと賢くなってくると、ちょっと頭の中でパッと世界を作って、想像して、あ、これ無しだなってやっちゃうんですよね。でも、体も賢かったりして。やってみたり、相手の声を聞いたり、自分が声を出してみたりすると、あ、それもありかもしれないっていうふうに思えるのが演劇の面白いところ。
それを即興で鍛えるっていう、そういうところはあるだろうな、演出の立場からすると。
最近もう一個はまっているのが、インプロでいうと。普通に稽古するんですね、台本を。配役も全部決まって、衣装も全部つけて、台詞も全部入って、全部その状態で稽古するんです。で、「乱入稽古」って言ってるんですけど、乱入してくるんです、関係ない人が。突然。
絹 全然関係ない人。
田 関係ない人が入ってきて。真ん中にいる人のタスクとしては、自分が舞台でやりたいことがある。この間まで、「かもめ」って作品やっていたんですが、トレープレフって主人公が、ニーナを「彼女とやっと二人きりになれた!くどきたい!」ってシーンがあるんですね。全然関係ない人が入ってきちゃうととりあえず追い出さなきゃいけない。邪魔だから。なんか、理由つけて追い出す。この人(邪魔する人)はこの人で、何か理由つけて入ってくるんです。それを解決しないと出て行ってくれない。何とか邪魔したい人と、なんとか追い出したい人がいる。すごく楽しいんです。
絹 それをアドリブっていうか、そこの部分は即興でやっていいよ、みたいな感じですか。
田 そこは即興です。キャラクターはできているので、そのキャラクターが言いそうな道具は使いますね。慣れてくるとただただ稽古しているみたいになっちゃうんですけど、それをやると、こいつがいるからニーナにキスできないみたいな状況が生まれると、もう早く追い出したくてしょうがなくて。ああこの人って、キスがしたいんだねって明確になるんですよね。だから、乱入する人も、ぬるいなって思ったら入る。
絹 お互いのためにいい稽古ですね。台本があると、全部決まっているからどうしてもそれにはまりこんで、そういうもんだみたいなという感じで物事が進む。いつか死ぬとかいつか恋に落ちると知っている。いかにそこを打破するのか。だから、即興的な稽古はいいのかなって思うんですけどね。
田 稽古の初期の段階では、例えば口説くシーンとかで、本当に口説かれたら台詞無視しちゃっていいよって言います。ま、次の人出て来れないから、色々あるんですけど。その場で楽しくてのっかりたくなっちゃったなら、のっかってもいいよって。それを裏切って、なんかこのへんにある覚えた台詞を言うだけ、って演劇っぽくないな。せっかく生でやっているんだから。
それこそ、この間、「かもめ」という芝居で、舞台転換を登場人物たちにやらせたんですね。ロシアの豪邸の話なんですけど、召使とか使用人に転換をさせたんですよ。どういう台詞を言いながら、とか、人間関係もちょっとずつ変化してくように、完全に創作で作ったんですけど。キャラクターから先に作っているので、台詞から作ってない。使用人役の女の子が振られるシーンがあって。もう一人のメイドが怒って、相手のことをビンタしちゃって。全部事件というか、全部その場で起こり続けている事なんです。普段はける方向と全然違うところにダッシュではけていくとか。もういろいろあって。見ている方はハラハラしっぱなし。
絹 それは、決めたんだけど、そうじゃないことに。
田 ないことになっちゃいましたね。舞台監督は激怒してましたけど。僕はなんか、いいんじゃないかなって(笑)
絹 演出家さんにも、いろんなタイプの方がいらっしゃって。田中さんのように、寛容というか、むしろ価値観はダンドリを守るところじゃないような気がします。そこをお伺いしたいんですけど。
ダンドリかっちりやって、まるでロボットに演劇やらせればいい、みたいな演出家もいる。いろんな演出家さんがいて、いろんなものがあるから面白いんですけど、田中さん的には何が一番大事なんですか?
無防備な役者って、どんな役者だろう?
