そりゃー相いれないわ

子ども=家庭資産
子ども=社会資産
子ども=○○資産 ←イマココ

ぱぶー。
この地球では資産などと呼ばれているそうだな、ぱぶー。

そりゃ相いれねーわ。

何かに運用する前提で人間(他)が存在してると思考してるんだもん。

そして「特に自分の子どもならなにをしてもいい」とかいう考えを強要してくる、子ども=家庭資産時代の人達。
否。
自分も他人もモノであると、自他ともに尊重する生き方を諦めてしまった人達。

ま、ほんの60年前まで戦争に家族奴隷化が当たり前だったので、急に「平和になりましたよー、モノ扱いやめましょねー」って言われても「ふぁっ!?」となるのもわからんでもない。

遊〇王アニメでいったら、「来年からバイクに乗りながらデュエルしてくださいねー、今までのルール禁止ー」って言われてるよなもん。
切り替えエグない?
当時の洗礼された視聴者でさえ困惑したわ。猛者は3か月で慣れたらしいけど。

だからさ、乗れるのれないで分かれるの分かるわなぁ、と。

で、乗れなかったヤツは、大抵こうほざく。
「オレ(私)はモノ扱いを受けたのに!ずるい!」
と。

羨ましいが恨めしいへ、
自分たちも大切にされたかったが憤怒へ、
真実と向き合う勇気が持てずにエンタメやらへの逃避と時間の浪費へ、
ドロドロした奥にある綺麗な感情を掘り起こす作業に屈して八つ当たりへ。

これだけで一本脚本が書けてしまいそうな人物背景が整ってあるな。

実際、自分が受けた仕打ちを他者や本人へやり返したい気持ちは私にもある。
大いにある。
てかやった。

親といじめっ子と職場の人間とパワハラ先輩と。
やり返したヤツを数えたらきりがない。

あの瞬間、
『人間臭さ』が発生し、人生がよりドラマティックになった気がした。
憂さ晴らしができたり、気がまぎれた感覚があった。
自分だけが惨めじゃないとか、お前がやったことは他人を不幸にすることだザマァとか思った。


だがしかし。
そういった人たちとの縁は切れなかった。

しばらくの人生の休息の後、私が真に望んでいることは『人間臭い』人間と関係を断つことだと自覚した。

冒頭で書いた、
自他を資産としモノと扱う人達と、決別することだ。

だからここで切っていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?