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#3 広田淳一さんとの対話

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インプロ・ワークス&東大インプロ研究会が主催する演劇の即興性を考える”実践発表と対話の会”「実践と対話」。
この会は第一部に「実践」として俳優による即興演劇の発表を行い、第二部に「対話」として、会の構成を務める絹川友梨と演劇人が即興についてざっくばらんにお話をするという2部構成で開催しています。
この記事は、今までの「実戦と対話」の中の「対話」の内容をゲストごとに随時アップしていく連載です。
今回の対話のお相手となる演劇人は広田淳一さんです。

劇作家、演出家、俳優、「アマヤドリ」主宰の広田淳一さん

絹川(以下、絹) それでは今日のゲスト。もう本当に前からお会いしたかった方です。実はTwitterを以前からフォローしてまして、いつも面白いこと演技の本質に関してダイレクトに書かれていてずーっと面白いなあと思っていた方なので今日、とても楽しみにしていました。今日のゲストは広田淳一さんです。

劇作家、そして演出家、俳優、劇団アマヤドリの主宰。2001年、東京大学在学中に「ひょっとこ乱舞」を旗揚げ。2012年に劇団名を「アマヤドリ」に改名、全作品で脚本・演出を担当。2004年、日本演出者協会主催の若手演出家コンクールで最優秀演出家賞受賞など、多数の受賞歴がある方です。

ほんとTwitter、超面白いの。みんなフォローしてください。

広田(以下、広)僕はもうあれですよ、ずっと絹川さんを存じ上げています。
絹 ワークショップね。
広 ワークショップ、一度受けさせていただいたこともあります。著作も拝見していて。演劇を全然わからないところから急に演出家になって始めてしまったので。
絹 そうなんだ。
広 そうなんですよ。演劇始めてから作・演出まで3カ月ないくらいですから。
絹 ええ!
広 とにかくよくわからないけど作りたいって思ってやりだしたので、いろいろ本とか読んで勉強しなきゃと思った時にあのインプロ・ゲームの本はすごく……。インプロゲームに載ってるインプロやったりしてました。劇団の稽古場では。だから、今日も「あれかースピットファイヤーだなとか」とか思いながら見てました。
絹 あぁ、そうですか。
広 本読んでるだけでも面白いですけど、やっぱりやってみなきゃってことで。だからほんとに今日は光栄です。
絹 いやいやいや。


今回の参加者のインプロ歴は様々

広 面白かったですけどこれ大変でしょうね。やってる方々も、ファシリテートするのも。
絹 その辺から話を、今日の感想をうかがってから徐々に広田さんの活動とかいろんな話をうかがいたいと思います。
広 いろいろすごく興味深く拝見しました。で、どれくらいやってらっしゃる方々なんですか。
絹 いろんな方々がいます。一番古い人、手あげてください。今井さんが一番、役者としてもすごく……役者歴何年ですか?
今井(以下、今) 何年ですかね、劇団に入って22歳からやってるんですけど、もう40年くらい。
絹 役者からミュージカルから幅広く。インプロはどれくらいですか?
今 ゆりさんに遅れること2年くらい。
広 ああじゃあもう長いんですね。
絹 そうですよね。長いですよね。何年ぐらいだろう。20年くらい?
今 20年以上。
絹 以上になりますかね。1994年が最初になりますかね。
今 自分のグループを立ち上げたのが2000年ですから、それだけでも20年。だからインプロ歴は25~6年ですね。
絹 そういう方から、一番若い人、この3人だ。年齢的に一番若いのは誰ですか?二人?
参加者1)21(歳)
参加者2)21(歳)
広 21?若いねー。
絹 演劇経験はどれぐらいですか?
参加者1) 小学校の頃の区民ミュージカルとか。
絹 それ置いておいて。
参加者1)置いたら大学からだよね、18歳から。
絹 インプロはどうですか?
参加者1)インプロは、ゆりさんに出会ってはじめてやったので。
参加者2)同じです。
参加者1)   2年前にシアタースポーツという演劇の公演で1カ月やって。今回はそれ以来です。
広 はあ。
絹 そうですね、だから1~2年くらい。あなたは?
参加者3)半年くらい。
絹 そういうインプロ歴がすごいいろんな人たちが今日は一緒にやっていて。
広 ほんとですね。あの辺の方々は若いんだろうなぁという気がしながら観ていましたけど。なかなかでしたよ。最後のところはようああいう風になるもんやなぁと思って、あれ、どれくらい決まってるんですか?
絹 なんも決まってないですよ。