田 僕は無防備な人間を見ているのが好きなんですね。舞台上で。無防備な瞬間が一番、美しいと思っていて。人が恋に落ちる時なんて、絶対にだれかが無防備な瞬間を見つけて、そこに恋に落ちると思うんです。なんか、好きな人には好かれないけど、好きじゃない人に好かれるってないですか?あれって好きな人の前ではいい恰好しちゃうんですよ。でも、そんなに好きじゃない人の前では、「まじかよ~」みたいな無防備な時間を見せてて、その無防備な生き生きとした時間に惚れるんです。
絹 なるほど。
田 僕はやっぱり、俳優の無防備な時間が好きで。インプロを見るのがすごい好き。なんで好きかっていうと、俳優がずっと無防備でいる。大したこと言ってないじゃないですか、でも皆が必死じゃないですか。あんな必死な、下手したらいい年した大人を見ることってないですよね。そこがいいですよね。
手を相手にくっつけて、一枚の絵になって、そこで、台詞を言って(※最初のウォーミングアップ)。もちろんあれも面白いんですけど。あれだったら、手触ったけど、音楽止まっちゃったから、あわてて離す!みたいなああいう時間が面白いですよね。そういう必死な時間が人間の美しい時間だと思うんですよ、要は。エゴがない。映画って、目の力を見せたいとか、手のカットを入れるとか、監督が見せたいもの決めるけど、インプロとか見ていると、もちろん舞台上でやっていることも面白いし、脇の方で、入ろうかな、どうしようかな、ってしている役者も面白いじゃないですか。
そういうすべてが演劇だなって思っていて。インプロはそれが一番、人間が人間を見ているっていうのが演劇の最小単位だとしたら、それを突き詰めているフォーマットが、インプロなのかな?って思ったりするんですよね。だから、僕は台本があるモノであっても、それをやりたい。台本があるモノであっても、インプロのように、いかに無防備な時間をつくっていて、いかに不安定なところを愛して、不安定なところに飛び込んでいけるか、ていうのが、台本があるモノでも、ぼくの作品では、大事にしたいな。
絹 私も一応役者なんですけど、それを聞くと難しそう~って思いますね。即興の面白さは、そういう生なんですけど、弱さは再現性が無い。今日やったのは、二度と繰り返せない。すごい面白かった!っていうのがあっても。だから今日私たちがそれをシェアできたのは、嬉しい事だったんです。でも、これはもう明日にはない、再現できないっていうところがあるんですね。
台本の中で即興的なものがみれるとしたら、それは素晴らしいし、それは難しい。一番人間がやれないところですね、一番弱いところ、むき出しのところをさらけだす。そこをどうやって演出家が導いていくか、そういうお仕事は結構大変ですよね。
田 僕は、ワークショップをやったりとか、教育の方もやったりしていて、全部実は繋がっていると思っているんですね。演出も、例えば蜷川さんみたいに、左右対称でバシッとここにきて!みたいなものもあれば、藤田君(マームとジプシー演出家)みたいに、リフレインする面白さ、いろんな演出家がいろんな手触りでやっている。
僕がさっき言った「無防備な人間て面白いよね」みたいなところでいうと、俳優が無防備になる、なれる、なんでもいいかなって思う、環境を作るっていうことが結構大事、という稽古場を作るということが大前提。だからそのためにワークショップをやったり、皆で信頼関係を作る、じゃないですけど、そういう時にインプロ的なゲームを最初にやったり、ウォーミングアップでよくやったりしますけどね。
絹 そういうワークショップ的な事って、稽古場の環境づくりみたいなことですか?
田 そうですね。あと、インプロで、こういう時間手楽しい!自分が一生懸命になっちゃった、いっぱいいっぱいになっちゃったけど、皆が笑ってくれるし、認めてくれるし、こういう稽古場ってそれありなんだ、みたいな。そういうのを、インプロってわりと、いきやすい気がするんですよね。そういうマインドセットを作りやすい気がして。
絹 それで、稽古場が出来て、稽古が進んでいくじゃないですか。で、いつか、お客さんの前で見せる。稽古場では安全だったけど、そうじゃないところにいくときに、ま、舞台に立つのは役者さんだけど、演出家の人ってどうなんだろうと思って。稽古場を良くしようと、皆でやってきて、最後は自分は手放し。演出家はどういう旅をするのかな?
