廃墟様形態変性症/急性形態変性症候群(マーメイドシンドローム)・3
ある日突然、人体が別の物質になるという現象が見られるようになってずいぶん経つ。最初の頃に比べて人々の反応はそれほど大袈裟なものではなくなり、時として「またいつものこと」として受け止められるようになった。
「こんなところに廃墟なんてあったっけ」
毎日通っている道から見えるすこし奥まったところに、今にも崩れそうな建物があった。今までぼんやりとしていて気づかなかったのか、気にして見るようにしたから目に入ったのか、それはわからない。
ただ、そこにあったもの、として過ぎるにはあまりにも異様な雰囲気があった。遊園地のお化け屋敷というにはリアルすぎるし、人が住んでいたにしては今にも崩落しそうな傾きかただった。
危ないところに近寄ってはいけません、と言われていたけれど、気になるんだからしかたない。ぎりぎりまで近寄ってみることにした。
朽ちた木、枯れかけた蔦、破れた窓ガラス、見えているところの天井は崩れかかっていて、地震なんかあったらあっさり潰れてしまうかもしれない。なんでこんな建物に気づかなかったんだろう。
それにしても違和感の塊だ。敷地に合わない大きさ、隣の家よりもはるかに高く、昔読んだ童話にでも出てきそうなくらいの色褪せかた。建物の周りには踏み潰したような別の建物の残骸のような何か。
いま見えている建物の周り、というか、下、というか、とにかく今ある建物に潰されたように木造だった何かがあった。瓦とか、土壁とか、なにかそんなふうに見えるもの。
強引な建てかただな。
そう思って納得しようとしたけど、そうするにはあまりにも異様なのだ。ガタン。突然開く2階の窓。ガタン。なにもしていないのに閉まる。ガタン、ガタン。
窓が開いたはずみで建物の中、窓の周囲に埃が立つ。外にではなくて中に向かって。次はその埃が吹き出してくる。
ガタン、ガタン、ガタン、ガタン。一定のリズムで開いたり閉まったり、それはまるで呼吸のようだ。
敷地を仕切るようにぐるりとある塀は、昔からあるブロックの古ぼけたもので、建物に合っているとは思えない。むしろその周りにある潰された建物のほうが合っている気がする。
[立川]
という、石に筆文字を彫ったような表札。
あ、これ、あれだ。気づいた瞬間、震えが止まらなくなった。待って、これ、第一発見者ってやつじゃん。交番に連絡しなくちゃいけないやつだ。
怪獣映画で逃げる人がやるみたいに、しゃがみこんだまま後退りして、ようやく立ち上がり、そこから全速力で走った。
あんなの見ちゃったから次は自分かもしれない。何かわからないものに変化してしまうんじゃないか。伝染はしないと言われているけれど、何かの呪いにかかったみたいな気がした。
交番に転がり込んだ自分は、いま見たものを訳のわからないまま警察官に伝えようとした。意味がわからないという顔をしていたが、自分が指をさした方向、さっきまでは遠くからはわずかにしか見えなかったはずの建物が、今度はとても大きく見えた。
身寄りのない独居老人の最期。そうテレビでは言っていた。誰かに来て欲しかったのかしらねえ。母さんは本当はどうでもいいみたいな顔をして一言だけ言って、そのままなにも言わなくなった。そこの家の人は偏屈な人で、誰かが来るのを拒んでいて、元の家もゴミやら蔦やらで覆われていてとても人の住むようなところには見えなかったそうだ。
お菓子があるよと言われたことがあると同級生は言っていた。怖くて近寄れなかったとか、とある言葉を言うと箒を持って追っかけてきたとか、伝説みたいな、噂みたいな話がいくつもある家だった。
本当は誰かに来てもらいたかったんだろうか。あのまま受け入れていたら自分だってどうなるかわからないけど、あの人……建物になってしまった人……は嬉しかったんだろうか、と、考えてしまった。
あの時、一定のリズムで開け閉めしていたのが窓じゃなくて扉だったらどうなんだろうと思う。話しかけようとしていたのか、食べられそうになったのか。聞けばわかるのかもしれないけど、もうそこには誰もいないし、なにもない。
テレビでもよくあるニュースのうちの一つと報道されたあとは、誰もなにも気にしなくなった。
建物は数日のうちに徹去され、更地になっていた。お祓いのためなのか、しめ縄が木とともに飾られていて、たぶんここはもうなにも作られないのだと思う。
——
TOP画像は暗洛さんのをお借りしています。ありがとうございます。