青い光をつなぐと星座になる気がした
毎年、春になると誰からともなく招集がかかって、僕たちは海岸までホタルイカを探しに行った。
満月か新月の、やたら暖かくてたぶん蜃気楼が見えるような日。別に正確なデータを持っているわけではないし、ただの遊びだったからなんとなくそんな感じかな、と思うような日に「今日あたり行きますか」となる。
パンキョウと呼んでいる、人文学部と一般教養棟の裏に僕たちのサークルの部室はある。いつからあるのかわからないような、ぼろぼろのプレハブ小屋の一階だ。一冊のノートが置いてあって、そこに部長の字で「今日夜十一時集合でホタルイカ行きます」と書いてあった。すぐ下には参加者を書くスペースが空けてある。
「メディア研究会ってこういうこともやるんですか?」
入ってきたばかりの一年生が聞く。新入生歓迎も兼ねてるからね。花火持って行くこともあるよ。そう言いながら僕はノートに自分の名前と「バイト先から花火もらってきたから持ってくる!」と書き足した。夜遅いから、家の人にもそういってから来たほうがいいね。女の子はとくに心配されるから。
講義が終わって、人の出入りも増えてくると、ノートへの参加連絡も増えてくる。全部で二十人くらい? クルマ出せるよ。そういって、車を持っているやつのところに丸をつけた。
◇
夜、集合時間も近かったので、バイトが終わってそのまま集合場所にきた。正門から入ってすぐに右に曲がる。黒田講堂、通称クロコウの裏にみんなはもう来ていた。
部長がその場を仕切りはじめていた。誰がどの車に乗るか、帰りのこと、一年生を退屈させないようにすること、いろいろ考えることはあるらしい。
「あたしタカハシくんの助手席でもいい?」
そういってきたのは同じ学年のエスミだ。エスミは自宅生だから、ふだんはこういうことにはあまり参加しないのだが、今日はいた。いたというか、なにか言いたそうな顔をして立っていたというか。
「いいけど、他、誰乗るか知らねえぞ」
「別にふたりになってもいいでしょ」
そういうと部室に置いてあった花火を僕の車に乗せると、さっさと助手席に座った。
エスミはいつもそうだ。僕に彼女がいないのを知っていて、自分には彼氏がいるのに、なにかというと僕に近づいてくる。喧嘩になるのがいやだったから、距離を置こうとすると逆に間をつめてくるような感じがエスミにはあった。
結局僕の車にはエスミ以外は誰も乗らなかった。じゃあ他の車に乗せてもらえばいいのかもしれないけれど、エスミはこのまま家まで送ってもらうから、と他のやつらの誘いを断った。
「彼氏に怒られねえ?」
「大丈夫だよ。ミハラくん、タカハシのこと信用してるから」
決して褒められているとは思えない言葉だったが、僕は文句を言うわけにもいかなくなった。
みんなそれぞれの車に乗りこむと、それぞれに出発する。大学前の一方通行を抜け、付属の学校の近くの交差点を曲がると、細い道を通って国道に出る。そのまま国道を突っ切って海へ向かう1本道を何台も車を連ねていった。信号待ちをしていると、前を走る車のリアガラスから、こちらを見ていた後輩たちが僕とエスミに向かって手を振ってくる。僕たちは彼らの動きがあまりにも子供っぽくて、それが面白くて笑いながら手を振り返した。
「楽しそうでいいな」
「あたしたちもあんな頃があったんだよなあ」
年寄りかよ、と僕はエスミのほうをちらりと見た。二十歳過ぎたらもうおじさんおばさんだよ。エスミはダッシュボードに置いてあるCDを選びながら言う。
「これかけるね。まだ聞いたことないし」
カーステレオからEverything but the girlが流れる。誰に教えてもらったんだっけか、と思いながら、車は海に近づく。
◇
