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善意が犠牲にならない社会を作るために
世の中には、人を騙したり、不正を働いたりして大金を手にする人がいる一方で、困っている人を助けたり、社会のために尽くしたりしても、何の見返りも得られないことがあります。例えば、詐欺や違法な商売で儲ける人がいる一方で、ボランティアや、良い行いをしても何も得られず、無償で活動している方もいます。こうした現実に、違和感や疑問を抱く人も多いのではないでしょうか。
「なぜ、悪いことをする人は儲かるのに、良いことをする人には何も与えられないのか?」
この疑問は、とても素直な感覚だと思います。良いことをしてもお金にならないのであれば、結局のところ「世の中はずる賢い人が得をする仕組みになっているのでは?」と考えたくもなりますよね。
しかし、少し視点を変えてみると、「良いこと=利益がない」とは限りません。たとえば、誰かを助けたことで感謝されると、自己肯定感が高まり、人とのつながりも生まれます。ボランティアを続けることで、経験やスキルが身につき、将来的に仕事につながることもあります。もちろん、お金という直接的な利益にはならないかもしれませんが、「生きがい」や「人間関係」といった形で返ってくることもあるのです。
ただ、「良いことは無償でもやるべき」と押しつけられるのも、少し違うように感じます。善意に頼りすぎる仕組みでは、結局のところ、やる人が疲れて続かなくなってしまうからです。実際、福祉や教育など、人のためになる仕事ほど低賃金であったり、人手不足であったりするのは、社会全体の矛盾ともいえるでしょう。
結局のところ、悪いことが儲かるのは「それを止める仕組みが完全ではないから」であり、良いことが無償になりがちなのは「それを支える仕組みが十分ではないから」なのかもしれません。だからこそ、本来なら「人の役に立つこと」が正当に評価され、報酬が支払われる社会のほうが健全だと思います。
「良いことは無償でやるもの」と決めつけず、善意がきちんと報われる仕組みを増やしていけたら、世の中はもっと生きやすくなるのかもしれませんね。