終わり方も決まっていない

広 最後、回想シーンみたいなのが今日のまとめみたいなシーンになりましたけど、あれもじゃあ自然発生的な?
絹 そうですね。一応そのTRAIN TRAINって形は最後に今まで出てきたものが全部出る、出ていいよっていうルールなので、前に出てきたシーンがワーッと出てきた感じですが、エンディングどうなるか全くわからず。びっくりした、あそこに行って。
広 なんも決まってないんですか?
絹 決まってないですよ。
広 はーっ。いい具合に照明効果もあって、だからあそこだけは決めてんのかなと思って。最後ここ(照明)がつくかわからんけど、ここに行ってみんなで終わろうみたいなことだけ決めてんのかなと。何も決まってないんですね。
絹 決まってない決まってない。
広 はーっそれはすごいですね。
絹 一応、あの電気がつくと面白いねっていうのはあって。その可能性として照明が当たる場所がいろいろ使えるねっていう思惑はあったけれども、多分直前に思いついたんだよね。
参加者3)最初にカーテンの方に入ろうと思ったんですけど隣にあるから使おうかなと。
絹 ここにあるからという感じですね。
広 いやぁ、自分の劇団とか昔はようやってたんですけど最近あんまりやらなくなったんですよ即興とかの稽古を。でもやんないとあかんなぁと思いましたね。見てて。
絹 そうですか。
広 なんかいろいろ自分のやってることとかとつながることもあったり。やりたくなりましたね。
絹 うれしい。ぜひぜひ!ウェルカムで。
広 楽しそうでしたねぇ。いろいろ盗めることがいっぱいあったので。
絹 何を盗めるか、盗めることちょっと教えてください。

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稽古場で見つかる新しい発想

広 ポーズをポーズが連鎖していくってのもすごくおもしろかったので、あれもいいですね。
絹 あれね。突然思いついたんです稽古場で。
広 本とかじゃないやつですよね。
絹 ないです。一応タッチをして一部だけタッチをして次々変わると形がどんどん変わって面白いねっていうのをやってたんですけど、急に止めて急にシーンやったら面白いんじゃないかってそういう風に稽古場で見つけていったんですよね。
広 (内容に)やっぱ一捻り二捻り入ってたんでああいうのはずっとやってないと出来てこないでしょうね。僕らもスピットファイヤー、最初にやったやつですね。一人がしゃべってて、なんか単語が入ってきて、その単語を踏まえて話していくっていうやつですけど、あれとかは意外とやってみたら出来るみたいなのはあって僕らもちょいちょいやってたんですけど、やってるうちに僕らは僕らなりの発展として、二人でやるスピットファイヤーみたいなの作ったりしましたね。
絹 あ、面白いですね。
広 言う人が、セリフを言うんですよ。「あなたなんてキライ」って言われたら、そのセリフが出てくるシーンをやらなきゃいけないんです。次またセリフが出てきたら、そのシーンをやんなきゃいけないっていうのをやったりしてました。やってくうちに発展してくっていうのは面白いですね。稽古場でああでもないこうでもないってやってるんだろうなっていう頻度がすごくうかがわれて面白かったですね。
絹 そうですね。稽古は結局、即興なのでどうなるかわからないので。どうなっても対応できるっていうことをみんなで練習してるっていう感じなんですよね。


日本でのインプロのこれまで

広 僕は普段自分で台本書いたり、あるいは既成の台本で演出したりしてるんですけど、良くも悪くもすごく日本の演劇界はどんどんシステマチックになってる気がしてきていて。特に人気者が出る舞台とかだと「稽古初日の前までに台本上がってるのはもちろんのこと、配役も終えて欲しいんですけど」みたいな。何がわかるの?という状況でやらなきゃいけないことがあったりしてあんまり試行錯誤の時間っていうのがなくなっちゃってる気がしてまして。まさにこういうのは試行錯誤してるうちに思わぬ何かが出てくるんでしょうからね。そういうのが面白いなと。流行りがあるんですか、インプロ界とかにも。
絹 流行りですか?
広 「80年代とか90年代とかはごちゃごちゃだったですけど私らもうちょっと作ろうとしてるよ」みたいな。
絹 いわゆるインプロっていうシアタースポーツっていう形ができたのは1994年で、そこから始まったんですけど結構アメリカとカナダで生まれたものが直輸入で来たんです。だけど海外は結構コメディベースで結構コメディーが面白ければいいじゃん的な感じで入ってきて国内で最初に始めた人たちも結構演劇あんまりやってない人たちが多くて。一緒にはじめに出演した中では私と何人かだけが演劇経験者であとは割と養成所に入ってる人たちだったんですよね。で、結構コメディーの、コメディーが悪いってわけじゃないんですけど演技としてやるわけじゃなくてコントみたいな感じ。
広 はいはいはいはい。
絹 結構その敷居も低いからいろんな人がやり始めているのだけれども、やっぱりその演劇知らない人は割とサッとはじめられるけど役者がなかなか始められない怖くてできない。
広 やーわかります。それは、わかります。
絹 ねぇ。ですよね。


