透明を満たすもの
いま、日本中を騒がせている大変な問題が進行中だ。
その被害者と擬せられる女性が写真集を出版するらしい。
タイトルは「透明を満たす」
彼女はタイトルの意味は皆さんに考えてほしいと言っているそうだ。
透明とはなにか。
非道な暴力で、性的精神的肉体的に甚大な蹂躙を受け尊厳を奪われ
刑事告発すら考えたというほどの、その被害を相談した会社から「自らのプライバシーを守るため」という尤もらしい言い訳のもとに、あろうことか加害者を守り、あるいは加担するかの如き対応をされ、頼みの法曹界もなかなか彼女の味方にはなってくれず、なんとなれば加害者が大物だからと皆逃げて行ってしまったのだとか。
つまり加害者が守られ自らは守られることがなく、絶望の底に突き落とされ、ついには示談に応じてしまって、その絶望の中会社まで辞めることになったという・・・
こんなことが本当に令和の日本の一部上場企業のTV局で起こったのかと疑いたくなるような事件。
会社にも助けてもらえず、法律家からもろくに助けてもらえず、事件もなかったことにされ、ついに彼女は透明な存在にされてしまったのだ。
私は透明な存在の彼女が「自らの色を快復していく決意」を表した言葉が「透明を満たす」
という意味であると考えている。
私の考えが更に正しければ、この言葉は「正しい色で満たす」という意味も含まれているはずで、一部で批判も浴びているような彼女の行動全ては計算であるはずだ。
もちろん、犯罪被害者、冤罪被害者、目に見える/見えない疾患を持つ患者…など声を出せない消された存在の人たちへのエールも込められているが、それは自らの行動を通して彼女が証明していくのであろう。
そのあまりに健気で、そして気高い意思に私はどうしても手を動かさずには居られなかった。
「透明を満たす」意味をみんなで考えてほしいだなんていう言葉の真意は、単に読者が言葉の意味を考える、ということを指しているだけではないと思う。
我々一人一人が考え行動し改めていくこと。彼女はそれを望んでいるはずである。
無能な私にできることは何なのか。これからこの初めてのSNSで「日本の失われた30年を象徴するかのような」この問題について、問題点やポイントをまとめていきながら、これからはどうあるべきなのか、について考えを述べていきたいと思う。なれぬゆえ間違いもするだろうし書き改めたりもするだろう。でも私は書きたいと思う。私の行動が何かにつながると信じて。