人魚と王子(前編)/急性形態変性症候群・10-1
通報の最中、不意に声が途切れた。
「あ、なんか、ヤバいです」
「身体、違うもの」
聞こえてきたのはほぼこれだけだったが、発症した本人からの通報だろうというのは容易に推察された。
携帯電話の発信履歴と位置情報から通報者の場所を特定、現場に出向いた。人体が突然別の物質になってしまう「急性形態変性症候群」だが、発症すると短時間でヒトの形ではなくなってしまうため、元に戻ることはないと言われている。今回も発症時に連絡をしてきて、そのままどうしようもなくなったケースに該当すると思われた。
現場に到着したときに目にしたのは、意識を失った二人の人だった。
一人は膝から下が泡のようにふれると消えてしまいそうなほどに不安定な形に変わり、壁にもたれかかるようにぺたりと座った姿勢でいた。もう一人は、胸にナイフを突き刺し、血を流して倒れていた。片方の手はナイフを握りしめていて、持つ片方の手は泡になった人の身体に——ちょうど膝の辺りに——手を伸ばしていた。手でふれたであろう部分が赤く染まり、その人に対して何かをしようとしているようにも見えた。
ただ、状況だけで見れば自殺を図ったと見てもおかしくはなかった。
二人は救急搬送されたが、ナイフで自らの胸を刺したと思われる人は残念ながら息を引き取ったという。
◇
目が覚めたときには自分がまだ生きている自覚はなく、現実として自分の目に映っているのか、幻影を見ているのかわからなかった。見知らぬ天井とはよく言ったものだと思う。
足の一部がひどくえぐられたように傷になってはいるが、命に別状はなく、そう遠くない時期に歩くこともできるだろう、と医者からは言われた。急性形態変性症候群に罹患して、意識を取り戻した数少ない例として数えられるだろう、とも言われたが自分にはよくわからなかった。体に異変を感じて、あ、と思った瞬間からあとはなにも覚えていないのだ。
自分の身になにかあったらいちばんに真横で泣いているであろう恋人がいない。たったそれだけのことだったが、自分が違う世界に来てしまったような気がしたのはそのせいだと思った。
自分と恋人のことを知る人たちにあいつはどうなったのだと聞いたが、誰もなにも話そうとはしなかった。目をそらす人たちの様子から、恋人がもうすでにこの世にはいないということは、なんとなくだがわかった。
テレビをつけようとしても止められるのだ。見せたくない光景が映っているからだろう。退院しても同じ場所には戻れないとも伝えられた。二人のものは取り返せるのだろうか。せめてケータイに保存していた写真くらいは残しておいてほしい。
◇
自分たちがどうやって知り合ったか、もう覚えていない。気がついたら一緒にいる時間が増えていて、いつのまにか一緒に暮らしていた。恋人がどこで生まれて、どういう子供時代を過ごして、どういう人たちに囲まれて生きてきたのか、なにひとつ知らなかった。それはふれてはいけないことのように感じて聞くこともしなかったが、逆にとても些細なことのようにも思えた。だから自分は積極的には聞こうとしなかったし、恋人も自分から話すことはなかった。
恋人はこちらのことはよく知っているようにも思えた。ある時自分の子どもの頃の話をしようとしたら「それは全部知ってる」という顔でこちらを見ていた。
◇
そもそも恋人の声を聞いたことはただの一度もないのだ。自分は声に出して伝え、恋人は身振り手振りで伝えようとしていた。傍から見れば会話になっているようにはみえなかったかもしれないが、ふたりはそれなりに会話をしているようなつもりでいた。
ケータイヘンセーショーコーグンが流行り出したころ、2人で動画ニュースを見て「こんなんなったらたまらんな」と話したことがある。と言っても声に出すのはいつも自分で、恋人は眉をハの字に寄せてうなづくだけだった。
マーメイドシンドロームなんて綺麗な名前つけちゃって、結局死んじゃうんなら綺麗でもなんでもないじゃん。土とかコンクリートとか訳のわかんないものになるって言うし。意味がわからない。
恋人はどこで手に入れてきたのだか、人魚姫の古い童話の本を開いては閉じ、最後のシーンだけ見て自分のほうを向き、ため息をついて本を閉じる、ということを繰り返していた。
「どうしたの」
普段ならそれほど気にしないようにしていたけれど、あまり真剣な顔をしていたからなんだろうと思って声をかけた。返事があるわけじゃない、でも、顔は真剣だ。
「泡になったらどうしようかと思ったの?」
開いたページに見えたそれを問いかけてみた。恋人はうなづきはしなかったが、たぶんそれを心配していた。どちらかがヒトの形でなくなったら。
◇
ずいぶん長く入院していたように思う。えぐれた傷もだいぶよくなったと医者からは言われた。だけど膝から下が不自然に赤くアザになっていた。絵の具でも塗り広げたみたいにまだらになっていて、アザがひいてきれいになるのかどうか、想像もつかなかった。
動かすことはできるようになったが、地面に足をつけると力が入らず、ふわりとした間隔だけがあった。その感覚はなにに変化しようとしたのかによって変わるらしかった。もちろん、元に戻ることができたら、だけど。自分は泡になりそうだったからふわふわとしているのかもしれなかった。
リハビリテーションと称して病棟の廊下をぐるぐると歩き回った。永遠になり続けるナースコール、誰か、誰か助けてくれと大きな声を出す老人、閉まったままの扉、待ち合いスペースの誰も見ていないテレビは自分が通るときには決まって趣味の悪そうな自称情報番組が流れていた。
病室まで戻っても良かったのだが、なんとなくテレビを見たくなって、待ち合いスペースの破れを修繕した長イスに座るとリモコンでチャンネルを変えた。国営放送はニュースを流していて、今日の急性形態変性症候群の患者数を伝えていた。アナウンサーの口調も、最初の頃と比べたらだいぶ機械的なものになっている気がした。
無雑作に放り出された週刊誌は自分がここにきたくらいの頃のもので、見だしに「恋人を救おうとした悲劇のマーメイド!!」という下世話なタイトルが踊っていた。こういうものを喜んでみている人とは一生わかりあえないな。真っ先に呼びもしないのに手ぶらでやってきて、「かわいそうかわいそう」とさんざん泣くだけ泣いたら、良い噂のネタができたとばかりにさっぱりした顔で帰って行った遠縁の親戚は、きっとこういうものを喜んで読むのだろう。
◇
聞き取り調査は何度も行われた。発症する前までに覚えていること、生活、行動、食べたもの、一緒にいた人とのこと、その人たちはどうなっているかも聞かれたけれどわかるわけもなく、こちらから恋人がどうなったのか聞いてもそれは答えられないと言われるだけだった。
見舞いに来た友人たちも自分の体調と生活のこと以外にはなにも触れず、不自然なものを感じていた。
「なあ、あいつどうなったか本当に知らないのか」
「あれは夢だったと思って、先のことを考えたほうがいい」
「やっぱり死んだんだな」
「悪いけど、誰も答えられないと思う」
くりかえし聞いたことに対して、得られたのはたったこれだけだった。