田 まあでも、スタッフもいますので、音響とか照明とか。最低限整えるというか。手放すというか、幕が開いちゃったら、それはもう俳優のモノなので。俳優とお客さんのモノなので。もちろん、毎回、ああもったいないなとか、ありますけど。そこさえもコントロールしたかったら、映画やっているんじゃないですかね。その場で起こったらいいっていうのがある。
この間の「かもめ」で起こったハプニングでいうと、親子喧嘩のシーンになるんですね、お母さんとトレープレフって若者がいて、喧嘩の末、トレープレフがテーブルの中に入って「もう知らない!」みたいになるんです。そこで、稽古場で面白かったから、「出ようとしてテーブルに頭ぶつけようよ」って演出をちょっとつけて。本番何回かあったうちの一回で、ゴーンてぶつけたら、テーブルがひっくり返っちゃった。トレープレフの眼鏡も吹っ飛んで。大惨事です。でもその時に何が起こったかっていうと、お母さんが、テーブルを直しながら、ちょっとトレープレフを気遣うような言葉を言って。大学生なんですよ、二人とも。でも、お母さんに、母性が見えたんですよ。トレープレフもメガネを探しながら、でもお母さんはまだメガネがなくなっている事を分かっていないんです。彼は、見えないから自分では見つからない、となって、「見えない!」みたいな台詞をポンと言って。それで、お母さんがメガネを探してくるというのがあった。ちゃんとキャラクターとして、即興的な台詞を言う。即興的な稽古をやっているとなにかハプニングが起こった時に、キャラクターとして、その場の状況に、そぐう、母性だったり台詞だったりが出てくるんじゃないか。そこを信じて、例えハプニングがあっても、演出家は、手の届かないところになったとしても、それは稽古を信じると。
絹 そういう意味では演出家もかっちり「あれやれ!」みたいな稽古を積み重ねた舞台で、もしアクシデントが出たら、どうなんですかね。うまい俳優さんだったら、うまくやるとは思うけど。アドリブきかない人だったら。
田 アドリブの為に、インプロ稽古するわけじゃないですけど。ハプニングって稽古中絶対おこるので、かっちりやった演出であっても、大概の俳優さん、プロの俳優さんは乗り越えると思うんですけどね。
僕は、インプロの事でちょっと聞きたいことがあって。今日のインプロショーすごく面白くて。前回もすごく面白くて。でも、こんなのありえないかもしれないんですけど、面白くない、はだめですか?
面白くない即興芝居って?
絹 何が面白いによりますかね。
田 そこ、なんですけど。ネタとしてちゃんとしているし、俳優さんをせっかく使っている。インプロヴァイザーという方がどういうかたなのか、僕も良くわからないんですけど。
絹 即興やっている人ってみんな自分のこと、インプロヴァイザーって言ってます。
田 なるほど。雑な言い方すると、ネタを紡げるけど、俳優じゃない人はやっぱり面白くしないとダメなんですけどね。
絹 お客さんの前ではね。
田 見れないんですね。俳優の場合は、黙っていたとしても、すごい長い間があったとしても、ちょっと目をそらすとか、「いや、、、」っていうところでも、成立させられると思うんですね、俳優さんは。そういう時間をインプロでも創作できないのかな?っていう気がするんですよね。
絹 私もそう思います。稽古ではいろいろやっていたんですけどね。
田 ああそうですか。
絹 今日はこういう感じになりました。
私もそう思います。何もしないでただそこに立っている美しさみたいなものはあると思います。
田 そしてたぶん、本当に何もしていないわけではなくて。俳優さんが今までインプットしてきた世界感を、今この場に合う世界観としてマッチさせて、その場に存在できるだけの理由がある。体も声もそうなっているから、それができると思うんですけど。でも今日、すっと、なんていうのか、ただ面白い事を言うのじゃなくて、そこにいるっていうのがいい時間があったような気がして。そういう時間を見るっていうのも、他のインプロのショーと大きくかわっていけるのかしら?わかんないですよ、わかんないですよ(笑)。
絹 ありがとうございます。大丈夫ですかね、それをやって。
田 いや、観たいですね。
絹 嬉しいです。そっちの方向にもいっているのですけれども、今日はたまたまこういう感じになった。いつも毎回違うんですけれど。そういう方向にいこうとしているんです。でも、それをやって、果たしてお客さんに理解してもらえるだろうか?それもあって。
まえから、うまくやれちゃうと、即興じゃないんじゃないの?てよく言われる。もういろんなこと言われていて。日本は即興演劇が海外のようにポピュラーではないので、でも、面白いことやるとコメディだろうってお笑いだと言われたりだとか。演劇的な事をやるとよくわからないとか。こっちにはこういわれる,こっちにはこう言われる、じゃあどうしたらいいんだろうって感じなんです。
田 なんかもうこのタイトルで、実践と対話…クソ堅いってタイトルで、狭いところで、対話もセットですっていうのに、わざわざ来て下さるお客様ですから、信じてもいいんじゃないですかね。
絹 どうですかね、お客様の感想もぜひ聞きたいところですが。
ああ、ありがとうございます。また先が見えた感じがします。
田 はい。
コラボレーションの可能性
絹 田中さんの今後の活動は?
