歴史Think(れきしんく)No.3
筑波烈士(つくばれっし)
前回は、つくば市上郷地区角内(かくない)に、寛政の改革の事業として江戸石川島と同時に人足寄場が創設されたことについて取り上げました。
人足寄場が創設されたのは寛政2年(1790)といわれていますが、その3年後の寛政5年に上郷の代官となったのが竹垣三右衛門直温です。天領であった上郷村の代官は幕府の老中、勘定奉行に属して、年貢徴収などの政務全般をはじめ司法までも司る、いわゆるその土地の最高権力者と言える立場です。テレビの時代劇で、百姓が「お代官さま~」と年貢の軽減などを涙ながらに訴える場面がよく登場しますが、権力が集中しているわけですから、百姓のことなど何も考えず、自分の富を増やすことばかりに執着するような代官が赴任でもしたら、土地の百姓はそれこそ目も当てられなかったことでしょう。
ではこの竹垣三右衛門はいかなる代官であったかというと、同じく上郷地区内に建つ金村別雷神社(地元ではらいじんさまという呼称で親しまれています)境内に「竹垣君徳政之碑」が建立されているように、地元の民百姓から尊敬される代官であったようです。特に、疲弊困憊した農村で行われていた間引きを禁止し、現在の児童手当に当たる小児養育金を出すなどの治政を行ったことが徳政として地元民に感謝されていたようです。
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この竹垣三右衛門が、寛政12年(1800)に角内の地に代官陣屋をおきました。代官陣屋には、代官の下で働く手附、手代、書役、侍、足軽、中間など30人程がいたようですが、人足寄場と同じく、当時をしのぶような遺跡などは残っていません。陣屋跡は現在、角内の集落センター(公民館)となっていますが、その敷地内に首なし地蔵があります。代官陣屋内に設置されていたお仕置き場に置かれていた地蔵と言われており、当時をしのぶことのできる唯一の遺跡と言えるかもしれません。
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