日本の俳優は過程を見せることに抵抗がある

広 やっぱ普段セリフがあることに慣れてる人ってある程度準備期間があってお客様にお見せするっていう。だからワークインプログレスとかですら嫌がる人は嫌がりますから。ワークインプログレスっていうのは台本があるお稽古ですけど本番の前に、本番にいく1カ月前か2カ月前にとりえず作ってみましたっていうのをお客様に見せてお客さまの意見とかをいろいろ聞いて「あの人は面白かったよ」とか「ここがあの人はなんでこうするのかわからなかった」とか聞いてそれをまた残りの稽古期間で反映して面白くしていくような、そういうものをやったりするんですけど、それでさえいやこんな準備ができてない状態ではお客様の前に立ちたくないよ、怖いという人が多いんで。
絹 ねえ。わかります。
広 震えちゃう人がいるの。
絹 震えちゃう、そうか。結構海外だとそうやってその作った途中で作ったものを見てもらってお客さんにフィードバックをもらって過程で練り上げていくっていうことを何カ月も何年もそういうことでやってたりするんですよね。たぶん意識として、俳優さんがその創作の一部だったら色んなこと試行錯誤して変わっていこうっていうのがあるけど俳優さんが駒になってしまうと、いやそんなものはお見せできない、自分の批判をされてしまう、みたいなそういう気持ちを持ってしまう。
広 そうですね。
絹 作品を作ろうと思えばいろんなこと言われて変えていくっていうのっていうのは一つに、すごく非常にアーティストにとって大事な
広 ことなんですけどね。
絹 やっぱり批判されるみたいな。
広  慣れもあるんでしょうね。やっぱこう慣れてないと出来ないだろうなぁと思いながら観てましたね。

広田さんの時の絹川さん


インプロを追求していってもっと学びたい

広 僕が1999年とかから演劇始めたのかな。始めてすぐくらいにゆりさんのご本(インプロゲーム)があったわけでその頃にその本を書かれてて。で、今も大学に行ったりされてて。
絹 大学同じ。
広 そう。東大友達ですから。
絹 40代過ぎてから受験したっていうね。大学院。
広 大学院に行くんねや。みたいな。
絹 めちゃくちだよ狂ってるよね。
広 狂ってますね。
絹 ホントに。卒業できるかどうかわからないですけど偶然入ったから。
広 偶然で入らないですよね。
絹 いや、本当に。なんで入ったんだろう未だにわかんないです。なんかもう一生懸命やってますけども。
広 それも即興の、インプロの。
絹 研究してる。
広 インプロを科学するじゃないですけど、もうちょっと学問的なベースを作ろうと思ってる。
絹 めちゃくちゃ科学して。心拍測ったりとか身体重心の移動を見たりとか身体重心の移動を見てるんですよ。
広 すごいです。インプロを追求していってもっと学びたいっていうことでそうなったんでしょ。
絹 なってしまった。
広 海外にもよくずっと行ってらっしゃって、海外に行ってるというか、日本に来てらっしゃるみたいなことなんですか?もしかして。
絹 いやまあそういう感じではあるんですが、ずっと日本にいます最近は。
広 あ、ドクターになるんですよね。
絹 なれるかはちょっと自信ないですが。
広 はっはっは。ぜひ頑張ってください。


即興に言葉が入ることの難しさ

広 いろいろ追求してはるなと思ってはいるんですけど言葉が入ることの難しさっていうのは、すごくある気がしていて。即興で動くダンスのコンテンポラリーダンスの方々とかも即興のダンスとか、あるいはコンタクトインプロビゼーションとかいう触れ合ってダンスになってくよみたいな。触ってコンタクトしてるところからインプロビゼーション即興していくってダンスのジャンルはあったりするんですけど、そういうもののほうが言葉がない分、齟齬がそんなに問題にならずに進んでいけるというのか体はそこにあるので、なんかまとまりが取りやすいんですけど僕も(ワークショップで)即興やってて最近、身体的な即興になることが多くて。言葉が入ると本当に難しいですね。どうファシリテートしていくんですか?カオスじゃないですか今日とかだって。
絹 カオスね。今日どうでしたかね?いや、やっぱり言葉って難しいですよね。
広 難しい。
絹 やっぱり言葉って意味があるじゃないですか。
広 はい。
絹 そしてそのしゃべってる言葉と自分っていうのがいて、自分が好きなものをそのキャラクターは好きじゃないっていうキャラクターとしての言葉とキャラクターとしての内面ってあるじゃないですか。その後ろにパフォーマーがいるじゃないですか。パフォーマーは私好きだってパフォーマーとして言ってるんですよね。だから2人のええと、ムサシとミナミ(実践で参加者が演じたキャラクター)2人が受け身して行ってだんだんラブになっていくところ、二人のキャラクターが恋に落ちる感じに表面的にはなっていくんですが、その裏側でおそらくキャラクターと演じている参加者自体がこれ恋愛関係に行くぜー恋愛関係こっちの方向に行くよー。みたいな気持ちはなんとなく言葉の端々とかからこう汲み取っているのではないかと。
広 途中でナレーターが入ったりとかね、あの辺も全然だからルールがないですよね。
絹 ないです。
広 はあーっ。
絹 そういう意味では演劇の要素っていろいろあるじゃないですか。例えばナレーションとかフラッシュバックみたいなものとかがどういうものかっていうのは用語として皆で共有しています。
広 なるほどなるほど。
絹 こういうナレーションというスタイルがあるよねとかモノローグっていうスタイルとか最後の方のタケヤン(参加者:窪田)のモノローグってたぶんホントの話だったと思うし。今井さんの話もたぶんホントの話だったと思うけど違うのかな?
広 ホントの話だと思いましたね。彼は泣き虫なのかなと思いました。
絹 お客さんに直接語りかけるっていうモノローグ。演劇のモノローグという形態とかナレーションっていう形態とかシーンという形態とか身体的なムーブメントみたいなものとか色々とスタイルがあるよねというのは共有、みんな共有して。
広 概念をちゃんと共有していることになるわけですね。その稽古を重ねていくことで。
絹 そうです。で、出来るだけいろんなことをお客様に見ていただきたいので、同じものは出来るだけやらないように。誰かがナレーションやったら、次のシーンではナレーションはないよね、ラブシーンがあったら次はラブシーンは同じことしないようにしようとか。そういう感じで皆が全体的に見ながらこう有機的に動いているのね。内臓みたいにみんなが動いてるっていう。
広 相互に動いていかないといけないですもんね。最初(参加者2が)転んでたところは受け身のつもりじゃなかったんじゃないの?
参加者2) まったく。
広 そうですよね。最初受け身のつもりじゃなくてなんかコケるみたいな動きがあってそれを彼が受け身という風にイエスアンドした、というか受けて、それが受け身だっていう風に言ったことでその設定に乗っていったってことですよね。3人目の人が出てきて先輩後輩が出てきて柔道部みたいになってナレーターが出てきて恋が始まったみたいな。やっていってるものを皆がこれならこう変えられるなって受け取ってプラスしていくってのがまさに出てたところ面白かったですね。やっぱねナレーター急に入るのとかはルール違反なわけですよ。演劇としては。
[爆笑]
広 基本的にはね。落語家さんとかはいろいろやったりして途中で素になってお話するってありますけど。「桂なになにでございます」とかありますけど役者はね基本的には自分の役名とかなんとかってのはカーテンコールまで見せないものですから。ああいうお客様に直接話しかけるってよっぽどそれ用のセリフでもない限りやらないことだから。あれも適宜判断でやってるわけですよね。
絹 そうです、適宜判断です。

