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『辞職』〜50歳道子の移動スーパー奮闘記〜vol.16
『元木さん、辞めたいんだって。とめたんだけど、もう次も決まってるっていうからしょうがないよね。やっぱり体力が持たなかったみたい。』
店長は道子から何か聞かれるのを拒む様に、一気に元木が辞めることを伝えた。
元木は2ヶ月前、道子が働いているSマーケットの移動販売部門に入ってきた。63歳、細身で落ち着いた男性だった。ゆっくり、穏やかに話し、上品だったので、道子はお客様からも慕われるだろうと思った。
しかし、事務職40年の元木にこの夏の暑さはキツすぎたのだろう。移動車に乗るとどうしても水分を摂るのを控えてしまう。トイレに行きたくなるからだ。道子もお茶を飲むとすぐトイレに行きたくなる。しかし、スポーツドリンクを少しづつ飲むと汗として水分が出ていき、トイレは遠くなる様な気がする。そんな風に自分の体とも向き合う毎日なのだ。
元木は慣れない接客と環境もあったかも知れないが、ちょっとした時間に一気にペットボトルのお茶を飲んでいた。そのせいか、大量の汗をかきながらレジを打っていた。あまりにも汗をかいて顔色も悪いので道子は何度かレジを交代したくらいだ。
そんなことを思い出しながら道子は『そうですか。しんどそうでしたから。』と店長に言った。
『辞めるんだって?』
助手席に乗った道子は運転している元木に言った。
『辞めないでよ。仲良くやってきたのに。』
そんな言葉で元木の気持ちは変わらないとわかっていても、道子は言わずにいられない。
『道子さんと仕事は楽しかったんですけど、やっぱり体力的にキツくて…移動スーパーって求人見た時、商品が積んである出来上がった移動車に乗って、販売場所に行って、少人数のお客さんを相手にほのぼの販売すると思ってたんです。
でも実際は積込みも2時間くらい自分たちでやらなきゃいけないし、お客さんの人数も多くて殺到してくるし、これはわかってたことですけど、雨の日も行かなきゃいけないし、夏の暑さも半端ないじゃないですか。体力が限界なんです。自分の考えが甘かったと思ってます。』
元木は道子の方は全く見ずに運転しながら言った。
『そしたら、医療事務でまたやらないかと声かけてもらったんで…』
『医療事務なら雨にも太陽にも当たらないからそっちの方がよいよ。』
道子は少し嫌味を言ったと思ったが、何だか悲しかったのだ。元木が居なくなることはしょうがない。元木の最初やってみたいと思ったキッカケは道子も同じだった。でもこんなにも自分の選んだ仕事が魅力ないのだろうか。
私は見つけていこう。過酷な労働や最初のギャップを埋める様な素敵なことがある仕事だということを見つけていこう。もう少し続ける。もう少し…
道子はそう思った。しかし、元木が居なく慣ればまた1人で戦う日々が待っている。新しい人がすぐ来るとは思えない。
道子は元木に言った。
『なんで元木さん、辞めちゃったんですか?ってお店の人に聞かれたら言っておくよ、これ以上、道子さんを好きになるのが怖いって言ってましたよ。って。』
元木は大爆笑して、私を見て言った。
『申し訳ないですけど、道子さんにそんな気持ちなったことないです。』
(わかっとるわ、ばーか。)
道子も笑いながら、元木の腕を軽く叩いた。