昭和12年のお嬢様料理余談「アイスド・コーヒー」

少し、ご無沙汰しました。種々の理由でじっくりお料理に取り組めないので、今日は軽く。

アイスド・コーヒー
 掲載:「料理の友」昭和12年6月号(原文抜粋)

材料・三人前
珈琲大匙一杯、牛乳一合、粉砂糖大匙二杯、砕氷二塊

拵へ方
珈琲大匙一杯を、晒木綿の小袋に入れ、コーヒー沸し、又は土瓶に入れ、これに沸湯二合位を加へ、蓋をして暫時そのままにして、後に瓶の中に漉し移して、冷たく冷やしておき、牛乳一合を鍋に入れ砂糖大匙二杯を入れて煮沸し、コーヒー同様に冷やしておき、必要に応じてコップに、珈琲三に牛乳一の割合につぎ入れ、氷の砕いたものを二塊うかべてすすめます。


まずは読み解く

 なるほど、アイスコーヒー。コーヒー粉を袋にいれて抽出して後冷やし、甘いミルクを作って冷やしておいて、飲む時に混ぜるというスタイル。
 今回のはそれほど難しい日本語じゃないし、味の想像もつきやすい。
 甘くて冷たい飲み物は、真夏にはいやしですよね。

 余談ですが、夏の飲み物の定番・冷たい麦茶が一般化したのは昭和後期のことで、水出しタイプのものが普及したからだそうです。昔の麦茶は沸かしたやつを冷やしているのが多かったんですが、あれ、沸かしている台所はたいへんな暑さになりますもんね。納得です。

 昭和12年のアイスド・コーヒーの場合、「冷やす」と「氷」のために、冷蔵器(前記事参照)まではいかなくても、氷を入れて冷やすタイプの冷蔵庫は必需品です。

 ひんやり、いいですよね……。

コーヒーといえば

 日本人のコーヒー好きは明治後期ごろまで遡るらしいです。余談ついでに明治43(1910)年のホットコーヒーの入れ方を。


カフィー
 掲載:「割烹講義録」明治43年10月号(原文抜粋)

材料(五人前)
 カフィー粉五勺 沸騰湯六倍
 玉子の白味又は玉子の殻

作り方
 先ず丼の如き器にカフィー粉を入れて白味ならば半分位(殻ならば一個を)入れてよくねり次に水を少し加へてねばねば位にかきまぜ白木綿又は白麻布に包みて土瓶に入れ沸湯をつき入れます。それから弱火の上にかけて十分くらい煮てから茶碗につぎ温めたる牛乳を加え砂糖を添えて出します。玉子の白味及殻は灰引きの為めでございますからよく煮る方がよろしうございます。薄いのが好きの方は後で湯を割るか又は牛乳を沢山に入るる方がよろしうございます。
 カフィーの汁と牛乳の割合は人の好みによりますが大抵は左の如きものでよろしうございます。
 カフィー汁五勺、牛乳二勺位、砂糖は角砂糖ならば二個を添えますが普通の砂糖ならば小さじに一杯位でよろしうございます。


そして読み解く

ざっと現代語訳します。

(1)丼にコーヒー粉(5勺≒75g)を入れ、玉子の白身(or殻)を一個分いれて、よく練る
(2)練ったものを木綿か麻の小袋にいれて、土瓶にいれ、沸騰している湯を入れて、弱火で煮出す
(3)別に牛乳をあたためておく
(4)煮だしたコーヒーと牛乳を、3:1の割合でカップに注ぎ、砂糖を添えて出す

 玉子の白身(or殻)は灰汁を取るためのものとのことで、どのくらいの効果があるのかは、現状、検証しにくいです。コーヒー豆の仕上がり具合が違っている可能性が高いので、今のコーヒー豆だとどうなのか……。
 今度、コーヒー豆屋さんに相談してみよう(覚えていたら)


明治43年と昭和12年

 四十年弱でコーヒーの飲み方も随分と変わったんですねぇ、と、感慨深い。ただし、コーヒーをいれるためには木綿の小袋必須なところはかわっていないです。

 昭和12年の時点でもコーヒー道具は結構お高いです。

 ちょっと見にくい画像で恐縮です。コーヒーミルが43銭、サイフォン二人用が2円80銭。年間所得100円(※)だと仮定すると、月給が8円強なので、かなりのお値段ということに。

 ちなみに、コーヒー豆は100g20銭くらいしたようです。嗜好品だなー。

※100円サラリーマンは、当時一流、アコガレの高給取りでありました。


次はお料理したいです。


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