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『先輩』〜50歳道子の移動スーパー奮闘記〜vol.5

 道子がこの仕事を選んだ理由のひとつに一人でできる、ということがあった。コミュニケーション能力はある方だと思うが、人によく思われたい気持ちが強すぎるあまり、必要以上に気を使って相手の心を読もうとしてしまう。また、他人の仕事ぶりも気になる、負けず嫌い、自分で工夫しながら販売してみたいことも一人でやってみたい理由だった。

 しかし、この店の移動販売は2人体制だった。10日前より山下さんという男性が本部の人と販売していた。つまり、山下さんは道子より先輩となる。
えー、2人〜。と思ったが初めての移動スーパーに不安要素もあったので、まぁいいか。それも安心か。と考え直した。

 勤務初日。現場で学んだ方が覚えるだろうから、という理由でお店での研修もなく、移動販売に行くことになった。道子は助手席に乗り込んだ。運転は山下さんだ。山下さんの第一印象は前回の記事『採用』で記述した通りだが、やはり小汚い。花粉症もあるのだろうか、ずっと鼻をグスグスさせている。時々手で鼻を拭う。それでも嫌っていてはしょうがないので、一つ一つ教えてもらう。山下さんはのっそりのっそり歩き、話し方もゆっくりしている。急かすようなこともないので緊張しなかった。38歳。独身。何年か前に脳梗塞を起こして一命は取り止めたが、その後遺症で計算が苦手らしい。動作がゆっくりなのも後遺症ではないかと店長が言っていた。

 移動車の中ではよく話した。別れた彼女のこと。入院していた時、看護師さんが可愛かったことなど。道子に対しては、4人もお子さん居て大変ですね、どうやったら子供ってできますか?子供が出来ない友人夫婦がいて。と気持ちの悪い質問もあったが、50歳のオバさんにセクハラは無いだろうと怒りをのみこんだ。
 彼は移動販売に対しては熱意も無いし、たくさんお客さんが来ても焦ったりしない。マイペースだった。ただ、今思えば体調があまり良く無い感じだった。腰が痛い、足が痛いと言っていた。底に穴が空いた靴を履いていたので『それが足が痛い原因ではないですか』と躊躇なく言えるほど、ボーっとして感情がないような人だった。

 道子が入社して6日後、山下さんは体調不良を理由に来なくなった。

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