広田さんの時の絹川さん2


シーンを広げるか進めるか。その感覚は演者によって様々

広 ああいうのって無茶苦茶にならないんですか? だって「恋をしていたのだった」っていうナレーターが出てきて役のそばで「というのは嘘だった」みたいな返すのが出てきたらもう収集つかないじゃないですか。
絹 そうですね。(そういう場合は)2種類あると思って。嘘だったって言ったらそこに乗っかっていくみたいな。そっちの展開もありえますよね。ぶっ壊そうとしてる人が入ってきたらそこでそれで作っていけばいいというのが一つですよね。
広 そうか……。どういうきっかけで壊すんですか。なんかそれこそゆり先生、ゆりさんの本を読ませていただいて、イエスアンド(Yes, And)っていう即興の基本としては相手が何かを出したらそれを否定するんじゃなくてとりあえず乗ってみてそれにプラスしていくことで何かが生まれていくんだよ、みたいなことがすごい大事なことやなと思ってるんですけど、逆にイエスアンドだけでいくとつまんなくなるから誰か壊さなきゃいけない瞬間ってのが来るじゃないですか。最後のTRAIN TRAINとかもワンシーン出来ていい具合になってきたけどこのシーンのうま味はもう出尽くしたかなというところぐらいでブレイクして次行かないといけないじゃないですか。このブレイクのタイミングをどう決めてるんですか?これが難しいんです。ブレイクってある意味「もうこのシーン終わりやねん、もう飽きたで」っていうジャッジじゃないですか。まあ飽きたというかそろそろ次行こかっていう。なんかエクステンドとアドバンスっていうのがありまして、エクステンドって広げる、この話広げましょうみたいな。昨日足ケガしました。で、ケガの話だけずっと2時間もしてたら飽きますんで、ちょっとしたらその話はまあ置いておいて「この間の選挙どうでした?」みたいな全然違う話題になるというのがアドバンスなわけですよ。エクステンドがある程度終わってたらアドバンスしなきゃいけないんですけどこれジャッジはどうやってるんですか?どう指導されてるんですか?
絹 指導ではなくて、やっぱりたぶん自分の感覚だと思うんですよね。
広 演者さんの?
絹 演者のみんなの感覚でみんなバラバラ。なんですよね。だからすごい稽古場で「なんで?」とか思ったり。
広 [爆笑]今、まだ面白かったじゃんとか?
絹 もうちょっとやった方が良かったよね、とか。でも自分は切ったほうがいいと思ったとかいろいろ直観でやってくわけですけど、一番大事なのは答えが一つあるわけじゃないので、ここだと思ったときに誰かが出てそれやるし、もっと続けたいなと思ったら待ってーもっと続けたいっていって続ければいいし、いやもう切ったほうがいいっていうのが出てきてそこでケンカになってもいいしっていう。その大事なのはその時の直感がすごく大事で、それは多分お客様もああもうなんかちょっと退屈だからもう変えたほうがいいんじゃないかなと思ったりとか。いろいろあると思うので、その辺も演者はなんとなく感じながら。
広 それはもう経験の中で培ってく感じですかね。
絹 だと思います。若い頃は結構早めにパンパンパンって切りたい感じだったんですけど最近はちょっと待ってみようかなって。あえて何か延ばしたりとか。セリフもなんか返さなかったりとか。そういう感じを試したりとかするとそれはまた新しい世界が生まれるんですよね。
広 それはあるかもしれないですね。僕も若い頃はとにかく先に行きたいのでアドバイスしたくてしょうがないんですよ。でも僕ももう四十ですから。
絹 マジですか!
広 そうですよ。いや、だからアドバンスをあんまり急いでしていくとね、ちょっと先が見えてきたなみたいな感じするからもっとゆっくりやろうかみたいな。待つ。なんでしょうね。せっかちはせっかちなんですけど、待つ力みたいなのがちょっとボーっとしてきたんでしょうかね。出てきたのでもうちょっと待てるようにはなりましたね。
絹 そうするとまた待つとまた面白いことが加えられていく感じしますよね。今、本当に進めちゃダメみたいな稽古をずっとしてたんですよ。進めないでちゃんとここで作ろうみたいなのをやったりとか。セリフすぐに返しちゃダメとか言われたら少し待つとか。いろんなことをね。
広 なんか急いじゃいますもんね、ついね。