田 直近ですと、パンフレットにチラシが挟んであるのですが。アレクサンンダーテクニークという体を整えるためのものがあるのですが、「表現とアレクサンダー」ということで、アレクサンダーテクニークの協会とコラボして、声や演劇のシーンをアレクサンダーとちょっとつなぐ。アレクサンダーってボディコンディショニングみたいな感じでとらえられていて、「体を整える時間」「演劇をやる時間」と分かれしまっている。もっと演劇をやりながら、アレクサンダーテクニークの先生にコーチでついてもらう。つい台詞を言っていると、ついこういうシーンやってると、体ってこうなっちゃうんだよねみたいな癖を、ニュートラルに戻すというか、そういうことをやってみようかと思っています。
絹 面白いですね。コラボレーションて可能性がすごいあると思うんですよね。日本の演劇って、劇団ごととか、分かれています。でも、ジョイントしながら、新しいこと見つけていくとか、本質を見つけていくとか、すごい大事ですよね。即興もですね、「即興演劇」ということでやってきているんですけれども、それだけじゃなくて、台本やっている方々と、ジョイントしてみるとか。今回は普段台本やっている役者さんらとですが、いろんな形でコラボレーションしながら、新たな形になるといいですね、作品でもいいし、表現でもいいし、価値観みたいなものでもいいので。そういったものが広がるといいですね。
田 意外と、いろんな演劇の場で起こっている諸問題を、解決できる糸口がここにある。
パチパチパチ
稽古場の諸問題の解決になる
絹 例えば?どんな問題が稽古場にありますか?
田 例えば、『相手の台詞をもっとちゃんと聞いて問題』。マジックワードがいくつかあるんですよ。「もうちょっと相手の台詞ちゃんと聞いてよ」「相手のことよく見てよ」「舞台に立ててないよね」と演出家って言う。僕も思う。でも、耳があるし、目があるし、足もあるし、全部出来ていると思うんですよね。野田秀樹さんの台詞じゃないですけど、「瞼はあるけど、耳ぶたはないから。」だから聞こえてくるんだ、台詞は。みたいのがあるんですけど。全部聞いているはずなんですよね、じゃあ、演出家は何をもって、聞けてないって思っているのか?
でも、インプロで、相手の台詞を聞けてないってことって、あまり無いと思うんですよね、必死すぎて(笑)。何次言うかわからないから、相手が。すごい聞いてることになる。すごい聞いているし、聞き落としたら、自分が次何もできないっていう恐怖感があるじゃないですか。だから、絶対聞き落せないんですよね。でも、そういうくせみたいのがつくと、やっぱり、普通の台本のお芝居だとしても、変わってくると思うんですよね。
相手を見れてないというのも、同じように、相手が次何するかわからないとか、ちょっと見づらいとこでやったのを見落としたがゆえに、何かお客さんに伝わらなかったりってあるじゃないですか。そういうところも、インプロやりながら、すごく意識が張っていると思うし。インプロやっている人って、たぶんだから、いろんなところを見ているような気がするんですよね。いろんな音も聞けてるし、聞きながら、音響も聞いて、ああそう来たって思いながらとかでやってるし。舞台に入るときも、しれっとふらっと何者かで入ってくるときは、結構、意図をもって入ってくる。もしくは、前の人が何か、入ってほしいなあって雰囲気だったら、雰囲気に合わせて入るとか、ちゃんと、その場には立てているという事だと思うんですよね。
ここで、そういう体と脳を繋ぐ、目や耳や足と体を繋ぐっていうことが、マジックワードと言われている、『ちゃんと聞けてないちゃんと見えてないと言われちゃう問題』を解消していくんじゃないかな?