海岸まで来ると人が何人かいて、海のほうがぼんやりと明るくなっていた。沖のほうにいるのはイカ釣り漁船で右手は工場のあかりかなにかだ。
「あー、いるじゃんいるじゃん」
波打ち際には青い小さな玉のような光が浮いていて、波にあわせて漂っていた。
「ごらん、これが地上の星座」
「やめて、それK大のドラマじゃん。っていうかそこは海。日本海」
光量を間違えたプラネタリウムにも見える水面を見て、僕たちにしかわからない会話で笑う。うろ覚えの台詞を再現したり、次の合評会の素材、誰がつくっていくんだよ、という話が出たりした。
タモを持った人がきゃあきゃあいいながら、海を掬うようにしていた。バケツの中には弱くなった光とたくさんのホタルイカがあって「たくさんいるー」という声に「じゃりじゃりで食えんけどな」と返すおじさんがいた。
僕は海ギリギリまで行って手でホタルイカを掬う。痛っ。なにかが刺さったように痛みがはしる。ホタルイカ、刺すよ、気をつけなー。後ろからエスミの声がする。遅いよ。刺すっていうかなんだこれ。
「もー、三年にもなってまだ覚えないかなあ」
エスミは僕の手を両手でつかんで確かめる。大丈夫だよ。別に毒じゃないし。
「初めて生きてるの触ったからびっくりした」
県外からきたやつらは初めて見る光景にはしゃぎ、最初にここに来ようと言ったやつは「俺の勝ちだ!」と自慢げにする。
一年生の誰かが、知らない人がタモとバケツを持って走るのを見て、私もバケツ持ってくればよかった、とうらやましそうにしていた。そしていつの間にかその辺の木を集めていてたき火を始めようとしていた。
「花火やろうぜ、せっかく持ってきたんだし」
先輩の声に、それじゃあ取ってきます、と車に戻る。僕の後ろからエスミがついてくる。
「なんか話でもある?」
僕は思いきって聞いた。もし違っても気のせいだといえばいいだけのことだった。
「そういうふうに見える?」
「ん、そうでもなかったらみんなのところにいるでしょ、いつもなら」
「あたしさ、ここやめるつもりだったんだわ」
突然の言葉に僕はびっくりした。それに気づかれないように荷物を下ろす。学校辞めんの?
「違う違う。サークル。なんかもういいっかって思ったんだけど、もうちょっといるよ。ユーレイ部員で」
最初、ミハラと喧嘩したのかと思った。でもそういうわけではないらしい。だって来週いっしょに映画見に行くし。エスミは本当に悪気がなさそうな顔をしていた。
「そういえばミハラくんとね、タカハシは女子枠でいいって話になったから」
「言ってる意味わかんないし、僕が女子枠というのは納得いかない」
「だってあたしのこともミハラくんのことも好きでしょ」
話がばらばらじゃん。だけど反論はできない。あのCDも、ふたりがつき合い始めたのを最初に教えてくれたのもミハラだ。
「どっちかっていうと、あの人たちについていけないなーと思っただけだから。まあ、でもあれだな。他で好きなことやってるし、そっち優先させればいいだけだし」
エスミはマスコミ系の会社でバイトをしている。サークルで紹介されたわけではなく、自力で見つけてきたやつだ。それもわりと大手だ。それを少なからず良く思っていないやつらはいた。ミハラがそそのかしたのだとも。僕はそういうやつらのことをまともに相手はしていなかったし、エスミよりもずるく距離を置くようにしていた。僕たちの車に誰も乗ってこなかったのは、だからそういうことなのだろう。
「あたしたちのことかばってくれるのはタカハシだけだから、そのぶんちゃんとしとかないとね」
エスミは車のリアゲートを閉めると僕の肩を叩く。
「花火始まらないと歓迎会にならないでしょ。ただの火遊びになっちゃうよ」
遠くから「花火まだ?」という声が聞こえる。僕たちはすぐ行くよ、と返し、みんなのいるあたりまで小走りになった。