即興をやることでメソード演技の理解が深まる

広 演劇やってる人とか俳優さんとかはだいたいはこの台本があって、役柄があってその役にどう取り組んでいくか。みたいな形が役者としての第一歩と思ってる人が多いと思うんですけど(インプロは)その前段階の「何か」じゃないですか。こういったことを俳優さんたちは一人一人(台本がある演劇に)どうつなげていってるんですか?それぞれだとは思うんですけど。ゆりさんもやったりするんですか?
絹 私もちろんやりますよ。仕事が来れば。最近はあんまりやってないですけども。台本演劇も。
広 どうつなぐ、どういいことがあるみたいなのはあります?
絹 即興みたいに台本演劇をやることが出来るようになりますよね。
広 やっぱ変わります?
絹 もう全然違う。昔、メソード演技を結構習ってたことがあって、全然わかんなかったんですよ意味が。
広 いやいやいや。ちょっと解説するとメソード演技っていうのは、スタニスラフスキー先生っていうのがアメリカにいて、リアリズムですね。だからリアルにやりましょう。みたいな。それ以前の劇はイタリアの仮面劇にしてもシェイクスピアにしてもそうですけどなんか内心駄々洩れみたいな。「生きるべきか死すべきか」お前何しゃべっとんねんみたいなことはさて置き、いろいろ内面が出るよ。みたいなのが演劇だったんだけど、スタニスラフスキーがチェーホフとかと一緒に出てきてから、あんまりもうフットライトの向こう側のことは一旦忘れましょうみたいな、お客様に向けて直接話すんじゃなくて舞台上でリアルを作りましょうっていうようなことになってて。いかに状況を想像するかっていうのを、まあストラスバーグ先生っていう人と体系立てたのがメソード演技ですよね。
絹 それをやってたんですけど全然わかんなかった。20代。全然わかんなかったんですけど即興の稽古、即興トレーニングやるようになってそれで台本に戻ってきたら、なるほどと思って。ああ、なるほどね!みたいな。
広 急に体の中に、腑に落ちるみたいなことですか?
絹 そうそうそう。台本もらってもうそこで生きるみたいなことって、ああ、こういうことだよね。みたいなのがすごいつながった経験があって。だから役者さんにはどんどん即興のね稽古。トレーニングをするといいんじゃないかなって思ったりとかするわけですけども。
広 ほんとそうですね。


