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2025年新年のご挨拶と2024年振り返り、rumania montevideoのお話

新年あけましておめでとうございます。
このnoteも2023年で更新が滞っていまして、2024年すっ飛ばして2025年になりました。
2024年はここ最近で一番忙しかったです。
便りがないのは元気な証拠、と言いますが

最近はX,インスタ、Facebook、Tik tokなど、ミュージシャンにとって宣伝するために使うSNSが多すぎる。
このnoteもそうですがね。
昔はmixiくらいでした。
かといって個人でやってるミュージシャンにとって、最大の広告の場はSNSなのであって、そこはなるべく頑張っています。
しかし、小学生のときにすべての交換日記を止めたのは私です。
元々筆不精です。
そこはご理解ください。


京阪GIRLの再結成ライブについて

それはさておき、更新が滞っていた2024年をふりかえりますと
まず2024年3月31日に京阪GIRLで一日限定の再結成ライブをしました。
なんと解散したのが2004年3月31日だったので、実に20年ぶりのライブ!!
いや、20年って!!(笑)
この当時から私は女子高生の有カリンと比べてOLでオバサン扱いだったのだけど、じゃあ今は何(笑)
https://youtu.be/T2D9sucZ1Yg?si=p8xg6LcbcmjLAWuX

2023年後半からここまでは京阪GIRLの活動に忙しかったです。
開催にあたって、クラファンをして、リハーサルも10回以上入ったと思います。かなり前もって準備をしていたけれど、お互い多忙なこともあり、直前はかなり大変でした。
私も子育てや他バンドしながら、作家事務所でのコンペにも参加しているので、この時期はかなり無理してたと思います。
でもたった一度の京阪GIRLの再結成ライブだけは妥協したくなかったので、必死にやりました。
結果、いいライブが出来たと思う。
有カリン、サポートのかなこさん、かっきーさんお疲れ様でした
京阪GIRLの当時ファンだった方、ずっと応援してくださってる皆様、喜んでいただけたでしょうか。
Kinki Kidsも改名した昨今ですが、京阪GIRLをやることは正真正銘最後でしょう。
もうOLでもゴルフ場の受付嬢でもないし尊敬する少年ナイフのメンバーになって脱退してしまってるしね。

mophing people初の海外ツアーヘ

京阪GIRLの解散ライブのすぐ後、4月にはmophing peopleのライブがありました。
8月には所属しているドイツのレーベルのイベントがあったので東京でライブ、そして名古屋でもライブしました。
そして10月からのヨーロッパツアー。
それに合わせて4曲入りのEPをリリースしようとなったのでその制作もしていました。
ドイツのレーベルとのやりとりは全てメールで英語です。
おかげでメールを翻訳しなくてもすぐにわかるくらいには英語のリーディングやライティング力はついたと思います(スピーキングは今一つ上達しない)
1週間ほどの海外ツアーでしたが本当に楽しかった。
ツアーの詳細については三好さんがnoteに書いてくれてます。

ツアームービーも販売しています。
最終日のテュービンゲンショウフルサイズ(1カメ)とツアームービーで1000円。
安い!!バンドの活動費にさせていただきますので、気になった方は是非!!
ツアームービーはこちらから購入できます

12月に日本でも7インチEPがリリースされました。
在庫がどこも少ないみたいで、今私が手にある分もほんの数枚でライブで販売できるか微妙なので、欲しい方は今のうちにゲットしてくださいね
ディスクユニオンは在庫なし、タワーレコードはまだ在庫ありました

と、mophing peopleでもかなり動きのあった1年でした。
京阪GIRL、モンテビサポート、mophing peopleと、いっときはバンド3つかけもちしているような忙しさでした。

rumania montevideoのサポートについて

さて本題に入ります。
来る1月11日梅田クラブクアトロ、3月29日渋谷クラブクアトロでrumania montevideoのベースサポートをさせていただくことになりました。