絹 よく言われますよね。演出家の人はそれをどう変えていいかわかんないから、その言葉しか言わないんだけど。
田 僕、演出家も怠慢だと思うんですよ、それ。
絹 演出家の仕事と、演技指導の仕事って、若干違うけど、演出家が演技指導しなければならない時に、それ以上の言葉がなかなか見つからない、指導方法が見つからない。
田 あとは、『最近の若者は戯曲を読まないって言っちゃう問題』。
絹 言っちゃう問題。
田 『読まない問題』、じゃない。『読まないって言っちゃう問題』。どうしたら読みたくなるかを考えないから、教育者として。「読まない」って言うことは、教育じゃないと思うんですよね。読みたくなる仕掛けを作る。そういう仕掛けは考えていきたいなあ。
絹 どうやってみんなが読むようになりますかね。
田 いくつかやっている一つを簡単にご紹介すると。すごく簡単なプロットを渡して、「これ作ってきて」っていうんですね。例えば皆がちょっとウキウキしそうなやつ。パーティーで会った女の子を部屋に連れ込んで、セックスがしたい。女の子はどうやら泣いている。何とかして慰めて、セックスまで持ってって!て。
絹 大学生ノリノリじゃないですか。
田 ノリノリ。という芝居をやるんですよ。で、それをやってみる。設定を渡す場合もあれば、「いやこれ俺の若い頃の話でさ、一回デートした可愛い女の子を部屋に連れ込んだんだけどさ!」と、あたかも私の話として話すと、「だめだよ!先生!」「こうやったらいいんだよ!」と助言してくれたり、「なるほど!そうやったらいいの?」みたいに。と、やりながら、やっていく。最後に「ちょっと台本読んでみようか」って言って、「今のは、『ブルールーム』っていうデビット・ヘアーの若いころの作品。この台本って、そのまんまだよね」「うわ、そのまんまだ!」みたいな感じで、台本をプロット化したものを、やったんです。ブレイクダウンして、自分の話みたいに。きみの話、僕の話、みたいにブレイクダウンしてやって、ああ楽しい!っていう状態から、台本に入る。
絹 普段よりも食いつきがよさそう。
田 最初からバンと台本を渡すよりは、食いつくかなと思いますけどね。受けてる側じゃないんで、どう思われているかわからないんですけど。
絹 確かに、台本で、はいやります、みたいのではなく、もうちょっとそういう工夫みたいのがあるともうちょっと面白くなるかもしれませんね。
田 やっぱり演劇って、弱小メディアだと思うんです。どうやって人に面白さを伝えていくかっていうのは、中にいる人って、演劇を信じすぎているんですよ。演劇っていいモノだと思っちゃっている。まあ、いいモノなんですけど。外にいる人は、ちょっと宗教みたいに思っているんですよ。怪しい。何やっているのかわからないし。週末になるとあそこから地下に入って行く人がいる!もうちょっと開いていかなきゃだなとは思いますね。
即興演劇の活用
絹 本当にそうですよね。高齢化社会だったりとか、社会後節の話とか出てきていますが、何となく社会がこういう状態になったからなんですけど、やっぱり人間出来ることはじわじわと大きくなってきているような気がしますよね。地方も元気だったりしているので、また新しい何かが生まれるのではないかと。
田 全くその通りで、社会包摂だとか、介護だとか、コミュニケーションだとかに、演劇的な手法、演劇が培ってきた手法が役に立つと思うんですよ。やっぱりそれは、ギリシャ悲劇の頃から、2500年前から、人間が人間を形作る、要は、人間が人間を観察して、人間の営みってどういう事だろうって考え続けてきたのが、演劇ってメディアだと思うんですよね。もしかしたら、ド派手なエンターテイメントは、映画にとってかわられたかもしれないけれど、人間について考え続けてきたこの2500年って時間は、有用だと思うんですよね。それをこう、「歴史があるんだぞ」ってでかい顔をするんじゃなくて、何が有用なのか、どう使ったら有用なのかっていうのを、我々は、わかりやすくつまびらかにして、社会に示していく必要があるなあとは思います。
絹 即興演劇もなにかそこに携われるような気が。
田 めちゃくちゃ役に立つと思いますよ、即興演劇。
絹 そういう意味では敷居も低いですから。台本覚えるみたいなこともないので、どんな方でも最初はすぐ関われることが出来て、これから大ブームが起こるに違いないんですけれども。
田 起こしていきたいですね。
絹 なので、演出家の方々や俳優さんが、どんどん即興演劇をできるようになって、ワークショップをリードしていく。小さいコミュニティで、小さい即興の演劇をやってみる。そういう風な広がりになるといいかと、本当に思っています。そういう風に育っていく人たちが、どんどん増えないと、私死ぬ!みたいな(笑)。とにかく必要なので、と思っております。
田 大事なのは、面白いとか楽しいとか、機転が利いてすごいとか、そういうところよりも、インプロの「イエス&」(※インプロの基本的状態)であったりとか、その場を否定せずやってみるとか。自分の身体が感じたものをとりあえず信じて前に進んでみるとか、そういうマインドの部分を、ちゃんと渡していけるインプロを出来る人を増やしていきたいですよね。ただ楽しいゲームだけを覚えて、ゲームやれる人がいっぱい増えても、マインドが伝えられないと。
絹 そこは本当に難しくて!本質の部分を伝える人ね。そういう意味では、語り合うとか、皆さんと意見交換したりとか、そういうことが引き続きできるといいな、と思います。
田 はい。
絹 本日はどうもありがとうございました。田 ありがとうございました。
インタビュー集:演出家が考える即興性とは?
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