パーフェクトのなものを見せなければという思いが強い俳優。でもパーフェクトなものって一体なんなんだ

絹 広田さんのTwitterの文章を書き出してきてるんですけど、ほんと面白いから。たくさんあるから。「上演とは極めてアナログに全てのものが動き続けるサッカー的な現象なんだと思う」とかねぇ、結構スポーツにね。
広 そうですね。
絹 「演技はテニスというよりはフェンシングのような、どちらのターンかが決定していない、静的ではなく動的なゲームなんじゃないか」。「だから俳優のすべきことは今ここではない時空で考え出した作戦を練った何かを再現、再生することではない。今ここで起きていることを感じ取って今ここを変化させ、その自分の起こした変化を再び感じ取って、その上でさらに変化させていくこと」
広 ややこしいこと言ってますね。
絹 私としてはすごく腑に落ちる。
広 ああいうこと書くときはたいがいこう俳優さんとああでもないこうでもないと議論になった後が多いんですけど、当たり前ですけど戯曲っていうものは、たとえばチェーホフならチェーホフが今でもなければここでもないところにいた人が作った言葉ですけど、俳優さんはそれをいかに、今、ここっていうお客様とこの空間に関係づけるかっていうことが仕事やろなと思うんですけど。ついね、例えばわかりやすいことで言ったら、オウム返するセリフとかあるじゃないですか。「オリンピックセンターで待ってた」みたいな例えばそういうセリフでもいいんですけど、それをオウム返ししなきゃいけないっていう時に、「オリンピック広場で待ってた」みたいなこと言ってもいい。で、一人目が言い間違えても二人目はセリフを正確に覚えてるんで「オリンピックセンターで待ってた」ってなんや(それ)、みたいな。
絹 聞いてない。
広 あ、聞いてないやんってことが起きるわけですよ。
絹 ああ。
広 本当は我々が生きていることってその場その場の判断の連続だし、その場その場で選んで決断してっていうことを無意識にずーっとやってると思うんですけど、演技だとつい台本になってるからしっかり覚えてきて「何があっても次の合図が来たら私はこのセリフを出すよ」ということにいつの間にかなってしまう。即興はそうはいかないじゃないですか。
絹 逆ですね。
広 だから(即興の中で)音楽がね。途切れ途切れになったりしたところがありましたけど、ムサシくん?
絹 ムサシがね。
広 ムサシくんやな。ムサシくんがあそこで、なんか「モントリオールオリンピックに向けて俺たちは頑張っているのだった。音楽が途切れ途切れであろうとも」って言って僕ら笑ったじゃないですか。あれだと僕らも見てて音楽途切れ途切れで役者さん大変やな。どうなんかなっていうこの緊張が張ってたところで見ている皆さんはわかってたけどそれは言わない約束でしょみたいなことを言ってくれたから面白かったんですよね。ホッとしたし、あの後いくら途切れても大丈夫っていう共感がありましたね。だからすごいああ言ったのはすごくいい判断。お客さんが味方になるから。ガンバレ!って思うから。
絹 そうなんですよね。
広 あの判断が出来るようになるのは難しいですよね。
絹 俳優さんたちね、やっぱりすごく怖がってる感じがする。
広 即興だったらああいうこともやる勇気が出るんでしょうね。吹越満さんが野田(秀樹)さんの「Right Eye」っていうお芝居をビデオで見たんですが、野田さんが目が見えなくなったみたいな病院のシーンがあって。そこでお客さんの携帯電話がプルプルプルプル鳴ったんですよ。ほんで芝居続けてたんですけど鳴っとるから吹越さんが「病院では携帯電話はお切りください」って。みんなドーンって笑って。
絹 スバラシイ。
広 当たり前ですけどそんなの台本には書いてないわけで、だけどあれを言わないで無視するともうお客さんも携帯電話うるさいなーしか思わないし、鳴らした人は地獄なんですよね。ごめんなさい死にます……みたいな。「私だ!」みたいになったときのあのツラさがあると思うんで。だけどあの一言があったおかげで今日はスペシャルな回観たでっていう気持ちになれるから。でもあれ怖くて言えないですよねなかなか。
絹 そうだよねー。私、俳優さんにアンケートを取ったことがあって。即興を得意ですか?不得意ですか?好きですか?嫌いですか?っていうアンケート。255人の回答を得て。
広 どうなんですか。気になる。
絹 60%くらいの人が即興稽古は大好き。自由に出来るし楽しいっていうんだけど本番になるとそんなことはとんでもない、お客様にお見せするのにそんな失礼なことは出来ないっていう感じなんですね。そういう人は即興っていうものをアドリブみたいな勝手にセリフを変えちゃえみたいに認識してる可能性があるんですね。本当は即興性っていうのは台本があっても台本の中に息づいているもの、生きているってことが即興性だから。台本があっても即興であることは非常に大事な部分で、俳優は理解してなきゃいけないんだけども、なかなかそこがそんなことは出来ない。パーフェクトのなものをお見せしなければいけないって、でもパーフェクトなものって一体なんなんだっていう。その携帯電話が鳴った時に、無視してその芝居を続けることがパーフェクトなのかどうなのかっていうのが非常に大きな問題で、やっぱり演劇っていうのはお客さんと生でいることが一番の強み。映画だったら別に反応しなくていいわけですから。でもお客様がこうやっていらっしゃることで存在するのが演劇だから、そこがすごく大事。ちゃんとしたものを見せなきゃいけない、でもちゃんとしたものってなんだろうと思った時には、お客さんとのやりとりってすごい大事。なんだけど、そこに演出家がいて「間違いないようにやんなさい」って言う。
広 そうですね、日本は怖い演出家さん多いですからね。
絹 多いですね。一緒に作ろうみたいなのないもんね。
広 そういう文化ではありますから。俳優さんの中で演出家に恐れがあるのはそれはそうだと思うんです。僕も劇作家なので勝手に役者さんがうろ覚えとかでちょっとセリフのニュアンスが変わってたりすると「セリフ通りやって、そこすごい頑張って書きなおしたんだから」みたいな気持ちになるので。それは多分役者さんもそれ汲んでくださって、これは一言一句やらなあかんっていう風に思う人も多いと思うんですけど。グダグダっていうものを嫌う人は多いと思うんです。それは正しいと思うんですけど、グダグダになっちゃうのはダメっていうことと即興性。グダグダと即興性が、そこの区分けが自分の中でついてないと、今、俺は即興性発揮してんのかグダグダになってるのか、わからないぞってなっちゃうからそこをなんかね稽古場の哲学だったり俳優さんの哲学だったりするんでしょうけど、グダグダになっていってしまうことと即興性を発揮してるってことの差っていうのが明確になっていけばいくほど怖がらずにすむ領域っていうのが出来てくるんでしょうね。どうなんですか海外でやられてるじゃないですか。
絹 やってます。やってますね。