私のrumania montevideoとの一方的な出会いは20年以上前にさかのぼります。
京阪GIRLをやる前に私はキラキラ☆スナイパーというバンドを学生時代にやっておりました。
そのバンドが雑誌「Undown」に取り上げられて、一時はUndownで連載してもらっていました。
→今も誰かがアップしてくれたUndownのキラキラ☆スナイパーのインタビュー記事がコチラで観れます

Undownレーベルが出来るから、そこからリリースを、みたいな話もありましたが、Undownはちょうど私が大学を卒業してバンドを解散する頃に
廃刊になることになって
当時の編集長さんから電話があって「僕はもう応援出来ないから、代わりに知り合いのレコード会社の人間を紹介するよ」と。
そこで紹介されたのがZAINレコードの人でした。
ZAINレコードはのちにGIZAになります。
私はZAINレコードのときから週に1回事務所に通ってデモを聞いてもらう、ということを約2年くらいしていました。
そこでよく三好誠さんの話を聴かせてもらっていました。
今度うちからデビューする三好君はね~と。
どうも同世代にすごい人がいるらしい、ということだけぼんやりと思っていました。
そして私は漫画やアニメが好きで、名探偵コナンはサンデー1話から読んでいて、アニメも第一回放送からリアルタイムで観ていました。
あるときのエンディングでフィードバックノイズが走り、なんだこれは!めちゃくちゃいい曲じゃないか!
と私はすぐにスコアを買いに行きました。
CDはレンタルしました。ごめんなさい。当時はよっぽど好きなアーティスト以外はレンタルするのが普通だったと思います。
そして私はその作曲者が三好さんだということに気付くのです。
三好さん!凄いやん!めっちゃいい曲かくんや!!
ちょっとだけ知り合いのような気持ちで誇らしかったのを覚えています。
Still for your loveは、友達とコピーバンドでスタジオ入って練習しました。
私はギターボーカルをしました。
真美さんの歌い方を真似しました。
あの声は多分日本人なら全員好き。
ポップなメロディに少し排他的ともいえるダークな歌詞の世界観も最高。
つまりめっちゃ好きでした。
シングルはだいたいチェックして「デジタルミュージックパワー」のコード進行が好きでそれを真似した曲を作ったりました。

相変わらず私はデモを作り続ける日々を送っていました。
1曲だけマニピレーターにアレンジしてもらって
ある日、プロデューサーに会わせると言われて面談しました。
全くプロデューサーさんに反応はなく、ああダメだろうな、と思ったことは今でも覚えています。
その時もプロデューサーさんは「rumania montevideoの曲はまだか」みたいな話をスタッフさんとしていました。
プロデューサーとの面談から1週間以内に事務所に呼び出されて

「君は曲をかく力があるから、若い娘に曲をかきなさい」
と言われ16才の女の子の歌詞を渡されました。
そのとき私は24才になっていました。
そこからしばらく楽曲提供をやってみたものの成果はなく、その頃有カリンと出会ったこともあって、バンドをやります、とGIZAを辞めました。
採用されたこともなかったので特に契約はなく、あっさりと私とGIZAの関係はおわりました。
今思えば、あそこでしっかりと作曲家を目指していたら、今全然違った人生だったかもしれないなぁと思うことはあります。
きっとここを見てくださってるみなさんとも出会ってないだろうけど。

そこから時は流れて私は京阪GIRL、電気キャンディ、少年ナイフとバンドでのキャリアを積んでいきます。
そして出産、子育て、コロナ渦とミュージシャンとしての活動がほとんどできていなかった2020年、SNSで「うたつなぎ」というのが流行り、
一度対バンしたことがあった、しまーるさんから「うたつなぎ」がまわってきました。
しまーるさんの前が三好さんだったのです。

