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とあるJKの日常譚 #10  あの日、あの子がじゃんけんで負けたから。

 最初はグー、ジャンケンぽん。
 4人でジャンケンをしました。

 そして、その子、仮に『ミワ』と名付けましょう。『ミワ』以外はみんなパー、しかし『ミワ』だけグーだったのです。

 それから『ミワ』は泣きました。いやだ、やりたくない、と。


 これは、私が小学五年生のときの話です。
 小学四年生から、委員会活動が始まり、五年生になったわたし達も委員を決めました。

 私が所属していたのは放送委員会。わたし達の学年から、私を含め4人の放送委員が決まりました。

 五年生にもなると、副委員長を決めなければなりません。しかし、選ばれた4人は、誰も放送委員の経験がありませんでした。

 仕方なく、ジャンケンで負けた人が副委員長をやることになりました。そして冒頭のシーンに戻ります。

 4人でジャンケンをし、『ミワ』が負けました。そして、『ミワ』は泣きました。小学生らしい、小学生ならではのことだと思います。

 私は、泣いた『ミワ』がかわいそうで、

    「それなら私が副委員長やるよ」

 と、言いました。

 そこが、おそらく、私の人生の分かれ道だったように思います。

 その日から、私の日常は変わりました。
 毎日お昼の時間に、『お昼の校内放送』をするようになりました。普通の委員であれば月に一度程度。ですが、副委員長は毎日。

 クイズをしたり、物語を読んだり。
 マイクの向こう側に話しかけるのが、日に日に楽しくなっていきました。

 お昼の時間、マイクに話しかけるようになってしばらくしたころ。いろいろな先生に喋りのうまさを褒められるようになりました。

 明るくて聴きやすい声。

 先生にも友達にも、将来は声優かアナウンサーだろうと言われるようになりました。私も、それが自分の得意なことだと、自覚し始めていました。

 六年生になって、委員長になりました。
 中学校でも、放送委員長を務めました。

 そして高校生になり。
 現在、私は放送部に所属しています。大会では、県で9位の成績。


 あの日、私は大きな挑戦をしました。
 あの時はおそらく、人助けのつもりだったのかもしれません。しかし、あの日の選択は、間違いなく挑戦でした。

 あの時の選択によって今があるのだと、マイクの前に立つ度に思います。

 そしてその挑戦のきっかけになったのは、『ミワ』、貴女です。あの日、貴女がジャンケンで負けたから、今の私が居ます。

 『ミワ』、ありがとう。
 あの日の挑戦が、今の私を創っています。

 そしてこれからも、自分の夢に向かって、挑戦を続けて行きます。

       本当に本当に、

           #挑戦してよかった


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