難解な即興は受け入れられない?わけわからなくてもいいじゃないの

広 日本人の即興ってどうなんですか?
絹 日本人の、まあ即興やってる人はそんなにたくさんいない。海外っていうか、西洋ではほんとポピュラーですから。即興は登竜門みたいな。カナダ・アメリカの方は俳優の登竜門で当たり前であるし、もちろんヨーロッパでも当たり前にあるし、即興を習うのは当たり前な文化があるから。
広 即興で発表する。で、お客さんが見守るっていうのは当たり前?
絹 当たり前。劇団はたくさんあるし大劇場があってそこでやってたりっていうのもたくさんあるのでお客さんも目が肥えてるっていうかわかってる。俳優もすごいレベルが高いですね。その上で例えばフランスだったらもうちょっとアバンギャルドな、抽象度が高い即興をやっても面白いってお客さんがそこを読み取るんです。日本でもちょっと前にやってたんですよ。2~3年前。超難解な即興。やってたんだけど「(観客から)意味わかんない。なんか……」ってなったんですね。
日本の抽象的な演劇もあるじゃないですか。意味わかんないありますよね?ああいうのは結構高尚な演劇っていってみんな意味わかんなくてもすごいって。地点とかさ。
[(会場)爆笑]
広 わからなくてこっちが反省したりしますから。
絹 わからなくてゴメン。
広 正直わかんなかったけど
絹 つまんなかったけどいい。みたいな。
広 いや面白い時もありますけどね地点も。
絹 ああいうレベルのことを即興でやると「ふざけんな」みたいな。「意味わかんねぇ」って言われて。ええーじゃあすごい意味のわかりやすいことやりましょうかっていうと「コントだ」とか「もっと演劇的なことやれ」とかって言われたりとか。だから役者さんたちを呼んで役者さんでしっかり芝居を見せていこうというのがこの企画で。興味のある方でこうやって皆に来てもらってちょっとずつここでこっそり始めて。演出家の方や演劇に関わる方々にいろいろ来てもらって、お客さんにもちょっと来てもらって。これ面白いねっていうところで俳優さんたちが「即興できる俳優さん軍団」として(スキルを)上げていったら大きい劇場とかでもバーンっとできるようになるかもしれないし。

海外と日本のインプロで俳優から出てくるものの違い

広 国民性として日本人って(インプロ)苦手なんですかね。
絹 なんかどうなんでしょうねぇ。
広 この間、海外の演劇祭に行ったんですよ。で、タクシーの運転手の態度に度肝抜かれたんですよ。たぶんインド系の人なんですかね、インド系の音楽ガンガンかかってて、タバコ吸い続けみたいな感じで、うわーっこいつ自分の心地よさ追求しとるなぁと思って。友達と乗って日本人が何人かいたから日本語でしゃべるじゃないですか、そしたら運転手は東洋人が何かわからん言葉でしゃべってるのが気に食わなかったんでしょうね。音楽のボリュームガンガンかけて。ええ?お客様が会話してるやーんって思ったんですけど、でもまあこの人にとっては東洋人の理由のわからん言葉を聞いているよりは音楽の方が大事だ、心地よさを取ったんだなと思って。えらいことやなって思ったんですけど、そういうのを悪いと思って僕ら抑えちゃうのが染み付いてるじゃないですか。いろいろ自分はこう思ったからやってみたバーン。あとは私が良いと思ったらいいでしょう?みたいなのって知らず知らずのうちに私たちは出さないように生きてるから苦手なのかなってちょっと思ったりもするんですけど。
絹 そうかも。国際的なインプログループで公演に呼ばれて行ったりするとほとんどアジア人いつも私一人なんですけど、みんなそうですよ。好きなことバーンってやって、はあ?みたいな。逆にみんなが気にしないでバーンってやるから、英語で。ほとんど英語なので、私なんて英語よくわからないから犬のようにウーーッって、もうみんなわかんないしいいやっと思って、みんなワーッて言って、ガーッって他に噛みつくみたいな感じで。ガーッってやって逃げるとか。そんな感じでやっちゃいますよ。もういいやと思って。「忍者だ忍者だ」って言われたり。忍者役みたいな。じゃあ今度っから忍者役で出ようみたいな。後ろのほうをタッタッタッって走ったり。もう全然関係ないからいいやって。向こうも関係ないことやってますから。で、私が関係ないことやってもそれを理由づけたり面白がるし、私も皆勝手にやってるからいいやみたいな。お互いそういう意味では許し合ってるっていうか。
広 いや、いいですね。
絹 ね、日本の人はやっぱり抑えてしまって「ごめんなさい」「スミマセン」。そういう意味では即興やってる日本の人たちの中で割りと多いのは相手の考えてること読み取ろうとする俳優。相手が何をやろうとしてるのかを壊さないようにやろうみたいな。テレパシーじゃないのに気を使い合ってるみたいなのがあるんですね。でも絶対やってることはわからない。さっき(即興で)急に誰か肩に守護霊みたいに乗っかってるみたいな展開になりましたけど出てる人たちはね、まあ遠慮せずにそれをやっていくわけですよね。

