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食物様形態変性症/急性形態変性症候群(マーメイドシンドローム)・4
「……これ食べられるの?」
目の前にパンが山積みになっていた。さわってみるが、だいぶ日が経ったもののようで、水分が抜けて固くなっているものが多いようだ。
ここはパン屋か何か?
古めかしい書棚、天上まで積み上げられた書籍、山積みのパン。パン屋なわけがない。
ここの住人の音沙汰がないという連絡を受けて近くに住むわたしたちが確認に来ていた。呼び鈴を鳴らしても反応がなく、恐る恐る扉を開け中に入る。それほど広いとはいえない家だったが、一つずつ部屋を確認していき、二階の奥の部屋を開けたら見えたのがこれだ。
「食べないほうがいいと思うぞ。元はヒトだ」
マジか、と声をあげて持っていたパンを投げ捨てる。彼の咎めるような視線にさすがにまずいと思ったのか、それをそっと山に戻した。
「なんでパンになんかなっちゃったの」
「知らん。どういう条件でどういう状況なら何になるか、みたいなのは誰もわからん」
ある日突然、人体が別の物質になるという現象が見られるようになってずいぶん経つ。最初の頃に比べて人々の反応はそれほど大袈裟なものではなくなり、時として「またいつものこと」として受け止められるようになった。
変化する物質も、ガラスや砂利、羽根といったものから、廃墟のような建物、鬱蒼と茂る森、大量の虫の死骸というようなものもあって法則はないように見えた。
ここに住んでいたのは私たちの叔父で、何を生業にしていたのか親族の誰も知らなかったが、時折信じられないくらいの金額を福祉のために役立ててほしいと寄付をしているようすが新聞に載っていた。危ないことをしているとか、株かなにかで一山当てたのだとか、なんの関わり合いも持つ気もなかったくせに自分にはビタイチ寄越さないとか、みんな勝手なことばかり言っていた。
「これ、ほっといたらカビちゃうのかな」
「それもわからん。うっかり食って死ぬかもしれない」
えー、それ超メイワクじゃん。そう思いながら部屋に散らばったパンを山になったほうに集めて置いた。一個でも足りなかったら、という話はよく聞く。
「これどうなるの?」
「燃やすとどうなるかわからないから、箱詰めのまま埋めちゃうだろうね」
「生き埋め」
私は自分で言った言葉に慌てる。生き埋めって。いや、生きてないのか。それもわかんないのか。
偶然元に戻ったこの人が土の中でびっくりしているところを想像する。身動きは取れない。本当に生き埋めになって、これ、戻ったりするのかな、と質問にもならない言葉が出てきた。
「さすがにまだ一例もないらしい」
そもそも違う物質になっちゃうって意味がわからないもんな。彼はここから先の処理に困っているようだった。
「とりあえず窓開けていい?。ちょっと匂いがきつい」
質の悪いバターが焦げたような、イースト菌のこもったようなにおいで気持ち悪くなってきた私は部屋の窓を開ける。風向きが良くないらしく、部屋の空気は澱んだままだった。別の窓も開けるか。
彼はひとまずこのパンの山を片付けるべくビニール袋かなにかを探しにいった。ビニール袋なんておおよそ人をしまうものではないけれど、目の前にあるのが大量のパンだと思ったらそれもしかたないような気がした。
叔父の家に行ったのとほぼ同じタイミングで、私のところに手紙が一通送られてきた。叔父からだった。消印からどうもパンになってしまう寸前にポストに投函したらしいということだけはわかった。そこには、もし自分が別の物質になったら、という仮定の話が書かれていた。
叔父は時々私に手紙を寄越した。それはだいたいいつも荒唐無稽な話だった。昔海賊だった頃の敵が商売を止めるから余った資金を流してくれたとか、自分を希代の天才と勘違いした人が生活費にと金塊をくれたとか。今どき漫画でもそんな設定はありえないのだが、叔父はそれを本気にしているようだった。
「そのうちオオアリクイに殺されたり、戦地から帰るのに資金がないとか言い出しそうだな」
迷惑メールじゃないんだから。突っ込む私に彼は笑う。本当ならそれくらい適当すぎる話なのだが、叔父の話は嘘の一言で片づけるにはあまりにも大雑把すぎた。
それに加えて、パンになったなんて。何をどうしたかったのだろう。
あれから数日ののち、回収されたパン……になった叔父……は隔離埋葬地という名の埋立地に埋められた。宝石にでも変わったら売り飛ばそうと思っていた親戚連中は心底がっかりしていて、その日は誰も来なかった。
だから、この場所を知っているのは私と彼だけだった。
……続いてのニュースです。
昨日、隔離埋葬地に埋葬された遺体を大量発生したネズミによって辺り一帯が荒らされていると、警察に管理している民間団体から通報がありました。
警察では……現場検証をおこない……
あそこだ!私は彼に今テレビで見たことのメッセージを送った。
「叔父さんの手紙のとおりのことが起きてる!」
テレビでは詳細な場所は映していなかったが、私は叔父がある辺りだとすぐにわかった。どうやらパンになった叔父を自分たちの巣に持って行こうとしたらしかった。
あのとき叔父から届いた手紙には自分が何らかの食物になってしまうだろうということ、それを食べてしまうと、食べたなにかは連鎖するように別の物質に変わってしまうだろうということが書かれていた。そしてそれをどうにか売り払って、寄付してほしい、とも。
それが本当なら、私たちは墓泥棒紛いのことをしなくてはならなくなる。
私たちは真夜中、叔父が埋まっている辺りまで行った。大量にあったパンの山は何も残ってなかった。
「あー、これ、全部持ってかれちゃってるね。やばいなー」
彼は心なしか楽しそうだった。目の前でありえないことが起きていて、それがあまりにも非現実的なので笑うしかない、というような状態だった。
明かりで照らしてよく見ると、どうやらここから持って行った「なにか」の動き回った跡のようなものがあった。私たちはそれを注意深く探し、辿っていった。
「うわなんだこれ」
「これなに?」
ふたり同時に叫ぶ。慌てて周囲を確認する。誰もいない。
私たちの前には、きらきらと光るガラスのような、宝石のようななにかがあった。しかも大量に。
形からしてそれはネズミのようだった。
「これ、売り払ったりできると思う?」
「まあ無理だね。出所を聞かれたら答えられないだろ」
「どうしよう。おじさんの手紙」
私たちはきらきらと光るそれらを回収した。腰が抜けるかと思うほどの量だった。
「幸福の王子って話知ってるか?」
……続いてのニュースです。
県内各地の福祉施設になぞの物体が置かれているのが見つかり、警察に拾得物として届けられました。
物体は透明な10センチ程度の大きさで、宝石類と見られます。持ち主が現れない場合拾得物として届けた各施設のものとなり……