【短編小説】君のこころ
ねえ、写真とってきてよ
その言葉が始まりだったのだろう。
決して高い訳でもないし、画質がいいわけでもない。そんなカメラをいつも首にかけて出かける。目につくものがあれば写真におさめる。
空、花、木々、動物……
『今日はなんの写真?』
そう尋ねてくれるのがうれしくて、いつの間にかあいつのために写真を撮るようになった。
写真は、ただの手段だったのかもしれないと思うことがある。
生きているのが辛い時期があった。
世界の汚さばかりが目について、何も見たくない時期があった。
そんなとき寄り添ってくれたのがあいつだった。
『私のために、外の世界の写真とってきてよ』
初めは、ただの人助けのつもりだった。
あいつのために写真を撮っていくうちに、世界の美しい部分を少しずつ知るようになった。
空は、決して同じ表情を見せたりしない。
花は、いつ咲くのかとわくわくする。
木々は、風が吹けばさわさわと揺れる。
動物は、人間の思いもよらないことをする。
自然は、神秘だ。
俺は写真を通して、あいつから世界の美しさを教えてもらった。
だけど、感謝を伝える前に、あいつは消えた。
「ねえ、写真とってきてよ」
静な病室に優しげな声が響く。
あいつは唐突に言った。顔と同じくらいの大きさの、黒くてゴツゴツしたカメラを覗きながら。そのレンズには何が映っているのだろう。
「写真?」
「そう、写真」
あいつは、窓から外に向けてカメラを構え、レンズを覗いたまま繰り返した。
「自分で撮れるだろ」
あいつの隣に腰を下ろし、同じように窓の外を眺める。パシャ、と音がした。
隣には、カメラをこちらに向けたあいつがいた。
「ナイスショット!」
「撮んなよ」
ふふ、とあいつは笑った。今撮った俺の顔を俺に見せる。消せよ、と言うと、やだ、と言って病室の中で逃げ回る。
遊び疲れたのか、あいつは再びベッドに腰掛けた。
「あの、さ。」
カメラを愛しそうに眺めながらあいつは言った。
「もう、家に帰れるかわからないんだよね」
ここからでられるかもわからない、と。
「だからさ。私に、写真を撮って見せて」
何でもいい。君の好きなものでも、目についたものでも、私に見せたいと思ったものでも、本当に何でも。
『君が見つけた綺麗なものを、私は見たいな』
ありがとう。世界は、とても綺麗だよ。
君が気づかせてくれたんだ。
本当は直接伝えたかったけど、もう遅いから。
無機質な石に向かって言うしかない。
俺が見つけた綺麗なもの、それは――。