ちょうどその少し前にSNSで再結成ライブのことを知ったときにすぐにチケット申し込みましたが瞬殺すぎてチケットとれず

当時のGIZA担当者だったMさんにチケットとれないかとお願いのメッセージを送ったけど返事はなかった。。
ライブ当日まで、行ったら入れてもらえるんじゃないか?なんて思ったりもしたけど、それはファンに失礼だからやめておいた。

そういう思いをSNSで書いたことがあったから、それを三好さんは見てくれてたのかもしれないし、そこはわからんけど

バンドでバリバリ現役だった頃は

j-popや商業的なアーティストやアイドルをミュージシャンが好きだというのはNGな風潮があったと思う。
売れてる=ダサイっていう、そういう時代は確かにあった。
(最近SNSで話題になってるけどね)
実際、私はどちらかというと王道好きなメジャー思考なところがあり、アンチマリリン(マリリン=私)から私はダサイ、なんてよく言われてたらしい。

ただ、なんか好きなものを好きだと声を大にして言えないなんて、しょーもないな!と

コロナで世界が変わって、今まで守ってたものもなくなって、初めてそう思って

rumania montevideoのライブに行きたかった!みたいなことをSNSに書きました。

ビーイングのアーティストをどこかで「作り物」みたいに思ってた人、同世代の音楽好きには多いと思う。
ライブあまりやらないとかはあったもんね。
でもモンテビの曲ちゃんときいたことある?
めっちゃかっこいいしいい曲やねんで。

昨年末のB'zの紅白も話題になってたけど、あの圧倒的なステージを見たら、それは「作り物」ではなく「本物」だというとがわかるはず。

戦略とか売り出し方は賛否あると思うけど、アーティストはみんな素晴らしいと思います。
あのプロデューサーさんは見る目がある!!

まぁその見る目あるプロデューサーに見いだされなかったのが私ですがね(笑)


話脱線しましたが、うたつなぎからほどなくして三好誠さんからSNSでDMがきました。

初めて三好さんから連絡きたときはビックリしましたよ(笑)

私は一方的に三好さんのことをずっと前から知っていたし、作る音楽が好きだったから純粋に誘われて嬉しかったですし、勝手に縁を感じました。

最初に連絡きたときは、「自分のソロの音楽を手伝ってもらえませんか」というような感じだったと思います。
そこからベース弾けますか?ちょっと歌ってもらえますか?みたいな感じでユニットになりました(笑)
私はDTMもやるからリモートで制作もできるし、歌も歌えるし、コーラスもできるし、ベースも弾けまっせ!
意外に使える、と思われたんかも(笑)
自分でいうのもなんですけど、実際一緒にバンドやるには便利な人やと思いますよw

そして今に至ります。

rumania montevideoのライブサポートのお話をいただいて、京阪GIRL終わってすぐモンテビの練習始めた気がします。

モンテビ曲は以前mophing peopleのライブで3曲ほど真美さんゲストボーカルでやりました。
曲へのリスペクトは誰にも負けない自信があります。

自分でもキモいくらい、ヘッドフォンで日々ベースラインを耳コピしています。

うたつなぎやってよかったし、好きなものを好きと言ってよかった。

さぁ2025年が始まりました。

新年一発目は1月11日梅田クアトロです。
チケットまだ大阪はあります。
(東京はソールドアウト)

是非是非、見に来てください。

私はちゃんと「メジャーデビュー」をしたことがありません。
(電気キャンディは一応メジャーの流通からシングルを出しましたが)

なのでデビュー何周年とかはないけど

めっちゃ長いこと何かしらバントやってますね。

毎日がバンド初めてからずっと続けてる記念日やな。(なんかわかりにくいけど)

大げさなことしなくていいんで、ずっと音楽続けていけたら幸せです。

作曲家への道もあきらめたわけではないよ!
(結果が出てないだけ。そろそろ本気で結果出したいです)

まずは1月11日、見に来てください。

Litsukoファンやと言ってくれてるみんな

私もいつまでも健康で続けていけるかわからんで!(笑)

では長々と最後まで読んでくださってありがとうございました。


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