”戦友”は背を寄せ合って 〜チェルノブイリ(HBO)
1.概要
「チェルノブイリ」(HBO)は、現実に起きた1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故を題材としたドラマシリーズである(全5回)。作中で描かれた放射性物質の危険と正常性バイアスの隘路、「日常」がシームレスに非日常へ移行してゆく恐ろしさ、そして希望としての人間の生命力はこの作品の主たる魅力である。
しかし、現在でもその被害に苦しみ、あるいは事後処理に奔走する(そして2022年現在はより困難な状況に直面しているものと推察する)人々の存在するなか、このような受容をすることは不謹慎とも思われるが、私はこのドラマをレガソフ博士とシチェルビナ閣僚会議副議長の”戦友”の絆を描いた物語として惹きつけられた。
(以下ネタバレを含むので未視聴の方は注意されたいが、この作品の魅力は人間関係の描写にあると感じているので必ずしも経緯や顛末を知ることで作品を楽しめなくなるとは思わない。事故自体は史実であるし)
2.科学者と政治家 ヴァレリー・レガソフ博士とボリス・シチェルビナ閣僚会議副議長
本作の登場人物は基本的に実在の人物であるので、正確な来歴は書籍や他のWebサイトに依っていただきたい。また、同時に史実と演劇的脚色のなされた本作では各人の思想・行動に相違があろうが、あくまでドラマの感想であるので基本的にはドラマの内容に基づき言及する。
(1)ヴァレリー・レガソフ博士
彼は自然科学者(化学者)であり、作中では放射線物理学の専門家として活動し、学問的良心とナイーブな正義感に従い事故の収束を図ろうとする一方、政略には長けない。
(2)ボリス・シチェルビナ閣僚会議副議長
彼の行動原理は政治家的・官僚的である。事故発生当初は危険を過小評価し、「平穏裏に」収束させることを試みた。また放射線に関する専門的知識は有さないが、そのことに自覚的であることを含め基本的には有能な人物である。
3.”戦友”へ
二人の立場は基本的に交わることはない。レガソフ博士は科学的真実を信仰するが、シチェルビナ副議長はどこまでも政治家である。第2話における事故直後の初動を検討する閣僚会議でのレガソフ博士の懸念を一蹴し、あまつさえ秩序を乱すものとして排撃するシチェルビナ副議長の態度は象徴的である。ヘリコプターでの視察に際しては「急性放射線障害で死ぬぞ」とのレガソフ博士の忠告を無視してパイロットに原発直上まで向かわせようとする。
しかし決して無能ならざるシチェルビナ副議長は、事故の深刻性についてはすぐに認識を改める。そして、大気中の放射性物質に囲まれながら、現地のホテルの一室で、時にはKGBの監視を避けて夜の庭で、無人作業機を操作するオペレーション室で、レガソフ博士と議論を交える。レガソフ博士の要求通り消火のためのホウ素を調達したり、一方で現実的対処として避難範囲の拡大を却下したりするが、少なくともレガソフ博士の提言の妥当性自体は受け入れてゆくこととなる。
彼らは、双方が決定的に立場を違えることを自覚し、対面する問題の解決のために対立をお互いの合意のもとで保留して(まさに「忘れようね」と暗黙裏にいいあって)、相手を一応信用する。その儚い基盤の上で、個々の事件を解決する体験が積み重なり、相手への信頼が成長していって、”戦友”としての二人が生まれるのである。
二人が事故とは無関係にソビエトの未来について議論したら何一つ意見の一致を見ないであろう。あるいは休日をともに過ごしたら喧嘩別れして二度と会わないかも知れない。そんな恐らくは何一つ価値観を共有しない二人が、具体的な体験を共有したがゆえに、砂上の基礎に堅牢な信頼を築いている様がたまらなく美しい。
※トップ画像は公式Webサイト(https://www.hbo.com/chernobyl/season-1/2-please-remain-calm)より引用した。
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