やりがいってなに

最近よく聞く「やりがい」という言葉。面接とか職場とかいろいろなところで当たらい雨のように使われている。でも何度も聞くうちに、そもそもどんな意味なんだろう。って疑問に思うことがあった。

広辞苑では「するだけの値打ち」、
新辞林では「物事をするに当たっての心の張り合い。しがい。」とある。
英語では、"ちなみに"rewarding”,"challenging","worthwhile","satisfying work","juicy"
何かが同等の意味でつかわれる。

ちなみに"rewarding”は、「満足感が得られる、やりがいがある、報酬効果のある、見返りがある」といった意味。
"challenging"は、「挑戦的な、能力を必要とするような、難解だが興味をそそる、深く考えさせる、やりがいのある」といった意味ある。
「満足感」と「能力を必要とするような」という言葉がイコールではないように、"worthwhile","satisfying work","juicy"といった言葉もニュアンスはそれぞれ違うだろう。

つまり、「やりがい」という一つとっても人それぞれとる意味合いが異なる。日々刺激的な環境にいることや、困難な壁を超えたときにやりがいを感じる人もいれば、あまり刺激がなくても、泥臭いことでもそこにやりがいを感じる人がいる。
ありがとうと言われることにやりがいを持つ人もいれば、お金を稼ぐこと、成果を出すことにやりがいを感じる人もいる。
要は、どこに自分がすること、したことに対して見返りを求めているか、どんな見返りや価値があれば、自分は満足するのか。
ってことなんだろう。

私は「やりがい」という言葉に、challengeの意味で多く考えていた気がする。人と比べて、自分は何も挑戦していない、前に進んでいない、とか。何か大きな壁を越えられないとやりがいとは認めない。みたいな。
でも広辞苑が示すように「何かをするだけの価値」は、どんなことにも絶対あるし、どんな小さいことでもそれがなければ世の中回っていかない。
とするならば、どんなことに向き合うにしろ、自分が目の前のことの意味をきちんと考え、真摯に向き合っていくならば、「やりがいがない」なんてことはないんだと思う。

どんな仕事でさえ、仕事そのものが本来はやりがいなのではないか。とさえ思う。

「やりがいがほしい」というのは簡単だ。でも自然に手に入るものと考えていたり、環境に頼り切ってばかりしていれば、いつまでたっても充足感は得られないだろう。自分はどういう状況で満足するのか、うれしいのか、価値を感じるのか、それらをきちんと細分化して、整理する事。そしてそれが得られるために日々努力していくことが「やりがい」につながるのだろう。

そう思うと、一言で「やりがい」を語るのは凄い難しいようなことなのかもしれない。((笑)

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