見出し画像

【うつ日記】 2月4日 心と身体の迷子

2025年2月4日。
朝、目覚めた瞬間から身体中が重く、全身が言うことを聞かないような感覚に襲われた。
頭はぼんやりとして考えがまとまらず、吐き気とめまいが続き、足取りもおぼつかない。まるで地獄のような朝だった。
それでも「このままではいけない」と、スマートフォンを手に取り、市内のメンタルクリニックを検索。
評価が良さそうなクリニックをいくつか見つけたが、考える力もなく半ば手当たり次第で一番近いクリニックに向かうことにした。


心が折れそうな病院探し

最初に訪れたクリニックでは、受付で「事前予約がないと診察できません」と断られた。
頭が働かない中でどうすればいいのかわからず、その場で立ち尽くしてしまった。
すると、受付の方が「市の保健センターに問い合わせてみてください」と助言をくれた。
すぐに保健センターへ電話をかけると、当日診察可能な精神科・メンタルクリニックを4箇所教えてもらえた。
その中から、最も近く評価が3.9と高かったクリニックに電話。
「当日診察可能」との返答を受け、車で向かうことにした。


待合室で感じた孤独

メンタルクリニックに到着し、車を駐車場に止めて歩き始めた瞬間、動悸が速まり、呼吸が乱れた。
クリニックに入ると12畳ほどの待合室には16席ほどの椅子が並び、ほぼ満席状態。私を含め、皆一様にうつむき、どんよりとした雰囲気が漂っていた。

その空気に圧倒されながら受付に診察の申し入れをしたが、声が出にくく、どもってしまい、まともに話せなかった。
受付を終えたものの、待合室にいることが耐えられず、受付の方に「車で待ってもいいか」と尋ねると、了承を得られた。
車の中で横になり、診察の順番を待つことにした。


優しい問診と涙

診察の順番が来ると、まずは40~50代くらいの女性医師による予備診察が始まった。
柔らかく優しい口調で丁寧に問診を進めてくれたので、話しやすかった。

私の生い立ち、前日からの経緯や会社での状況、特に社長や役員からの叱責、山積する業務、決して良いとは言えない職場環境について話した。
一番悔しくて涙が止まらなかったのは、自分自身が変わってしまったと感じたことだった。

叱責を恐れるあまり、連携する部署の部下にきつく当たってしまったこと。
「自分も、かつて憎んでいたような人間になってしまっているのではないか」という思いが頭をよぎり、悔しさと自己嫌悪で涙が止まらなくなった。
「きつく当たってしまった部下に心から謝りたい」と伝えると、医師は静かに話を聞いてくれた。


診断の言葉と動揺

本診察では、30~40代くらいの男性医師が担当。
予備診察の結果を基に進められ、医師は私の話を聞きながら今後の方針を提案してくれた。

「どうしたいですか?」と問われ、私は「このままでは転職を考えざるを得ない」と正直に話した。
原因は明らかだった。
社長や特定の役員からの厳しい叱責、業務の押し付け、膨大なタスク量――それらの圧力が積み重なり、私の心と身体を追い詰めた結果であることは明白だった。
この原因が解消されない限り、今の職場で働き続けるのは不可能だと感じていた。

しかし、医師は「まずは休むことが最優先」と言い、「焦らないように」と何度も諭してくれた。

診断結果は「うつ病」。
「3ヶ月の休養が必要」という診断書を受け取ったとき、正直、驚きを隠せなかった。
3ヶ月も休むなんて現実的に無理だと思ったからだ。

後で調べたところ、うつ病で3ヶ月の休養を必要とするのは割と一般的なケースだと知ったが、その場では納得できなかった。
私が抜けたら、他の同僚や部下に迷惑がかかるのではないか? 私にしかできない仕事も多いし、職場に残したタスクが山積みになってしまう。
キャリアにも傷がつく恐れがあるし、社長や役員から嫌がらせを受ける可能性もある。

「休めても1週間だな」と瞬時に考えた。
だが、こんな状態になった原因が会社にあることを思うと、怒りも湧いてきた。
社長や特定の役員が私をここまで追い詰めた――その事実に対して、倍返しどころか1000倍返しにしてやろうという気持ちすら芽生えた。

頭の中では、復帰後にどう動くかまで考え始めていた。
このとき浮かんだのが「プランβ(ベータ)」だった。

  1. 1週間療養
    しっかりメンタルを治療し、その間にボイスレコーダーを購入。診断書は会社に提出せず、病名も伏せる。

  2. 職場復帰後に証拠を収集
    定例会議などで、社長お得意の恫喝を誘発し、ボイスレコーダーで証拠を取る。

  3. 労働基準監督署に通報
    証拠を基に労基に通報し、労災を申請。1週間の療養期間の補償を受け、同時にパワハラを撃退し、皆が働きやすい職場環境を実現する。

医師の話を聞きながら、頭の中ではこれらをぐるぐるとシミュレーションしていた。
結局、医師の言葉はほとんど頭に入らず、自分の考えに没頭してしまっていた。

ただ、診察の最後、医師が穏やかな口調で「あなたが責任を感じるのは分かりますが、まずはあなた自身を大切にしてください」と言った。
その一言が、頭の中で暴走していた考えを一瞬止めてくれた。

帰り道、依然として身体は重く、頭の中も整理がつかないままだったが、どこかで「一旦立ち止まってもいいのかもしれない」という気持ちが生まれていた。


帰宅とこれから

診察を終え、薬局で薬を処方してもらい帰宅した。
処方されたのは、トリンテリックス錠10mgとオランザピン錠2.5mg。
どちらも1日1回、夕食後に飲むよう指示を受けた。

帰宅後、早速日記を書き始めたが、仕事のメモが目に入るたびに動悸が速まり、思考が止まる。
手が震え、吐き気と涙が込み上げる。

それでも、記録を続けることが自分の中で少しの冷静さを保つ手段になっているように思えた。
「明日もまた記録を続けよう」――そう思いながら、この日を終えた。


いいなと思ったら応援しよう!

to↻mosuke
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! (140文字以内)