山奥にあるビル街 ~新潟県湯沢町~
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった―。川端康成の小説「雪国」の舞台として知られる新潟県湯沢町。バブル景気の狂乱に巻き込まれた山あいの温泉街はスキーブームにも乗って、高層マンションが立ち並ぶ近代的なリゾート地へと一変した。」
※北海道新聞よりhttps://www.hokkaido-np.co.jp/article/997241/
町の紹介
私の第二の故郷である新潟県の湯沢町に関して記そうと思う。湯沢町は父方の故郷である。私は毎年夏と冬に帰省する。湯沢町は豊かな自然と温泉に恵まれた観光地として知られている。世界でも有数の豪雪地帯として知られている。雪国の暮らしが展示されている「雪国館」という施設には、明治・大正・昭和初期頃までの生活の様子が再現されている。民家の茶の間が用意されていたり、農作業に使用された道具類が飾れていたり、湯沢には長い歴史がある事が実感できる。東京駅から湯沢町までの所要時間は新幹線で約1時間半のため、東京圏からスキーを楽しめる場所としてはかなり行きやすい。観光地としての立地の良さから東京都湯沢町とも呼ばれる。
この町の重要な観光資源はスキーや温泉だ。冬季にはスキーリゾートとして賑わい、特にファミリー向けの施設も充実しており、子供連れの旅行者にも人気だ。湯沢町には多くの公衆浴場があり、外湯めぐりを楽しむことができる。各温泉には独自の特徴があり、訪れるたびに新しい発見がある。
湯沢特有の土地事情
この町には他の場所には無い象徴的な建築物がある。それがタワーマンションだ。山を背景に田んぼに囲まれた場所にそびえたつ30階建て以上のマンションは不可解な光景を生み出している。
湯沢町は1980年代から90年代初頭にかけて、バブル経済の影響を強く受けた地域として有名だ。東京に住む多くの若者は、冬になると2度か3度はスキーに行くことが当たり前だった。スキーブームでリゾートマンションが急増し、ウォータースライダー付きプール、大浴場、ビリヤード場、ディスコなどの設備を備えたマンションが建設された。1991年までの6年間で約1万5千戸のリゾートマンションが販売された。また、タワーマンションも4棟建てられた。分譲価格1千万円以上のワンルーム物件もあったという。しかし、バブルが崩壊したことで価格は暴落し、一時期は数十万円という物件もあった。買い手が見つからず維持費だけがのしかかり、「負動産」と呼ばれる物件もあった。コロナ禍が起きる数年前は、町の人口とマンションの部屋数が全く釣り合わず、需要と供給のバランスが崩れていた。町の人口は人口約8千人に対して、リゾートマンションの戸数は約1万5千戸であった。
コロナ禍による生活の変化
だが、コロナ禍で状況は変化した。テレワークなどが可能になったことで、地方の、環境がよく、広い不動産に目を向ける人が増えた。通勤頻度が減ったことで、遠くから通勤する人が増えた。そのため、東京で元々働いていた人が湯沢町の物件を求めるようになったのだ。湯沢町ではコロナ以前から湯沢町から東京方面に通勤する人に対して定期券購入費を10年間補助する制度を用意していたため、東京からの遠方通勤と更に相性が良くなった。リゾートマンションは普通のマンションとは異なり、ホテルのようなマンションのため、フロントが用意されていたり、積雪時の雪かきが要らないのも魅力的である。
私も何度かリゾートマンションの部屋を購入した人の部屋を利用したことがあるが、温泉が綺麗で料理が美味しかった。私はリゾートマンションを購入することはおそらくないだろうが、リゾートマンションをホテルとして今後も使ってみたい。