広田さん2

新たな何かを生み出すために自分の足場を自ら壊して進む

広 ああいう方法があるっていうことじゃないんです?あの場で生まれたんですか?
絹 ああいう形態があるっていうにはなんとなくあるんですけど、いつそれが出てくるかどうなのかは全然わかんない。今日一番はじめて出たパターンは、(参加者の)マキちゃんが変なキャラクターでいたんだけど今井さんが出てきて、キャラクターが
広 今、迷ったなみたいな
絹 迷ったなっていうのありましたよね。あれ、あたらしかったですよね。あれ初めてで普通だったらご法度ですよね。ああいうのって。
広 あれはだから即興を作ろうとして失敗したところをエクセントしましたからね。
絹 そう。「失敗したでしょ?」って言っちゃうの。
広 そうですよね。あれは一瞬タブーって思いましたもん。
絹 あれは新しかったですよね。
今 「ルール通りにやらないといけないですからね」っていうのがあるところでは出来ないことですから。
広 なるほどなるほど。
今 受け入れちゃうとルールを破ることになりますから。
広 ルールを守るっていうことでモチベーションを保つっていう。
絹 そうなりますかねぇ。
広 でも体の発想力に言葉の発想力がつながっていくっていうのが普段生きていればそうなっていくと思うんですけど、セリフっていうのは当たり前ですけど言葉だけで書かれてるじゃないですか、だから体の発想力と言葉の発想力が一回セリフになった時点で切れちゃってると思うんです。あれを繋げるって意味ではすごくいいんだろうなと思って観てたんですよ。デカい電話みたいなのが出てくるところがあったじゃないですか。あれどこから電話になったのかなとかもよくわかんなかった。最初は妖精の声が聞こえるよ。みたいな時間なんかなって思ってたら電話なんかい!ってことになり、もしもバカげたこんなデカい電話だったら……みたいな設定になっていって。あれ回想シーンでもね、ちゃんと出てきましたもんね。
絹 出てきました。
広 思い出のシーンとして。あーあんなことがあったなぁって思いましたもん。
絹 でも今日やったものは訓練すれば……誰でもっては言えないけど、相当みんな出来るようになると私は思います。ですので演出家の方、広田さんとかはトレーニングでいろいろやって、劇団でも揺さぶりをかけたり台本使ったり即興やったりとかその辺をいろいろやっていただけるとすごく嬉しいなって思います。
広 ほんとですね。今の僕の歳くらいがちょうどやんなきゃいけないんだな。
絹 そうそう。そこでまた新たな何かが面白いことが出来るような気がしますよね。
広 ほんとの名人みたいな40年、50年やってますみたいな方になると、逆になんでもありみたいなところに達していかれる方多いじゃないですか。僕らぐらいが、ちょうどある程度積みあがってきたものがあるから、いや演劇ってそういうもんじゃないから、みたいなことについなってしまうので、要所要所でやっぱ即興やるって、この自分の足場を自ら壊していくみたいなことをやってくとね。

役者さんたちが勇気を持ってシーンを作ってゆく驚き

絹 ぜひ。お願いします。アマヤドリさんでもやってみてください。呼んでいただいてもいいですし、合同で稽古してもいいし。
広 ぜひ来てください。今日も見てて思ったんですけど、もう作家の性分っていうか意味を結構追跡しちゃって、ある程度いろんな流れや意味がたくさん出てきたときにパンクしちゃうんです。で、あれをなんで拾わんかったんかとか、ここ繋がってないやんとか気になっちゃうんです。と、すると僕らは体だけの即興を結構勝手にやっていたことになる。
絹 それはそれで面白いです。
広 体の即興みたいのはずっとやっていて、積み上げてきたものっていうのがある。全員で動くっていう我々の、最初はワンボイスじゃないですけど、ワンボイスとかも混ぜたりしてやってるんですけど、みんなで同じ動きをするみたいなところからちょっとずつ変えていってちょっとずらしてもいいよ、みんなで流行を作ってずらしていいよとか、リーダーとそれ以外とかが勝手に生まれてきたりして。台本がある程度役者さんみんなの頭に入ってる段階で全員で動くっていうのをやると、セリフをみんなわかってるからある程度このシーンはみんなが言うセリフだよね。みたいなものを決めておけばセリフを勝手に入れつつ動きつつみたいなことが出来るようになってく。そんなことをやってたりもしたんですけど、今回のような意味を役者さんたちが作っていく、この勇気はちょっとびっくり。面白かったですね。
絹 ありがとうございます。もっと話を聞きたいところですけれども、ここで一応ライブ終了にしたいと思います。皆さんもぜひ今後ともアマヤドリ、ご支援ください。本日のゲストは広田淳一さんでした。

インタビュー集:演出家が考える即興性とは?
←#2 田中圭介さんとの対話
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