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自他境界が腑に落ちた瞬間

「自他境界」の概念を始めて知ったのは今年の5月頃。某お笑いコンビとその熱烈なファンとの間に生じたトラブルについて、SNS上で「ファンの彼が推しの芸人に対して犯罪スレスレの行動を悪気なく取れるのは、彼の自他境界が曖昧であるが故だ」というコメントを見た時。

「○○さんになら抱かれても良い」「漫才がビックリするほどつまらない」などと公の場で平然と書き込み、ライブでは距離感を見誤った態度を取り続けるといった行動自体はどこまでもグロテスクであるし、当然非難されるべきものだ。だがそんな風には思いつつも、そこに至るまでの心情ややり切れなさには共感を覚えてしまった。今よりもっと社会性が欠如していて、自己中心的に物事を捉え過ぎて周囲からヘイトを買いまくっていた、幼少期から学生時代にかけての自分を嫌でも思い出させる物だったから、同じような経験こそ無いが言われようもなく切ない感情に襲われた。

話は変わって、僕は子供のころから紛れもなくどこのコミュニティでも「変わった人」扱いされたし、自分の口から不意に出る発言や一挙手一投足は、意図しているしていないに関わらず嫌でも目立ってしまうタイプだった。それは時にその場にいる誰もが思いつかない着眼点からのアイディア、その場の空気感や流れが自分だけ見えないがゆえに失言として零れてしまう一言、世の中の大多数の人間が自然にできていたり知ってたりして然るべき物事をなぜか自分だけできないが故の失敗経験や挫折といった形で現れ、自分を助けも妨げもした。

そんな僕のどこかにあるズレという名の異質性は、ある時はコミュニティ内で「行動力が誰よりもある人」「斬新な視点から意見を言えたりアイディアを出せる人」として重宝され、またある時は身近な人を怒らせたり場をシラケさせ、現実問題としては病的な運転・工場労働・運動のできなさ、大学生の頃の準ひきこもり状態や相次ぐ就活の失敗といった形で問題として表出した。自分の異質性に気持ち悪いほど己惚れる瞬間もあれば、劣等感からそんな普通になれない自分をどうしようもなく殺したくなる瞬間もあった。

「パズルのピースがビタッとはまる何かが見つかって、いっそのこと異質な存在なら異質な存在として生きていけたら良いなぁ」と夢想することもあるにはあったが、今現在も強く社会全体に根を張る「いわゆる普通の人生(大多数と同じような人生)」に対する渇望感はどうしようもなく自分を縛っていた。

そこにあるのは一年の浪人と半年の休学こそあれ、曲がりなりにも知名度自体はある大学を卒業したというプライドでもあるし、そんな普通のライフイベントを何食わぬ顔をして送れている(ように見える)友人知人や、SNS上の顔の見えない他人に対抗・追随する意識でもあったし、「お前はどこからどう見ても普通なんだから普通の人生を送りなさい」という自分自身が育ってきた環境から向けられるプレッシャーでもあった。

22歳の夏に自分の異質性や感じていた違和感に対して「自閉症スペクトラム」「ADHD」という名前が付けられても、その渇望感が完全に消えることはなかった。自分が当たり前のように持ち合わせていた感覚過敏や手先の不器用さ、空気の読めなさや病的な傷つきやすさや過剰な自意識など他人は持っておらず、もはや個性の枠を超えたものであると気付いて安心してもだった。

運命だったのか偶然だったのか、2023年初頭から僕は都内にある中小IT企業に就職をした。自分のカミングアウトした異質性に興味を持ってくれた企業だった。同期が誰一人いない中で周囲も親切に指導してくれ、無事に試用期間を終えた。福祉制度を活用する中ではあるが、念願叶って一人暮らしを始めた。だがリモートワークが始まりコミュニケーションの取り方に困難を抱えたり悶々を溜め込むにつれて、段々と周囲との間にある溝が深まり、社会人2年目になったタイミングで自分のズレはまた良からぬ方向に作用するようになった。この辺りの説明をするのは本旨から反れるので、下記の記事をお読みいただきたい。(結果としてこの後、僕は適応障害を発症して休職することになる。)

自分が「自他境界」の概念を知って、日々の生活と思考の中で腑に落としたのは、丁度仕事で苦悶していた時期と重なる。その時期に中学からの友人から掛けられた、「お前は周囲が幼少期から当然分かっているようなことに今更になって気付いて、デカい声でXやnoteで発信している」というクリティカルな一言は、深々と自分の胸を突き刺した。(ここで友人を非難するのは筋違いなのでくれぐれも辞めていただきたい。)その翌日は仕事の進みが遅くなり、そのまた翌日の午前中、ふっと自分の中である認識が芽生えた。

そもそもこの世界にいる誰もが、一人ひとり違う個性や感性・常識を持ち合わせている。ある事象もそれを見る人の数だけ捉え方は違っている。世界を言葉で認識する人間もいれば、数式やビジュアルで把握する人間もいる。焼き魚が一番好きな人間もいればハンバーグが大好きな人間もいる。そこに明確な優劣や良し悪しなど存在しない。全部それで良い。

実家を出て様々なものを見聞きし、数多くのコミュニティでいろんな人々に出会う中で、自分の中での「普通の人生」に対する定義や認知が徐々に変わっていったからこそ出てきた発想だった。俺はズレている人間で、ある人にとって見れば薄気味悪くて近寄り難い人間かもしれない。でも、紛れもなく今の自分がいるのは「そんな自分でもいいよ」と言ってくれた周囲があってこそだ。自分も社会的動物で居て良いのだ。

その後休職期間に入り何度もメンタルをブレさせる瞬間があったが、紛れもなくこの気付きを得た瞬間には嬉しさと情けなさが入り混じったとても形容できない感覚の波に飲み込まれ、リモートワーク中にも関わらずおよそ1時間も号泣し続けた。抽象的過ぎてピンとこなかった「自他境界」の意味が、自分の中にハッキリとインストールされた感覚だった。

「普通の人生」という言葉や社会が作り出したロールモデルは、多様性の波とともに徐々に形骸化しているといって差し支えないだろう。だが休職した今であっても、異質性に病名が付いたからこそ、これまでの経験自体が無駄なものだったとは思わない(方々に迷惑を掛けているのは承知の上だが…)。「自分の困り感はこのような形で発現するのか」と実感しつつも、俯瞰して専門書にあるケースを基に対処していくという実践の場だったと言える。

また知能や職業適性の検査で自分の能力値をデータとして理解したことで、「マルチタスクやスピーディーな情報処理・判断力・政治的権力や調整力が求められる仕事」は避けた方が無難であるということが分かったし、反対に「自分の経験や得た情報を整理してマンツーマンで人に伝えたり、身につけた知識を基に新しい発想を生み出すような仕事」が自分の性に合っていることも身をもって実感できた。

何処の誰が決めたかも分からない「普通の人生」は、自分の弱さも長所も知ったうえで自らデザインする「自分の人生」に変わっていきつつあるし、険しい道のりではあるが、これからいかようにも描き足していけるということ。それは誰だってそう。今年得られた一番の気付きはこれでした。社会人2年目も終わり。休職期間・在籍している会社と社会的な身分・2024年、全てが切り替わるタイミングとなる日にこの文章を書きあげます。

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