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才能のせいにして片付けた時、他人へのリスペクトが生まれる
幼稚園の頃に少林寺拳法をやめて、小学校4年で3年続けたサッカーをやめて、中学入学のタイミングで剣道をやめて、中1の春に卓球部をやめて、中3の秋に化学部をやめて軽音部でドラムを叩いて1年ちょいでやめて、高3の時にギターの弾き語りでライブハウスに1回出たけど大学に入るタイミングでやっぱり諦めようと思って、大学に入学しても学生団体がポシャったり、インカレサークルに馴染めなくてやめたり、塾講師のバイトの罪悪感に耐え切れず1年で契約更新をやめて、コロナ禍で始めた合気道は4級まで取ったけど引っ越し先の道場長と合わなさ過ぎてやめて、昨年末2年勤めた会社を退職した。
答えは全部、自分の力ではどうにもならない限界と天井に気付いたから。
「アンタは何度言ってもできない子なんだから」「根性がないからすぐ虐められるの」「そんなんじゃ働けないぞ」、親や教員からそんな言葉を投げかけられるたびに昔は、「できない自分が悪いのだ」「もっと苦手な部分を鍛え直すべきだ」という短所是正や、過剰な自己否定をしていた。だがどうやったって、元の自分のスペックが偏っているのだから努力でカバーできる範囲には限界があり、その度自分の不器用さを呪うばかりだった。
とはいえ、なぜか子供のころから不思議と軽々できてしまう物事も数多かった。大まかな傾向でまとめると、「言葉や文章を使った説明」「アイディアのアウトプット」である。
小学校の頃は朝の会での発表や図鑑の内容を基にしたレポート作成などで教員から褒められたし、幾度となく小説や黒歴史ノートを量産した。作文や読書感想文は上手く書けない人間の気持ちが想像できなかった。中学に入って音楽に目覚めてからも、問題はメロディやアレンジが思い浮かばないことではなくて手先を使った技術や自分の声帯が追い付かないことにあった。
中学3年で図書委員に入部してからは全校生徒向けの本の紹介冊子を作り、講演のために招いた某作家の方にインタビューして5000字に渡る特集記事を作成したこともあった。あくまでも当時はそういったことに無駄に予算が割ける学校だったのだ。大学時代も在籍していた団体やサークルはメディア系が中心だった。
22歳の夏に自閉症スペクトラムとADHDが発覚するのだけど、WAISⅣで測った知能検査では言語性と処理速度の間に38の開きがあった。工場労働や事務作業への適性を測るための処理速度に関しては、もはや境界知能に該当するレベルだった。そして厚労省が適職診断ツールとして作成した、一般職業適性検査の結果はこちら。
※「WAISⅣはトータルコストでみれば医療機関にとって赤字でしかない。いい年した大人の自分探しのためのツールではないから安易に受けないでくれ」という医療業界の方のご意見を伺っております。この記事を読んでご興味を持たれた方がもしいらっしゃいましたら、僕からはまず各自治体のハローワークにてGATBを受けるよう推奨させてください。
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簡単に言うと物事を理解して言葉にしたり形にしたり人に伝えたりすることにはものすごく長けていたけど、手先を動かしたりたくさんの情報を処理する事務仕事や工場労働、ルーティンワークにはてんで向いていなかった。手先の器用さや俊敏さ、反射神経の良さを測る項目に関してはそんな値が出ることすら想定されていないため、グラフ内にすら示されない値が出た。
ハッキリ言ってこの結果が返ってきた時、自分が障害者であるという事実を真正面から飲み込むショックさと同程度には安堵した。要するに知能検査や職業適性検査が自分に突き付けたのは、「川魚を1000万円かけて教育したところで競走馬にすることはできない」という事実だ。これはともすれば教育業界とか各種コンサルタントの沽券をぶっ壊しかねない発想だけれど、あくまでも自分にとっては絶望でもありものすごい希望でもある。自分の身の丈と、伸ばすべき能力や身に着けるべき知識の方向性の知識が定まったんだから。
もちろん上記検査の結果というのはポテンシャルでしかない。いくら野球選手にぴったりの体格と筋肉を持っていたとしても、アーチェリーの練習ばかりに現を抜かしていたら誰だって大谷翔平にはなれないのである。ゲーム機本体がソフトありきで初めて起動するのと同じ理屈だ。そこでの迷いがあったから就職先も定まらず休学したし、長所進展の方向性が定まっても多少の短所是正や最適な環境設定にまで意識が向かわなかったから退職する羽目になった。(そこらへんの話をするとまた長くなるので、気になる方はほかの記事を見ていただけると嬉しいです)
そこから更に血迷って彷徨って、ようやく辿り着いた結論が下記の2記事に表れている。
これらの記事で何が言いたかったかというと、「肩書とか組織とかグループ分けとかそういったものに縛られない自分の形が、良い面も見たくない面も分かったうえではっきりしてきた」「自分自身の取扱説明書がようやく完成した」ということ。要するに長かった自分探しの終わり。
だからこそ今更サッカー選手やプロゲーマー、一級建築士やイラストレーターに嫉妬なんかしない。せいぜい「僕も頑張ろう」程度。代わりに、今力を入れている外国語学習やデータサイエンス、知識を相手にわかりやすく伝える表現技法で自分より明らかに先に行っている人を見ると猛烈に嫉妬する。そこは明らかに自分の目指すべき先にあるものだから。
と同時に、職場でも今まで関りがあった方でも異業種の方でも、自然とその人の持つ才能や長所、その人が本来目指すべき役割といったものに意識が向かうようになった。高校の倫理から無理やり言葉を拾ってくると、「その人のアレテー」である。どれだけ嫌な奴が日常生活に出てきても「それでもあの人こういう所は尊敬できるしな…」と無理にでも意識するよう心掛けている。なぜならそれは頑張っても絶対に自分ができない物事だから。
「頑張ってできないことなんてない」という安っぽい自己啓発講師の言葉や、体育会系の人間の常套句はやっぱり大嫌いだ。でもだからって立ち止まったり何もしないっていうのはちょっと勿体なくて、自分がやるべきことを正しい方向性で淡々とやっていくこと。ポンコツ発達障害者ですが、上記の記事を机上の空論にしないよう、時折フラつきつつも生きていきます!
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